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一杯で、よそ者が顔なじみになる。北九州の角打ちは「まちの公民館」

  • 公開日
角打ちで乾杯する原田さん、吉田さん、川久保さん、江藤さん

酒屋の店先を借りて、買った酒をその場で飲む「角打ち(かくうち)」。北九州市には、この角打ちを楽しめる酒屋が数多くあります。1901年に官営八幡製鐵所が操業をはじめて以降、昼夜交代で働く労働者たちが、職場と家庭のあいだで気持ちを切り替える場所として根づいてきた文化です。

その魅力を20年以上伝え続けてきたのが、「北九州角打ち文化研究会」、通称・角文研(かくぶんけん)。会長をはじめとする研究会メンバーに話を聞くと、一杯の酒をきっかけに見知らぬ人同士が言葉を交わし、世代や立場を超えたつながりが生まれる面白さが見えてきました。

「角打ちで北九州のお父さん、お母さんみたいな存在ができた」。そう話すのは、進学を機に長崎から移り住んだ若手メンバーの川久保さん。移住者や旅人をも惹きつける「角打ち文化」の魅力に迫ります。

そもそも「角打ち」とは? 居酒屋との違い

酒屋で購入したお酒を、その場で楽しむのが「角打ち」の基本。お酒を買った酒屋でそのまま飲むという点で、いわゆる「居酒屋」とは異なります。

コップや箸、氷や水などを用意してくれる店もありますが、これはお店からのご厚意。あくまで「酒屋」なので、サービスや過ごし方に店ごとの個性があります。

店ごとに、注文方法や会計の仕方、提供されるものもさまざま。乾きものやめざし、缶詰など、店内で購入できる簡単なつまみを楽しめる店もあれば、近所の店に出前を頼んだり、買ったつまみを持ち込んだり。その店ならではの楽しみ方があります。

明文化されたルールはなく、店主や常連客の様子を見ながらその店の作法を覚えていくのも、角打ちの醍醐味のひとつです。

隣り合った人と自然に言葉を交わすのも、角打ちならではの光景。17時〜18時頃には店じまいする店も多く、深酒になりにくいぶん、初対面同士でもちょうどいい距離感で過ごせます。

角打ちでお酒を楽しんでいる男女のイラスト

3交代の労働者が生んだ角打ち文化

―現在、北九州市内には何店舗ほど角打ちができる酒屋があるのでしょうか?

吉田

私たち角打ち文化研究会は2005年から活動をはじめました。開始当時、電話帳に掲載されていた酒屋に片っ端から電話をして「角打ちやっていますか」と尋ねたら、200数十店舗がやっていると答えました。それが、2008年の調査では130店舗、2018年は94店舗、2023年度は65店舗と、年々減少しています。

減っている理由として、いまはお酒を買うにしても、スーパーやドラッグストア、ネット通販で済むようになりましたよね。酒屋という業態そのものが縮小していますし、後継者が見つからないまま店をたたむケースも増えていることが考えられます。

お話する吉田さん

吉田茂人さん
北九州角打ち文化研究会会長。創設初期からのメンバーで、2006年に北九州市にぎわいづくり企画課長として市の広報誌『雲のうえ』の制作に携わった際に角打ちと出会う。市役所を定年退職後、2019年4月から会長を務める。皿倉登山鉄道株式会社社長を経て、現在は団体役員

―とはいえ、いまも多くの角打ちが残っているのですね。北九州にはなぜこれほどたくさんの角打ちがあるのでしょうか。

吉田

北九州は、1901年に官営八幡製鐵所*1が操業をはじめてから、労働者の街として発展してきました。特に最盛期には、24時間稼働する工場を3つの班が8時間ずつ交代で支える「3交代制」が一般的でした。夜勤を終えて朝に工場を出た人たちが、「1杯飲んで帰りたいね」となることがよくあったんです。ですが、普通の飲み屋はまだ開いてない時間。そこで酒屋さんに行って、「ちょっと飲ませてくれないか」とお願いする——そうした背景から、北九州に角打ちが広まっていったといわれています。いまでも、製鉄所や港の近くには、角打ちが多く残っていますね。

*1 1901年に現在の福岡県北九州市にあたる地域で操業を開始した、鉄の製造から鋼材の生産まで一貫して行う、日本初の銑鋼(せんこう)一貫製鉄所

「1901」と書かれた看板が掲げられた製鐵所

官営八幡製鐵所の東田第一高炉跡(写真提供:北九州市観光情報サイト「北九州パレット」)

北九州市の夜景。真ん中に観覧車が見える

北九州市にある足立公園から見た北九州市の夜景。工場都市として発展しながら、海や山など豊かな自然が共存している(写真提供:北九州市観光情報サイト「北九州パレット」)

―角文研とはどんな組織で、どのようなきっかけではじまったのでしょうか?

吉田

角文研は、角打ちを愛する人たちが集まって、角打ちを楽しみながら、その文化を広く知ってもらうために活動している団体です。会費も会則もなく、興味がある人なら誰でも参加できます。正確な名簿もありませんが、メーリングリストの登録者は現在350人ほど。世代は20代から70代までと幅広く、角打ちというと男性が多いイメージがあるかもしれませんが、角文研では女性が全体の4割を占めています。

はじまりは2005年1月、門司港の「魚住酒店」に集まった有志5、6人でした。きっかけのひとつは、市外や県外から来た人たちに「北九州の角打ちは、ほかの地域にはない独自の文化じゃないか」といわれたこと。それまで当たり前だと思っていた風景が、実は北九州らしさそのものだった。だったら、これを発信して北九州のブランドにしていこうじゃないか——そんな気づきが、活動の原点になったと聞いています。

暗闇に浮かび上がる門司港駅

明治から昭和初期にかけて国際貿易港として栄えた門司港。いまもレトロな街並みが多く残っている(写真提供:北九州市観光情報サイト「北九州パレット」)

―具体的にどんな活動をされているんですか?

原田

ウェブサイトやSNS、会員向けのメールなどで角打ちの情報を発信したり、角打ちができるお店を紹介する冊子をつくったりしています。はしご酒など、実際に角打ちを楽しんでもらうイベントも開催していますし、吉田会長が大学などに出向いて、角打ち文化について講義することもあります。

昨年の春には『第1回 角打ち川柳』コンテストも企画しました。県外からもたくさんご応募いただいて、自分たちが角打ちのどんなところに惹かれているのか、あらためて考えるいい機会になりましたね。

吉田茂人さんのポートレート

吉田

2018年に「角打ち」という言葉が『広辞苑 第七版』にはじめて掲載されたときは、研究会の活動が理解され浸透した結果に思えて嬉しかったです。

お話する原田さん

原田佳美さん
北九州角打ち文化研究会事務局長。北九州市出身。創設初期からのメンバーで、現在は北九州市内の不動産会社に勤務しながら、角文研の事務局長として運営を支えている

角文研が企画した『第1回 角打ち川柳』の作品をまとめたものと、同じく角文研が作成した、北九州市内の角打ち情報をまとめた冊子『角打ちのすすめ』。最優秀賞を受賞した「角打ちの 楽しさいつも 中学生」といった句をはじめ、ユニークな川柳が並ぶ

吉田

月に1回を目安に、角打ちビギナーさんを連れて店をめぐる会も開催しています。10人ぐらいの少人数で、今日は門司港、今日は小倉というように、エリアを決めて2、3軒はしごするんです。

すると初対面同士でもすぐに打ち解けて、「また行きたいね」となる。今度はそれぞれが誰かを連れてきて、さらに会員の輪が広がっていくんです。コースにアレンジを加えて、神社に寄って宮司から話を聞いたり、ボートレース場に行ってみたりする案内人もいますね。お酒を飲みながら、地域のことを知ってもらうイメージです。

「角文研直伝! 角打ち初心者の心得」の下に以下のテキストが記載されている。 ・長居をしすぎない 「居」酒屋ではないので、長居はしないように心掛けましょう。適度な酒量を考えると、30〜60分程度が滞在時間の目安です。 ・常連客への配慮を 少人数で訪れ、場所を取りすぎないようにしましょう。角打ちは地域の社交場であり、リラックスできる場所でもあります。小粋に酒を嗜む姿勢を忘れずに。 ・店の雰囲気に合わせる 無理に会話に入る必要はありませんが、隣の人から声をかけられたり、つまみをわけてもらったり。そんな自然なコミュニケーションも、角打ちの楽しみのひとつです。 ・店ごとの違いを楽しむ 立って飲む店、座れる店、都度払いの店、最後にまとめて精算する店など、スタイルはさまざまです。はじめて訪れる店では、その店の流儀に合わせて楽しみましょう。

「酒飲み難民」だった私が救われた。4人それぞれの、角打ちの入口

―みなさんは、どんなきっかけで角文研に参加されたんですか?

吉田

僕は当時、北九州市のにぎわいづくり企画課に勤めていました。参加するようになったきっかけは、角文研の発足の翌年、市の広報誌であり、航空会社スターフライヤーの機内誌でもある『雲のうえ』*2の創刊号で、角打ちを特集したことです。東京から来た編集メンバーが「創刊号は角打ちにしよう」と発案して。僕は「いきなり角打ち?」と驚いたんです。

というのも、地元の人にとって角打ちは、街の酒屋でおいちゃんたちが酒を飲んでいる、ただそれだけの、昔からある日常の風景だったんですね。でも、ロケハンを兼ねて、角文研の初代会長や事務局長と一緒に角打ちを回るうちに、自分自身がすっかり魅せられてしまって、プライベートでも積極的に通うようになりました。

*2 2006年創刊の無料情報誌。2026年3月発行の第41号をもって発行を終了した

吉田茂人さんのポートレート

吉田

『雲のうえ』の特集をきっかけに、北九州の角打ちはどうやらほかの地域から見て新鮮に映るみたいだぞと、市の職員に浸透したような気がします。

原田

私は北九州が地元なんですが、大学と就職で福岡市に出ていて、ふたたびここへ戻ってきたときに、地元のことを何も知らないことに気づいたんです。そこからいろいろ調べるうちに角打ちの存在を知り、もともとお酒が好きだったのもあって「行ってみたいな」と思うようになりました。

でも、地元には飲みに行くような友人がいない。ひとりで角打ちに行くのはハードルが高いなと思っていたときに、角文研がビギナーを連れて行ってくれる企画を知り、申し込んでみたんです。

「角打ちのすすめ」と書かれた手のひらサイズの冊子

現在北九州市内の酒屋や市役所に置かれている「角打ちのすすめ」。持ち運びしやすいよう、コンパクトな手のひらサイズになっている。また、ビギナー向けに角打ちの楽しみ方や角打ちの歴史なども記載されている

―はじめての角打ちはいかがでしたか?

原田

すごく楽しかったです。他愛もない会話や、仕事や普段のコミュニティとは違うからこそ生まれる、いい意味でしがらみのない人間関係が築けるのも、気楽でよかった。当時はまだ角打ちに来る女性が少なくて、お店の人もお客さんも面白がってくれて、酒飲み同士、すぐに仲良くなりました。角打ちって「酒屋で飲ませてもらっている」意識がある人が多いので、みなさんマナーがいいんですよ。だから、安心して飲むことができましたね。

自分自身が、お酒は好きなのに一緒に飲みに行く仲間がいない「酒飲み難民」だったので、角打ちに出会い、友だちができて救われた。私と同じような人たちに、角打ちの魅力を伝える活動って楽しそうだなと思ったのが、角文研に入ったきっかけでした。

―江藤さんと川久保さんは、ご出身は北九州ではないそうですね。

江藤

はい。私は福岡市出身で、勤めていた旅行会社から3年間、北九州市役所の観光課に出向していたときに、角打ちに出会いました。

北九州には角打ちが街のあちこちに点在していて、そこにいるのは観光客ではなく地元の人たち。なかには年季の入ったお店があったり、強面の店主がいたりと、店ごとに雰囲気もコンセプトも違うんです。だからはじめは、「お酒はどうやって頼んだらいいですか?」「グラスを貸してもらってもいいでしょうか……」と探り探り入っていく。その感じが面白くて。

しかも、1人2、3杯飲んで、ちょっとつまんでも1,000円を超えることがない。気兼ねなく通えて、いつでも誰でも行ける。そんな気軽さもあって、ハマってしまいました。

お話する江藤さん

江藤公彦さん
北九州角打ち文化研究会会員。福岡市出身。JTB社員として働くなかで北九州市観光課に3年間出向し、北九州の角打ちにハマる。出向期間中は角打ちによる集客企画などに奔走。現在は一般社団法人九州観光機構に在籍

江藤公彦さんのポートレート

江藤

最初は、これだけ数があるなら、観光資源として活かせるんじゃないかと考えていました。でも、通えば通うほど、ただ観光客を呼べばいいものではないなと。地域のなかで「生きている」酒屋だからこそ、まずは地元の人たちの暮らしを大切にしながら、その魅力をどう観光にも活かしていくのか。「生活との共存」を考える必要があると思うようになりました。

川久保

僕はもともとお酒に興味があって、20歳になった頃からカクテルにハマり、YouTubeを見ながら自分でつくったりしていました。そういうこともあって、同級生やゼミの教授に「酒好き」と知られていて、あるとき教授に「今度、角文研の会長が、北九州の角打ち文化について講義をするけん、受けてみらんか」と誘われたんです。

そこではじめて吉田会長にお会いしました。講義が終わって挨拶に行った際に、興味本位で「一回、角打ちに連れて行ってください」とお願いしたんです。そしたら、トントン拍子で話が進んで、すぐにご一緒する機会が訪れました。

市民センターで角文研について講義を行う吉田さん

川久保

はじめは緊張しましたね。角打ち自体はじめてだし、目上の方と飲みに行く機会もなかったので。失礼がないようにと、スーツみたいな格好で行ったくらいです(笑)。だけど実際は、その緊張がすっとほどけるくらい、めちゃくちゃ気楽で居心地がよかった。居酒屋とはまた違う、素朴で味のある空間で、社会的な垣根を越えていろんな人と自然に話せる。そこがすごく面白いなと思って、その日のうちに角文研に入会していました。

お話する川久保さん

川久保武将さん
北九州角打ち文化研究会会員。長崎県佐世保市出身。八幡東区の九州国際大学に在学中、3年時に臨時講師として「北九州観光と角打ち」をテーマに講義した吉田会長の話をきっかけに角打ちに興味を持ち、入会。2026年4月から北九州市内の信用金庫に勤務

川久保武将さんのポートレート

川久保

いまではひとりで利用することもあります。角文研で活動するようになってから、自分自身アクティブになったし、世界が広がったように感じますね。

5つの街が集まった「よそ者のまち」

―角打ちが根づいている背景には、北九州の風土や、人々の気風なども関係しているのでしょうか?

吉田

北九州は5市が合併してできた街*3で、小倉はもともと商都であり、軍都でもあります。江戸時代まで遡れば、小倉城を守る武士が多く住んでいた街で、門司は港町、若松は石炭の積み出し港、八幡や戸畑は製鉄所を中心とした工場の街。それぞれに異なる歴史や役割を持つ5つの街が、ひとつになっているんですよね。

特に八幡は、それまで小さな村のようだったところに製鉄所ができて、全国から何十万人もの人がやってきた「よそ者の集まり」といえます。そういう意味では、外から来た人たちを受け入れやすい土壌は、たしかにあると思います。警戒心に欠けるともいえますが(笑)。

*3 1963年(昭和38年)2月10日に門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の5市が対等合併して誕生した

―そういった「よそ者」が地域に混ざり合う場として、角打ちが機能してきたようなところもあるんでしょうか。

原田

そう言えると思います。いつだったか、私が角打ちをはしごしている最中、道に迷っている海外の方と出会ったんです。聞けば、プロレスの興行で北九州に来ているけれど、ホテルに行く道がわからないと。そこで案内がてら、「時間があるなら一緒に行こうよ」と角打ちに誘ったんです。そこで意気投合して、翌日はその方のプロレスの試合を見に行きました。

いまでもSNSを通じてつながっていて、何年かに一度、その人が福岡や北九州を訪れた際には、連絡を取り合って会うこともありますね。

原田佳美さんのポートレート

原田

角打ちをきっかけに北九州を好きになってくれる人もいて、その人が、新しく転勤で来た人に魅力を語ってくれる。そうやって輪が広がっていくんです。

「末松酒店」と書かれた酒屋に入る角文研一行

当日の撮影は西小倉にある、110年超の歴史を持つ末松酒店にて行った

―県外から移住してきた川久保さんは、印象に残っている角打ちでの出会いはありますか?

川久保

県外から来て一人暮らしをしていると、親ともなかなか会えないし、身近に相談できる師匠のような人もいません。それが角打ちに行くと、そこで出会う先輩方が、他愛もない話のなかで、社会人としての心得とか「会社ってこういうもんだよ」とか、いろいろ教えてくれるんです。

だから僕にとって角打ちで会う人たちは、「北九州のお父さん、お母さん」。そういう方々との縁を感じるようになり、自分も人とかかわりながら、北九州を盛り上げるような仕事がしたいと考えるようになりました。そこで卒業後も北九州に残り、地域に根ざした企業を就職先に選びました。

いまはまだ入社1年目で、落ち込むこともありますが、以前、角文研のメンバーの方から「川久保くん、就職して3年間は頑張りなさい」と言っていただいたことがあって。「辛いこともあるやろうけど、まずは修行と思いなさい」と。その言葉を胸に頑張っています。

ビールを各々のコップに注ぐ江藤さんと、それを見ている角文研のメンバー

子ども食堂に、異業種交流。角打ちは地域のコミュニティになる

―角打ちでの出会いが仕事に発展したりすることもあるんでしょうか?

吉田

あると思いますよ。それこそ角文研では一時期、赴任してきた銀行の支店長たちや、転勤などで外から来られた方たちを「猛烈に」歓迎するといったこともしていました。角文研の会員数が爆発的に増えた発足当初は、おそらく北九州で一番大きな異業種交流の場でもありましたね。

原田

いろんな会社の人と街をうろうろしながら、仲良くなりましたね。とある大きな銀行の北九州支店長をおもてなししたときは、気づいたら支店長のお宅にお邪魔して、すき焼きをしていた、なんて楽しい思い出もあります。

―角打ちは、年齢や立場を超えて、いろんな人とつながれる場なんですね。

江藤

そうですね。私がよく行くお店の女将さんは、かつて喫茶店を営んでいた方なんですが、なんともともと塾の先生もされていたそうで。その経験を活かして、店内で「子ども食堂」を開かれているんです。地域の子どもたちにご飯を食べてもらっているあいだ、お父さんやお母さんは角打ちを楽しむ。角打ちを拠点に、地域のコミュニティができているんですよね。

原田

私も長居はしませんが、小学生の子どもと角打ちに行くことがあります。駄菓子を置いている酒屋も多く、子どもがNGというわけではないんですよね。お店の奥に居間みたいなスペースがあったりして、親が飲んでいるあいだ、子どもたちはそこでお菓子を広げてジュースを飲んだり、遊んだりしています。30分だけふらっと立ち寄って一杯飲む。そんな気軽さもあるので、お母さんの息抜きの場になっていることもありますね。お風呂上がりに家族で来ている人なども見かけます。

子育て世代が集まるところ、単身者が多いところ、工場関係の人が多いところ。その店ごとのコミュニティがあるように思います。

ビールを片手に歓談する原田さんと川久保さん

―ということは、角打ちに行くと、その地域のこともいろいろ見えてきそうですね。

江藤

門司港に、すごく好きな角打ちがあって。80歳を超える女将さんが店番をしているのですが、その方の話をつまみにお酒を飲むのが楽しいんです。

街のこともよく知っていて、あるとき、近くにあるレトロな喫茶店に行きたくて「観光客が行っても大丈夫ですか。超渋い店なんですけど」って聞いたら「大丈夫よ、ここにおるから」って。隣にいたのが、その喫茶店のマスターだったりして。

原田

人間ドラマというつまみがあるんですよ。「店に歴史あり」という感じですね。

お酒の瓶やスナックが販売されている末松酒店の店内
「かくうち」と書かれたサコッシュを掲げる江藤さんと吉田さん

角文研オリジナルのサコッシュも。「肩がけできるので飲み歩きに便利なんです」とのこと

安否を気遣い合う関係。角打ちは「まちの公民館」でありサードプレイス

―あらためて、角打ちとは北九州の人たちにとってどのような存在だと思いますか?

吉田

ほとんどの常連さんには、それぞれ行きつけの店があって、店の人もお客さん一人ひとりのことをよくわかっているんですよね。いつも来る人が来なかったら「今日はどうしたんだろう」と気にかける。それこそ、安否を気遣うような関係なんです。僕らみたいに、いろんな店を巡って角打ちを楽しむのとは、また違う。地域に根づいた角打ちって、そういう日常のなかにある居場所のようなものだと思います。

江藤

僕は勝手に「酒が飲める銭湯」って言ったりします(笑)。近所の人が毎日ふらっと来て、顔を合わせて帰っていく感じが似ているんですよね。常連さんにとっては、行きつけの酒屋が暮らしのインフラなんです。

原田

過度なサービスやおもてなしがあるわけではないんですよ。特別なものは何もないのに、会話が楽しくて、笑いが生まれる。「まちの公民館」みたいな場所であり、職場でも家庭でもない「サードプレイス」なんです。

瓶からコップに注がれるビール

一歩目のハードルをどう下げるか。角打ちを次の世代へ渡すために

―角打ちの数が減っているとお聞きしました。今後、北九州の角打ち文化をどのように守り、未来へつないでいきたいと考えていますか?

川久保

僕は、若い世代で角打ちに行く人が少ないのを残念に感じています。若い人が飲む機会自体が減っていますし、角打ちに触れる機会も多くはありません。そのなかで、僕をはじめとする角文研の若手が、自分たちの世代に角打ちの魅力を普及することがある種の使命だと思っています。

大学時代、ゼミの研究発表で、角打ちのブースを出したんですよ。そのときはとても盛況でした。その経験もあって、若い人でも実際に行ってみれば、ハマる人はいると思うんです。なので、まずは最初の一歩を踏み出しやすい機会や環境をつくっていきたいです。

歓談する角文研のメンバー

―最近は、「ネオ角打ち」のような新しい形態のお店も出てきているようですね。

原田

「ネオ角打ち」はあくまで飲食店ですから、角打ちとは別物ですが、「角打ち」という言葉や文化に愛情を持って、そこに新しいシステムを組み合わせて営業するのは、いいことだと思います。それをきっかけに、角打ち文化に目を向けてもらうことにもつながりますから。

―本来の角打ちを新しくはじめようという人は少ないんでしょうか?

江藤

いまの時代、酒屋で利益を出すこと自体が簡単ではありません。北九州の角打ちが残っているのも、自前の土地や建物で営んでいる店が多いから。利益を追求するよりも、地域の常連さんとのつながりを大切にしながら続けているお店が多いんです。

吉田

酒販免許の取得など、いくつかハードルもあります。そのため、新しく角打ちをはじめるのは決して簡単ではありません。

―それでも、角打ちを未来につなぐ可能性はあるのでしょうか。

吉田

私はあると思っています。たとえば、閉店する店と継ぎ手をつなぐ仕組みや、酒販免許取得をサポートする制度があれば、存続の可能性は広がるはずです。実際に福岡市では、屋台文化を受け継ぐための仕組みづくりが進んでいます。角文研でも、北九州市に対して角打ち文化を残していくための提案を行っているところです。

―そのような状況のなかでも、角文研のみなさんは、20年以上も熱心に活動を続けてこられました。その原動力になっている想いを最後にお聞かせください。

原田

それはやっぱり、角打ちへの愛だと思います。角文研も当初は、単純に角打ちの魅力を伝えたいという気持ちで活動していました。でも、年々その数が減少していくなかで、「角打ちがなくなったら困る」という気持ちが大きくなっています。

私たちは角打ちを存続させたいし、できれば増えてほしい。いろんなハードルがありますが、それでも日々活動しながら、「何かできるんじゃないか」と考え続けています。

私自身、角打ちに通うようになったことで年齢がひとまわり違う友だちができ、人生が広がったような感覚があります。ひとつの出会いが次の出会いを呼んで、人との縁がぐるっとつながっていく。お互いに違う人生を歩みながら、一緒に年を重ねていける場所があるということは、とても素敵なことだと思います。

末松酒店の前に並んで立つ江藤さん、川久保さん、吉田さん、原田さん

この記事の内容は2026年10月14日掲載時のものです。

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Credits

取材・執筆
いわくまみちこ(マイアミ企画)
写真
上村窓
編集
服部桃子(CINRA, Inc.)

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