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湯けむりと感性が溶け合うアートの街・別府。BEPPU PROJECTが地域と紡いだ20年
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共同温泉で、地元の人とアーティストが肩を並べて湯につかる。空き店舗や古い民家が、いつの間にかアーティストの制作の場に変わっていく。展示を手伝った地域のおじさんまで、作品をつくるようになっていく——。
大分県別府市では、そんなアートと日常がゆるやかに溶け合う光景が、あちこちで生まれています。
その土台をつくってきたのが、NPO法人BEPPU PROJECTです。2005年の設立から、国際芸術祭や市民文化祭の開催、アーティスト向け居住拠点の整備など多彩な取り組みで、「アートの街・別府」を育ててきました。
一見、敷居が高そうに見える現代アート。それがなぜ、これほど地域に根づいてきたのでしょうか。今回は、BEPPU PROJECT代表理事の中村恭子さんをはじめ、アーティストや地域の方々、さらには別府市役所・文化国際課の高木智香さんに、アートを入り口に「人と地域が深くつながる」まちづくりのヒントをうかがいました。
別府の変化がBEPPU PROJECTのきっかけに
はじめに、BEPPU PROJECTがこれまでどのような歩みをたどってきたのか、代表の中村さんにお話をうかがっていきます。
―芸術祭や、アーティストが暮らし、活動する拠点「清島アパート」の運営など、行政と連携しながら別府の地でアート活動を広げているBEPPU PROJECT。そもそもこのプロジェクトは、どのような経緯で立ち上がったのでしょうか。
中村
はじめたのは、大分県出身の山出淳也さんという現代アーティストです。山出さんは、若い頃から世界各地で活動していたのですが、フランスに滞在していた2000年代初頭のある日、「参加者がひとりでも実施する、別府の街歩きツアーがある」という記事をWebで見つけたんです。
中村恭子さん
NPO法人BEPPU PROJECT代表理事。2017年にBEPPU PROJECTのスタッフとなり、2022年に代表理事に就任。現在は、アーティストや地域の人々と協働しながら、アートを通じた地域づくりや、別府の文化芸術を支える活動に取り組んでいる
中村
記事を読んで、かなりびっくりしたそうで。それまでの別府といえば、高度経済成長期から続いていた、大型バスで団体観光客をたくさん受け入れるスタイルが主流でしたから、「あの別府が変わってきている。なんだか面白そうだ」と、フランスから国際電話で市役所に電話したそうです。
「ひとりでも歓迎って本当ですか?」とちょっと意地悪な意味も込めて聞いたら、電話に出た職員が「本当なんです、ぜひいまの別府を見に来てほしいです!」と、誇らしさにあふれた口調で答えたそうです。
―実際に別府に戻られてみて、いかがだったのでしょうか。
中村
山出さんが帰国して別府を歩いてみたら、街は人口減少や団体観光客の減少によって少し寂れていました。けれど、そこには地元の建物や食べ物など、足元にあるものに目を向けながら「お一人のお客さまでも温かくもてなそう」とする市民の活動が、ものすごい熱量で生まれていたんです。そして、空襲の被害をまぬがれた古い路地や歴史を感じる街並みなど、昔ながらの風景もたくさん残っていた。
それを見て、「世界中で出会ってきたアーティスト仲間がこの街を見たら、いったいどう感じて、どう表現するだろう。それを見てみたい」という純粋な思いが湧き上がり、2005年にBEPPU PROJECTを立ち上げ、国際芸術祭の開催に向けて動きはじめました。
その後、2008年に実行委員会を立ち上げ、4年の準備期間を経て、2009年に別府現代芸術フェスティバル2009『混浴温泉世界』を開催。温泉や商店街、港などの街全体を舞台に、世界中から集まったアーティストが現代アート作品を展開し、延べ9万人以上の方を動員することに成功しました。
別府現代芸術フェスティバル2009『混浴温泉世界』に出展したサルキスさんの作品『水のなかの色彩』(画像提供:混浴温泉世界実行委員会)
2009年の『混浴温泉世界』開催に協力した別府のボランティアの方々(画像提供:混浴温泉世界実行委員会)
「また来るね。次はいつやるの?」から拡大したBEPPU PROJECTの活動
―そのあと、BEPPU PROJECTはどのように活動を広げてきたのでしょうか。
中村
BEPPU PROJECTは、従来の「温泉」という観光資源だけでは届きにくかった新たな層に別府を知ってもらうため、「アートで新しい入り口をつくる」という視点でプロジェクトを進めてきました。
アートをきっかけに、これまで観光の中心であった中高年層だけでなく、アートに関心の高い若い人やインバウンドの方にも別府を訪れてもらう。そこから温泉や食、地元の人との出会いを通じて、街そのものを好きになってもらい、再訪や移住につなげていく。そうした人の流れをつくることが、われわれの戦略の核心でした。
かつては、3年に1度開催する国際芸術祭『混浴温泉世界』をメインに活動していましたが、現在は一過性のイベントから日常的な取り組みへとシフトし、次の4つの柱で展開しています。
BEPPU PROJECTがかかわる、多彩なイベントやプロジェクトのパンフレット
【BEPPU PROJECT独自の活動】
- 「清島アパート」「BEPPU STUDIO」などを運営し、アーティストの創作活動を支援
【別府市からBEPPU PROJECTへの委託事業】
- 「TRANSIT」を拠点に、アーティストの移住・定住を促進
【混浴温泉世界実行委員会の活動(BEPPU PROJECTが事務局)】
- 街中に常設のアート作品を設置する「ALTERNATIVE-STATE(オルタナティブ・ステート)」の活動
- 市民が自由に参加できる文化祭「ベップ・アート・マンス」の開催
- アーティストと直接交流しながら作品を購入できるアートフェア「Art Fair Beppu」の開催等
中村
まず1つ目が、アーティストやクリエイターの移住・定住を促す仕組みです。代表的な拠点のひとつが「清島アパート」で、ここを玄関口として別府に引越してきたアーティストやクリエイターは、累計120名を超えました。また、制作・発表の場をつくる「BEPPU STUDIO」や、空き家情報や活動情報の発信・交流拠点「TRANSIT」など、人・活動・場所をつなぐ取り組みも広がっています。
2つ目の「ALTERNATIVE-STATE」は、日常にアートを溶け込ませるためのプロジェクトです。以前は、芸術祭やイベントの開催期間以外はアートに触れる機会が少ないという課題がありました。 そこで、「いつ来てもアートに触れられる街」をめざして、街中に常設のアート作品を設置する取り組みへ移行しました。2022年から4年以上かけて、すでに8作品の設置を完了させています。
現代美術家・栗林隆さんが手がけた植物園型の作品『植物元気炉』。湯けむりが立ち込める鉄輪の一角に、ヒノキとガラスで原子炉を模した建物が設置され、その内部には地域や全国から寄せられた植物が植えられている(画像提供:混浴温泉世界実行委員会 撮影:山中慎太郎(Qsyum!))
現代アートチーム・目[mé]による作品『space Ⅱ』。鉄輪の民家に開いた大きな穴の先には岩窟が広がり、日常の風景から別の世界へと誘われるような空間が生まれている(画像提供:混浴温泉世界実行委員会 撮影:山中慎太郎(Qsyum!))
中村
3つ目の『ベップ・アート・マンス』は、市民のみなさんが「つくる側」として自由に参加できる市民文化祭です。これは2010年から毎年秋に開催しており、今年で17回目を迎えます。
4つ目の「Art Fair Beppu」は、ギャラリーを介さず、アーティストに直接出会って作品を購入できる仕組みです。移住してもらうだけでなく、アーティストがこの街で自立して活動していける経済的な基盤づくりにも、現在は力を入れています。
―はじめての芸術祭開催から20年近くが経過していますが、どのように現在まで長く続くプロジェクトへと発展していったのでしょうか。
中村
実は、当初は1回限りのイベントとして終わる予定だったそうです。メンバーも全員ボランティアで、「単発のイベントを手伝うつもりで参加した」という人が多くて、まさかこんなに長くプロジェクトが続くとは誰も思っていなかったと思います。
別府には大きな美術館があるわけではないので、2009年の『混浴温泉世界』では、温泉や商店街、空き店舗など、街そのものを舞台にしました。そうして街を歩きながらアートに出会える形にしたことで、県内外からたくさんの人に来場していただくことができたんです。
会期中、展示会場を巡回していたら、あるおばあさんが山出さんに「すごいきれいやったわ。また来るね、次はいつやるの?」と声をかけてくれたそうです。その一言が、「そうか、継続することが重要なんだ」と、山出さんに覚悟を決めさせ、そこから少しずつプロジェクトを拡大することにつながったんです。
「見る側」だった人が「つくる側」に変わっていく。アートから生まれた地域の変化
―アート作品やアーティストを受け入れていったことで、地域に変化は生まれましたか?
中村
アーティストの生き方や活動に触れた地域の人々のあいだに、「自分も何かやってみよう」という機運が生まれてきたことが大きな変化だと思います。アートを「見る側」だった人が、少しずつ「つくる側」に変わってきたんです。
私たちが一番の宝だと思っているのは、アーティストの考え方やものの見方、人生そのものです。「えっ、あんたそのことに人生かけてるの?」とか「どうしてそんなこと考えるの?」と思うような、ちょっと人とは違う面白い発想。普通に生活していたら通りすぎてしまうようなことに、アーティストたちはものすごい熱量を注いでいます。
そういうアーティストたちと日々、街のなかでともに暮らしていると、市民の側にも刺激が生まれるんです。「あ、そういう考え方は面白いな。私も何かやってみようかな」というふうに、新しい何かを生み出す内発的なきっかけになっていくと思うんです。
―たしかに、身近に面白い視点を持つ人がいると、「自分も何かやってみようかな」という気持ちが自然と湧いてきそうですね。
中村
まさにそうした市民のみなさんの「やってみたい」をかたちにするきっかけになっているのが、市民文化祭の『ベップ・アート・マンス』です。参加者の方々が自分で参加費を払って出展しているのですが、毎年約120ものプログラムが集まります。
プロもアマチュアも関係なくごちゃ混ぜで、5歳の子どもが開く折り紙教室から、90代の方の手品、本格的な野外音楽フェスまで。大手企業が主催するワークショップが参加してくれたこともありました。本当に何でもありのお祭りになっています。
『ベップ・アート・マンス』の全体イベントの集合写真(画像提供:混浴温泉世界実行委員会)
『ベップ・アート・マンス』の過去の開催プログラム例。アート作品展示から人形劇の披露、タロット占いまでプログラム内容はさまざま(画像提供:混浴温泉世界実行委員会)
―外から来たアーティストや新しい表現が、すんなりと街に溶け込んでいける背景には、別府という地域ならではの特徴もあるのでしょうか。
中村
私は福岡出身で、10年前に別府に移住してきたのですが、面白いなと思うのは、地域の人たちがアーティストに対して寛容で、自然に受け入れていることです。
別府はもともと港町なので、歴史的にも、関西や四国から渡ってきた移住者が多く、「来るもの拒まず」という気風があるのかもしれません。
それと、独特の温泉文化もあります。別府には、100円や200円で入れる共同温泉が80箇所以上あるんです。地元の方が日常的に利用している温泉を観光客の方々にも開いているので、「あなたが何者であるかは知らなくても、服を脱いでしまえば一緒」みたいな「裸の付き合い」の感覚があるんです。だからこそ、アーティストがユニークな格好をしていても誰も気にしないし、新しいものも自然と受け入れていくのかもしれませんね。
―新しいものに対して、抵抗なく受け入れる文化が、別府には自然と根づいていたんですね。
中村
そうなんです。しばらくすると、気がついたら私たちがかかわっていないところでも、地域にアート系の場所が増えていって(笑)。もともと、先ほどお話しした「BEPPU STUDIO」は補助金を活用し、BEPPU PROJECTが古い建物を制作や発表の場として整備を行い、移住してきたアーティストたちに貸し出していたんです。
するとそれを見た街の方々が、「そうか、こういう古い場所もアーティストに貸してみたらいいのかもね」と、ごく自然に考えてはじめてくださって。空き店舗をアーティストに貸してくれる方が出てきたり、商店街の組合長さんが元和菓子屋をセルフリノベーションしてアーティストの制作スペースにしたり。
「儲かるわけじゃないけど、アーティストと話すのが面白い」という感じで、地域の方々が自然と支援者になっていったのがよかったと思います。
―一般的な不動産としての価値とは、まったく違う視点で空き家や場所が活かされているのですね。
中村
まさにそうです。別府における芸術文化に関する交流と情報発信の拠点である「TRANSIT」には、「畳がボロボロだけど、修繕する資金がない」といったワケありの空き家情報も集まりますが、普通の不動産屋さんが困る物件こそ、アーティストにとっては宝の山なんです。
別府市創造交流発信拠点・TRANSIT。別府の文化芸術に関する情報発信や、アーティストと地域の人々が交流する場として活用されている
中村
アーティストたちは自分たちで改装するのが得意ですし、絵の具などで汚すことも多いので、「無理にきれいにせず、ボロボロのままで使わせてほしい」という需要があります。そうして、価値がないとあきらめられていた場所が、彼らにとっては最高の制作拠点に生まれ変わっていくんです。
別府移住の入り口「清島アパート」で聞く、アーティストと地域の人の声
アーティストが別府に移住し、地域に根づくきっかけになってきたのが、BEPPU PROJECTが手がける「清島アパート」です。
ここからは、別府市の中心部から歩いて数分の場所にあるアパートにお邪魔してみます。
清島アパート。もともとは2009年の芸術祭『混浴温泉世界』の会場のひとつとして使われた。会期が終わったら返却予定だったものの、アーティストからの継続の希望を受け、当時の大家・石丸麗子さんに相談し、活動拠点として残されることになった
アパートのなかへ入ると、半分屋外の土間のような空間が。さらに奥へ進むと個性的なアトリエが並び、住民アーティストの作品を見ることができます。
清島アパートの土間空間
ここでは年間公募で選ばれた8名のアーティストが1年間滞在するほか、月単位で滞在するアーティストの受け入れも行っており、多いときには国内外から約10名が滞在しています。
住民は、ここで共同生活を送りながら、アトリエで制作をしたり、作品の発表をしたりしています。日本語がほとんど話せない居住者もいますが、地元の食堂に通ってすっかり地域の人にかわいがられて馴染んでいるとのこと。
清島アパートの壁に描かれた年表。アーティストが居住するようになった2009年から現在に至るまで、ここを利用したアーティストの名前や出来事がびっしりと並ぶ
清島アパートの共同スペース。月額1万円の家賃で、1階はアトリエとして、2階は住まいとして、1人2室を借りられる
ここからは、実際に現在清島アパートに滞在し、地域とかかわりながら表現活動を行っているアーティストと近隣住民の方3名の声を聞いてみましょう。
下浦萌香さん(画家・在住2年目)
下浦萌香さん
アーティスト。ある場所に根ざした歴史や記憶、日々の営みのなかで生まれる人々の関係性に関心を持ち、地域に蓄積されたものと自身の内にあるものを交差させながら作品を制作。2025年から清島アパートを拠点のひとつとし、大阪と別府の二拠点で活動している
私は生活や暮らしの延長でしか制作ができないタイプなんです。だから、自分が暮らして制作をしている場所でそのまま展示をできるこの場所がとてもしっくりきています。
別府で知り合った人たちのなかには、展示のお客さんとして来てくれる人はもちろん、別府のいろんなところに連れていってくれる人、生活に必要な情報をくれる人もいます。そんな親切な人が驚いたことに何人もいて、信じられないほど温かい場所だなと感じています(笑)。
東京ディスティニーランドさん(パフォーマー・在住4年目)
吟遊詩人・東京ディスティニーランドさん
東京出身で、舞台俳優や旅芸人を経て別府へ。最短1分から最長15時間まで、123個の一人芝居のレパートリーを持ち、観客の「望み」と自身の「願望」が交差する即興的な演劇を行っている。2023年から清島アパートを拠点に活動
もともとは「群れるのって、なんか嫌」と思うタイプでした。清島アパートも、家賃が安いという理由で入ったんですけど、みんなつくる作品がバラバラだからこそ尊重し合えて、むしろ居心地がよくなってきちゃったんです。
ほかにも、住んでいてよかったことは温泉です。毎日近所の共同温泉に通っていたら、入院するほど重かったアトピーが良くなって、心のトゲトゲしさまで丸くなっていきました(笑)。作品にも明らかに影響が出ていて、以前は悲劇的な作品が多かったのに、いまはハッピーエンドの話が増えました。いつかは自分の劇場を持つことが夢ですね。
近所に住む山本さん
別府市在住の山本さん
元炊飯工場の工場長で、現在72歳。仕事で清島アパートを訪れたことをきっかけに、アーティストたちの生活を親身に支え続けている。彼らに感化されて自身でも創作活動をはじめ、近所の公民館で個展を開いたことも。別府のアートプロジェクトで出会った世界的アーティストの塩田千春さんとも交流があり、いまもメッセージをやり取りしているそう
2009年に、仕事の営業でここに来たら、みんな服がペンキや絵の具だらけでね。「ご飯ちゃんと食べられとるんか」と心配になって、余ったおにぎりをわけてあげたら、みんなうれしそうにわーっと集まってきて(笑)。
それからずっと世話を焼いてかかわっていますが、アーティストたちのものの見方や考え方って本当に新鮮で面白い。ここには毎年新しい人がやってくるから、とにかく話題が尽きないんですよ。今年はどんな面白いアーティストが来るんやろなって、いつも楽しみに待っています。

下浦萌香さん
県外から友達を招くと、アパートによくいる山本さんを見て「あのおじさん、誰かのお父さん?」って真顔で聞かれるんです(笑)。でも本当にそのとおりで、私たちにとっては別府の温かい「お父さん」そのもの。みんなでわいわいおにぎりを食べたり、困ったときには頼らせてもらったりしています。
アーティスト2人と山本さん、BEPPU PROJECTの中村さんと
扉はいつも開けている。別府とアートの20年を経た先の展望
アパートで育まれている、アーティストと地域の人々の温かい関係性。こうした自発的な変化の土台には、BEPPU PROJECTだけでなく、行政である別府市が約20年にわたり築き上げてきた、信頼と協働のパートナーシップがありました。
ここからは、中村さんに加え、別府市役所の高木さんを迎え、別府の街を耕してきた歩みと、これからの展望を紐解きます。
―行政とBEPPU PROJECTは、具体的にどのようなかかわり方でプロジェクトを進めているのでしょうか。
高木
行政としては、彼らが思い切り動けるように伴走しています。その覚悟が決まった大きなきっかけが、2015年の『混浴温泉世界』の閉会式でした。当時のBEPPU PROJECT代表が「これでプロジェクトをいったん終了します」と挨拶したところ、当時初当選を果たしたばかりの現市長がステージへ突然割って入って、「やめさせない。もっと尖ったことをやってくれ!」とその場で継続を宣言してしまったんです(笑)。
私たち職員は初耳で大慌てでしたが、単なる資金支援の関係を超えて、行政側も「本気で同じチームとして走るんだ」と腹が決まった、最大の転換点でしたね。
高木智香さん
別府市観光・産業部 文化国際課課長。別府の文化芸術や国際交流に関する施策を担当し、地域の文化振興に取り組んでいる
―長くパートナーシップを築き、別府の街にアートを普及してきたなかで、お互いに大切にしてきたことは何でしょう。
中村
私たちのようなNPO法人と行政とで「一緒に地域課題を解決していく」という視点を持てるかどうかが、とても重要だと感じています。
実は最初の頃は、「アートがやりたいからやりたい」と熱意だけで対話しようとして、厳しい意見もいただきまして(笑)。それで、自分たちがどうすれば地域の課題解決に貢献できるか、街の人たちと同じ方向を向くことができるか、といったことを真剣に考えるようになったことが大きかったのだと思います。
高木
最初は市役所内でも「なぜ別府でアートなのか」「本当に地域のためになるのか」という声がありました。その空気を変えたのは、BEPPU PROJECTが観光振興という共通のゴールに向けて、成果を数字で示し続けてくれたことです。
また、何よりも別府市民にアートを受け入れる気持ちがあったからこそ、継続できたのではないかと思いますね。
―協働を重ねてきたことは、アート以外の街全体の取り組みにどのような影響を与えましたか。
高木
「やりすぎくらいがちょうどいい」という市長の言葉のもと、「湯~園地」や被災地への温泉支援、「湯・ぶっかけまつり」など、別府らしい思い切った取り組みをいろいろとやってきました。BEPPU PROJECTとの挑戦も、そのひとつです。
いろいろな入り口をつくってきたことで、さまざまな人が、それぞれのきっかけで別府に触れてくれるようになったんじゃないかと思います。そういった積み重ねが、街全体を少しずつ新しく、いい方向に動かしていると感じています。
2026年に開催された『第112回別府八湯温泉まつり』のポスター。祭りでは「湯・ぶっかけまつり」をはじめ、さまざまな催しが行われた(画像提供:別府市)
中村
別府にとって温泉はいまでも圧倒的な地域資源ですが、それだけを頼りにしていると、「温泉ファン」にしか訴求できないと思うんです。日本全体で人口が減っていくなかで、アートのように「温泉とは違う入り口」を街のなかにいくつつくれるかが、今後より重要になってくると感じています。
高木
そうした民間の自発的な動きを、私たち行政がどう持続的に支え、伴走し続けられるかという仕組みづくりがこれからの課題ですね。
―最後に、これからアートで地域づくりに取り組もうとしている方々へ、伝えたいことはありますか?
中村
私たちの活動って、油断すると「一部の好きな人たちだけで、好き勝手にやっている」と見られがちで、20年以上経ったいまでもその壁や賛否の声は常にあります。
その壁を越えるために、私たちが意識し続けてきたのは、「いかに扉を閉ざさず、常に開いておけるか」ということです。たとえば、媒体によってはかっこよすぎる写真ばかりを使わないようにしたり、カタカナをなるべく使わずに回覧板の文章を書いたりと、伝えたい相手に合わせて小さな工夫を重ねてきました。
昨日も交流拠点・TRANSITで、アート関係者や移住者の方々と地域のお祭りに向けた盆踊りの練習をしていたんですが、一見アートとは無関係に思えるような、そういった小さな積み重ねが、街で取り組みを進めるうえで大事なんだと思います。
高木
本当にそうですね。その地域にいま何があって、そこに暮らす人々の暮らしにどうアートを重ねていくかを問い続けること。そして、行政と民間が信頼し合って行動を続けることが重要なのだと思います。
この記事の内容は2026年10月1日掲載時のものです。
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Credits
- 取材・執筆
- 宇治田エリ
- 撮影
- 勝村祐紀
- 編集
- 牧之瀬裕加(CINRA,Inc.)