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人口1,300人の村に移住者が集まる理由。オフィスキャンプ東吉野の「人が人を呼ぶ循環」

  • 公開日
古民家を背景に、北川拓哉さんと坂本大祐さんが笑顔を見せている

奈良県東部に位置する東吉野村は、総面積の約96%を山林が占める山あいの村です。林業が盛んだった時代には約1万人が暮らしていましたが、現在の人口は約1,300人。高齢化率も約60%にのぼります。

一方で、2015年からの10年間で165人が移住。村の「こども園」に通う子どもは、いまやほとんどが移住者の子どもです。

転機となったのは、2015年にオープンしたコワーキングスペース「オフィスキャンプ東吉野」。なぜ、この小さな村に人が集まり、根づいてきたのでしょうか?

オフィスキャンプ東吉野を運営する坂本大祐(だいすけ)さんと東吉野村役場の北川拓哉さん、そして東吉野に惹かれて移住した青木真兵(しんぺい)さんに、地域に生まれた移住の循環を持続させるためのヒントをうかがいました。

大きな建物の背後に、緑の木々に覆われた山が広がっている

豊かな森林に囲まれた東吉野村役場。山あいの村ならではの風景が広がる

【東吉野村とは?】

  • 所在地:奈良県吉野郡(奈良市内から車で約1時間半、大阪市中心部から約2時間)
  • 地形:総面積の約96%が山林。吉野川上流の高見川が流れる
  • 気候:年間平均気温約13度、年間降水量約1,800ミリメートル。樹木の生育に適した環境
  • 人口:約1,300人、高齢化率約60%
  • 主な産業:林業(吉野林業発祥の地)
  • 名産品:柚子(2012年に奨励作物認定。村内の加工場でパウンドケーキや柚子胡椒などに加工)

山村留学の縁がつないだ、東吉野村への移住

―坂本さん自身、東吉野村には移住してこられたそうですね。きっかけは何だったのでしょうか?

坂本

大阪でフリーランスのデザイナーをやっていたのですが、働きすぎで体を壊してしまって。そんなときに思い浮かんだのが、中学時代に山村留学で1年間過ごした東吉野村でした。

当時の縁から両親もたびたび村を訪れるようになり、この場所を気に入って、すでに生活拠点を移していたんです。山村留学時代の同級生も、いまも役場やお寺で働いていて、つながりが続いていました。そうした背景が重なり、2006年に僕自身も東吉野村へ移り住むことになりました。

黒いキャップをかぶった坂本大祐さんが、室内で話している

坂本大祐さん
合同会社オフィスキャンプ代表。デザイナー/クリエイティブディレクター。2006年に東吉野村へ移住し、コワーキングスペース「オフィスキャンプ東吉野」の企画・設計・運営を担う

―体調が戻れば大阪に帰ることもできたと思うのですが、住み続けたのは何か理由があったのでしょうか。

坂本

価値観の変化が大きかったですね。大阪では都市の暮らしを維持するために働きまくっていたけど、それに疲れてしまった部分もあって。ここでは午前中に仕事を終えて、昼から川に入っていてもいい。お金をかけなくても楽しめることが結構ある。暮らしていくうちに、東吉野村での生活のほうが自分には合っているように思えてきて、いつの間にか大阪に戻る理由もなくなっていたんです。

山あいを流れる川に橋がかかり、周囲に緑の山々と集落が広がっている

オフィスキャンプ東吉野のそばを流れる高見川

移住相談窓口ではなく、来たくなる場所・オフィスキャンプ東吉野をつくる

―なぜ東吉野村で「オフィスキャンプ」という事業が生まれたのでしょうか。まず、当時の村が抱えていた課題から教えてください。

北川

林業が盛んだった1950〜60年代、東吉野村には約1万人が暮らしていました。当時は、仕事を求めて村外から移り住む人も多かったそうです。しかし、林業の衰退とともに仕事が減り、人口も現在の約1,300人まで減少しました。高齢化率も約60%にのぼり、人口減少や、それに伴う村の財政への影響は大きな課題になっていました。

そこで村では、移住者の受け入れを進めるために「空き家バンク*¹」の情報発信を強化していました。ただ、行政からの発信だけでは、移住を検討している方々に十分に情報を届けることが難しく、なかなか成果が出なかった。

*¹:自治体が地域内の空き家情報を収集・公開し、空き家を売りたい・貸したい所有者と、住みたい・借りたい希望者をつなぐ公的なマッチング制度

そんなとき、坂本さんが県の移住促進企画に協力すると聞き、村としても何かご一緒できないかと考えはじめたんです。

白いシャツを着た北川拓哉さんが、室内で話している

北川拓哉さん
東吉野村役場 総務企画課。移住・地域振興の担当として、オフィスキャンプ東吉野との連携業務にたずさわる

坂本

きっかけは、奥大和(奈良県南部と東部の19市町村の総称)の振興に関する相談でした。奈良県庁の福野博昭さんという方から「移住者の視点で、移住促進の企画を考えてくれませんか」と声をかけていただき、そこで示したのが、のちに「クリエイティブビレッジ構想」と呼ばれるアイデアです。

その構想の核を一言でいえば「ターゲットを絞ろう」というもの。漠然と移住を募るのではなく、市町村ごとの特徴に合わせてターゲットを決め、それに適したハードを整備する。たとえば、宇陀市はアーティスト、下市町は木工職人、東吉野村はデザイナーをはじめとしたクリエイター。そうして東吉野村がつくったクリエイター向けのコワーキングスペースが、このオフィスキャンプなんです。

古民家を改修した建物が、緑に囲まれた道路沿いに建っている

古民家をリノベーションしたコワーキングスペース「オフィスキャンプ東吉野」

ガラス扉に「OFFICE CAMP HIGASHIYOSHINO」の文字があしらわれている
木を基調とした室内に、薪ストーブや本棚、カウンターが設けられている

―ターゲットを絞るという発想は、どこから生まれたのでしょうか。

坂本

立ち上げ前、大阪時代の仕事仲間が自宅に来て合宿みたいになることがよくあったんです。山あいの環境で集まって仕事をするのが新鮮だったのか、みんなとても喜んでくれて。「こういう場所を、もう少しパブリックにしたら、もっといろんな人が来られるんじゃないか」というのが着想のもとでした。ターゲットが求める場所を提供できれば、移住者や関係人口が増えるんじゃないか——その考えがクリエイティブビレッジ構想につながっています。

―オープンから10年が経ちました。現在は、どのようなことを大切にして運営しているのでしょうか。

坂本

あくまで「コワーキングスペース」として運営することです。オフィスキャンプには移住相談の窓口や、移住者支援の拠点としての役割もありますが、それを前面に出さないようにしています。

「移住相談窓口」と掲げてしまうと、移住に興味のある人しか来なくなる。すると、どうしても「自分にとってどんなメリットがあるのか」という目線での訪問になりがちです。

そうではなく、お互い「普段着」のまま接することが重要。「山奥に変わったコワーキングスペースがあるらしい」とたまたま来て、興味を持った人のほうが、長期的に根づく可能性が高い。実際、オフィスキャンプのコーヒースタンドに観光ついでに立ち寄ったお客さんが、たまたま居合わせた村の物件オーナーとマッチングして、2日後に移住を決めたこともありました。

木を基調とした室内で、複数の人物がカウンターを囲んでいる

オフィスキャンプに併設されたコーヒースタンド。観光客から村の住民まで、誰でも気軽に立ち寄れる「普段着の入口」として機能している

「好きなこと」が居場所になる。移住者たちが重ねたコミュニティの層

―オープンからの約10年間で、どれほどの人が東吉野村に移住してきたのでしょうか。

坂本

2015年以降、165人が移住しています。人口の10%以上が移住者ということですね。村の「こども園」に通う子どもは、いまやほとんどが移住者の子どもです。

―10年で大きく変わったと。

坂本

逆にいえば「たった」10年で地域は変わるんです。この村も問題を完全に解決できたわけではないですが、10年あれば現状に歯止めをかけ、何らかの兆しを生み出すことはできる。どのような自治体にもチャンスはあるはずなんですよ。

黒いキャップをかぶった坂本大祐さんが、室内で話している

―移住した方々が東吉野村に根づいている理由はどこにあるのでしょうか。

坂本

いろいろな種類のコミュニティが重なり合っていること、つまり一人ひとりに居場所がいくつもあるという状態をつくることが重要なポイントだと思っています。

コミュニティデザイナーの山崎亮さん*²は、コミュニティを「地縁型」と「テーマ型」にわけて語っていますが、僕もその考え方に近い感覚を持っています。地域にもともとある地縁のつながりをベースにして、同じ興味や関心でつながるテーマ型のコミュニティがいくつも重なっていくこと。それは、「地域文化のなかに、都市文化を根づかせること」ともいえると思っています。

*²:studio-L代表。まちづくりや地域再生にコミュニティデザインの手法で取り組む。著書に『コミュニティデザインの時代』(中公新書)、『縮充する日本』(PHP新書)など

―都市文化、ですか?

坂本

一般論として、地方や郊外では、コミュニティの近さが暮らしやすさにもつながる一方で、人によっては少し窮屈に感じられることもあるといわれますよね。地縁のつながりは、その村に住めばほぼ自動的に所属するもので、それ自体は地域の大切なベースです。ただ、全員が顔見知りである安心感がある反面、地縁や血縁を中心としたつながりだけでは、居場所の選択肢が少ないと感じる場面もあると思うんです。

一方、都市には多様なテーマを持ったコミュニティ──たとえば本好きのコミュニティや、写真好きのコミュニティなどがあります。あるコミュニティが合わなくても、すぐに別の居場所を見つけられる。では、どんな場所が居場所になるかといえば、「自分もここにいていいんだ」と思える場所だと思うんです。

誰かの「好きなこと」や「心地よさ」を起点に生まれた場所は、同じようなことが「好き」や「心地よい」と感じるほかの誰かにとっての居場所にもなり得る。それが「テーマ型のコミュニティ」であり、地縁というベースの上にそうしたコミュニティを何層も重ねていくことは、「地域のなかに都市文化を根づかせる」ともいえることだと思います。

白い壁に、青や赤を基調とした抽象画が飾られている

オフィスキャンプに飾られている、坂本さんのお父さまが描いた作品。画家であるお父さまは、大きな絵を描ける場所を求めて東吉野村にアトリエを構えた。「好きなこと」が人を呼び寄せる連鎖は、ここからもはじまっていた

―誰かの「好きなこと」が、コミュニティの起点になり得ると。

坂本

「好きなこと」をやっている人が増えれば、誰かの居場所が増え、それが「都市的な暮らしやすさ」につながる。東吉野村のような規模の小さな地域では、コミュニティや暮らし方の選択肢が限られていると感じる人がいる一方で、自然や住環境のよさには魅力を感じている人もいると思うんです。であれば、そうしたローカルな環境のなかに多少の「都市文化」——コミュニティと居場所の多様さを持ち込めばいい、という考え方です。

古い建物が並ぶ通りを、白いTシャツ姿の坂本さんが歩く後ろ姿

取材中、村を案内する坂本さん。この通り沿いにも、移住者たちがつくった「居場所」がいくつも並ぶ

「絶対的な中心」をつくらないから、「いくつもの中心」が生まれる

―「やりたいこと」をやっている人を増やすことが、移住者や関係人口を増やすことにもつながると。

坂本

そういうことです。東吉野村では、移住者たちがコミュニティの拠点となる場所を次々と生み出しています。

移住者の一人である青木真兵さんが開設した人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」は全国的な注目を集めていますし、ケーキ屋の「リトルオーブン」には週末になると県内外からお客さんが訪れます。

「ザ・コンランショップ」の創業者で、イギリスを代表するインテリアデザイナーとして知られるテレンス・コンラン卿の孫であるフィリックスは、2024年に生活拠点をイギリスから東吉野村に移し、家具のアトリエを構えています。

大きな窓のある室内で、青いシャツを着た人物が本棚の前に立っている

東吉野村に拠点を構えたフィリックス・コンランさん。村役場のサテライトオフィスの一角にアトリエを持ち、家具デザインに取り組んでいる

白と黄色のソファが置かれた、明るい室内のラウンジスペース
フィリックスさんがデザインしたソファやカーペットが並ぶアトリエの一角
木の外壁の前に、「かめや」と書かれた白い看板が置かれている

「かめや」は坂本さんが設計にかかわった、まちづくり拠点のひとつ

大きな開口部のある建物の外観。室内のカウンター席で過ごす人の姿が見える

「かめや」の一角では、飲食店の「チャレンジショップ」として、1日500円で誰でもお試し営業ができる

木を基調とした店内で、エプロン姿の人物がピースサインをしている

この日は奈良市から足を運んだという方がお試し営業をしていた

木の外壁の前で、キャップをかぶった大谷彩貴さんが手を組んで立っている

「かめや」を管理する大谷彩貴さん。チャレンジショップや移住相談窓口の運営を通じて、地域のまちづくりを支えている

坂本

さまざまな人の「好き」や「やりたい」が実装されている場所としての東吉野村に興味を持った人が訪れる。そのなかから新たな移住者が生まれ、また新たな場所ができる。そんな循環が生まれているのだと思います。

―なぜ東吉野村には、居場所になるような場所が次々と生まれているのでしょうか。

坂本

僕自身が移住者の「中心人物」にならないことは強く意識してきました。立ち上げから3年ほどは毎日コミュニティに顔を出していましたが、それ以降は意識的に距離を置いています。特定の誰かに話を通さないと動けないような空気ができると、みんなが好きなことをやりにくくなってしまうので。僕自身も、オフィスキャンプという場所自体も、「移住者コミュニティの中心」にはしないよう意識してきました。

―「絶対的な中心」をつくらないことで、「いくつもの中心」が生まれたと。

坂本

10年間で165人の移住者のうち、オフィスキャンプがきっかけで移住した人は30人ほど。最近は僕やオフィスキャンプとの接点を持たずに移住する人が増えていて、これはとてもよい傾向だと思っています。

コロナ禍以降には、僕の知らない動きも増えてきました。そのひとつが写真家の西岡潔さんがはじめた「はじまりの東吉野オープンアトリエ」。村に住むクリエイターたちが数日間にわたってアトリエや工房を開放し、作品の展示・販売やワークショップを行うイベントで、移住者だけでなくもともとの住民も参加しています。2023年の初開催以来、参加者は年々増え、直近では約40組が参加しました。また、廃校を活用した地域交流の拠点づくりや、宿泊施設を中心にした祭りの恒例化に取り組むチームも生まれています。

以前は新しい動きはオフィスキャンプからしか生まれていなかったのが、いまは僕らの知らないところでたくさん生まれている。これこそが見たかった景色で、大きな手応えを感じています。

坂本大祐さんのポートレート

坂本

いまは海外から移住してきた方も10組ほどいて、外国人同士のコミュニティも生まれています。フィリックスをはじめとしたイギリス出身の方や、日本の近現代史に関心を持つメキシコ出身の方もいる。異国の地で同じ境遇の仲間がいるとやっぱり安心するみたいで、それもまたひとつの居場所ですよね。

市場原理では測れない場所を——人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」

数ある東吉野村の「中心」のひとつが、人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」です。自宅を開放して蔵書を公開するこの場所は、いまや全国的な注目を集める存在に。運営する青木真兵さんもまた、移住者の一人です。青木さんは、なぜこの地に根づき、どのような想いでルチャ・リブロを営んでいるのでしょうか。

―青木さんはなぜ東吉野村への移住を決めたのでしょうか。

青木

大学院を出たあと、大学の非常勤講師や博物館の学芸員をしながら神戸で暮らしていました。妻は大学の図書館司書で、2人ともキャリアを積もうとしていたのですが、夫婦ともに体調を崩してしまったんです。研究にも図書館の仕事にも「競争」がつきもので、そのなかで自分たちが無理をしていたところがあったんだと思います。そのタイミングで、たまたま出会ったのが東吉野村でした。

青木真兵さんが、大きな葉を手に笑顔を見せている

青木真兵さん
人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」キュレーター。古代地中海史研究者。博士(文学)。2016年に東吉野村へ移住し、妻とともに自宅を図書館として開放している(画像提供:青木真兵さん)

―では、東吉野村の存在すら知らなかった?

青木

全然知りませんでした。隣の吉野町に友人と一緒に遊びに来た際、このエリアを訪れたんです。そのとき、たまたまオープン前日だったオフィスキャンプに立ち寄り、坂本さんと出会いました。後日、妻と再訪して泊まってみると、夜はフクロウの声と川の音しか聞こえない静けさがとても心地よくて。2週間に1回は通うようになり、2016年3月に移住しました。

―その3か月後には、ルチャ・リブロをオープンさせていますよね。

青木

最も大きな理由は妻の存在です。妻は図書館でいきいきと働いていたのですが、体調を崩してその職場では働けなくなってしまった。であれば、自宅を図書館にして、もう一度楽しく働ける場をつくれないかと考えました。

もうひとつは、社会的な背景です。当時は、図書館や博物館の運営においても、利用者数や採算性といった数値を軸に価値を評価する動きが強まっていました。

でも、教育や文化は、社会における「心のインフラ」ともいえる存在です。その価値は、売上や利用者数などの市場原理だけでは必ずしも測りきれないと思っていました。だからこそ、数値や採算性だけに左右されず、教育や文化の価値を大切にできる場所をつくりたかったんです。

本棚のある室内で、複数の人物が輪になって座り、読書会をしている

ルチャ・リブロで開かれた読書会の様子(画像提供:青木真兵さん)

―ルチャ・リブロは東吉野村にどのような影響を与えていると感じていますか?

青木

正直、地域への貢献を強く意識してはじめたわけではなくて、妻にもう一度楽しく働いてほしいという想いが出発点なんです。だから、開館は月に10日ほどで、僕らが無理なく活動できることをいまも最優先にしています。村外や都市部からの方がほとんどですね。「いまの生活がしんどい」と感じている、かつての僕らのような人に向けて、「違う選択肢もあるよ」と発信しているので。

よく言われるのは、「こういう生き方をしてもいいんだと気づいた」ということ。この村には、既存のライフスタイルのなかから自分に合うものを探すのではなく、住む場所も暮らしも仕事も一から「手づくり」している人が多い。自分が心地よいと感じるやり方で暮らしている人たちの姿が、ルチャ・リブロを訪れる方にも影響を与えているのだと思います。結果的にそれが何か村のためにもなっているとよいのですけど。

―なぜ、東吉野村にはそのような方々が集まるのでしょうか。

青木

いい意味で、みんな放っておいてくれるんですよね。手厚い支援制度があるというよりは、行政も移住者同士も、近すぎず遠すぎない距離感がある。

そして、ここに暮らす人たちはみんな、まず自分自身の心地よさを大切にしている。その結果として、それぞれが自分にとっての居場所を自らつくり出しているんです。すべてがいい塩梅だからこそ、たくさんの人が集まり、根づいているのだと思います。

川辺の岩の上に、茶色い犬が立っている

愛犬との散歩。「フクロウの声と川の音しか聞こえない」静けさのなかに、青木さんの日常がある(画像提供:青木真兵さん)

ほどよい距離感のなかで、移住者が自分らしい暮らしを手づくりしていく。その土壌は、どのようにして整えられてきたのでしょうか。ここからは再び坂本さんと北川さんに、行政と民間の協働のあり方についてうかがいます。

行政と民間の協働を支えた一言「わからんけど、わかった」

―この10年間、行政と民間はどのように役割分担をしてきたのでしょうか。

北川

行政が担当しているのは、建物などハード面の整備です。施設の管理や運営、移住希望者に向けたPR活動などは、坂本さんにお任せしています。

坂本

このプロジェクトの肝は、グランドデザインから施設のデザイン、管理・運営までを、僕と、同じくこの村に移り住んだもう一人の仲間とが、一貫して担当していることだと思っています。

行政と民間の共同プロジェクトでは、企画・設計・運営を別々の企業が担うケースも多く、その過程で「伝言ゲーム」が起きやすい。最初に決めていたコンセプトが途中で薄れて、「これは何のための場所だったっけ?」となってしまうこともある。僕たちが上流から下流まで一気通貫でかかわることで、構想どおりのものをかたちにできているし、それが結果にもつながっているのだと思います。

ただ、最初に運営を頼まれたときは正直気が重かったんですよ。移住や定住の実績を出す責任がありますから。でも、県庁の福野さんからは「君が全部やるんやで」と(笑)。

室内で、黒いキャップをかぶった坂本大祐さんがノートパソコンを前に話している

―断ることもできたと思うのですが、それでも引き受けたのはなぜでしょうか。

坂本

当時の東吉野村の村長・水本実(みのる)さんが本気だったからです。県庁の福野さんから「やってくれ」と言われたとき、水本さんも一緒にいて、「俺や福野君が責任を取るから、思い切ってやってくれへんか」と。そこまで言ってもらえたら、「頑張ってみようかな」と引き受けたんですよ。

水本さんからはいつも、「村をよくしたい」「子どもの声が聞こえる村にしたい」という強い想いを感じていました。本当に情に厚い人で、移住希望者を面談して「どんな仕事してるの」「仕事がないなら、こんな仕事あるよ」と、いつも世話を焼いていたんですよね。

移住者の仕事を見つけるのは、村長の仕事ではありません。でも、水本さんはいつも移住者のために走り回っていた。村の人たちも同様に、移住者のことを気にかけてくれる人が多いんです。そういう人が周りにいると「俺も頑張らなきゃな」と思える。それが大きかったですね。

坂本大祐さんのポートレート

坂本

林業が盛んだった時代、東吉野村には仕事を求めてさまざまな地域から人が集まってきた歴史があるんです。炭鉱の街を想像してもらうとわかりやすいかもしれません。そうした背景があるからこそ、外から来た人を受け入れる風土が、いまもこの村に根づいているのだと思います。

―行政と民間の共同プロジェクトを進めていくうえでは、考え方が異なる場面もあったのではないでしょうか。

坂本

もちろんありましたよ。象徴的なのは、この場所に置かれているカラフルな椅子ですね。

オフィスキャンプの備品はすべて僕が選んでいますが、村の備品なので最後は村長が決裁します。僕が選んだのは、このカラフルな樹脂製の椅子でした。ただ、一脚33,000円と安くはない。あるとき村長に「うちの村は林業の村やで。同じお金を払うなら、木の椅子をたくさん入れればええやないか」と言われて。

たしかに、その意見ももっともです。でも、木材をふんだんに使った空間にあえてカラフルな樹脂製の椅子を置くこと——それは「ローカルな地域と都市」、「東吉野村の方々」と「よそ者」である僕がつくる場所の象徴でもあるんです。

その想いをうまく伝えきれないまま何度かやり取りをして、最後に村長が「わからんけど、わかった」と言ってくれた。これが一歩目だったと思います。そういったやり取りを積み重ねながら、ともにプロジェクトを前に進めてきたんです。

木を基調とした室内に、大きな木製テーブルと色とりどりの椅子が置かれている

地元産の樹齢約400年の大木を使ったテーブルに、坂本さんが選んだカラフルな樹脂製の椅子が並ぶ。木材をふんだんに使った空間にあえて都市的な色彩を持ち込む——「ローカルな地域と都市」をつなぐ象徴的な場

―すべてを理解したわけではないけれど、それでも「任せる」と。

坂本

結局、人と人とが完璧にわかり合うことなんてできないということなんだと思います。まったく違う環境で、違う経験をしてきたのであればなおさらです。それでも、お互いに認め合い、任せる。僕自身も、「村長がそう言うなら間違いないだろう」と決定をお任せした場面は幾度もあります。

―もともとこの村にお住まいの方々との関係は、どのように築かれていったのでしょうか。

北川

水本さんが、行事など村民が集まる機会のたびに、移住者への理解と協力を求め続けていました。それによって下地がつくられ、受け入れやすい体制ができていったのだと思います。

坂本

本当に、ことあるごとに言ってくださっていました。毎月の区長会で、「村から出たあなたたちの息子や娘は、なかなか帰ってこないかもしれない。だから、移住者たちを息子や娘だと思って支えてくれ」と。

そして、こういった地域にとって「人」はインフラなんです。月1回の水路掃除や草刈りも人手がいないと立ちゆかないし、高齢の方には大きな負担。そこに若い人が1人でも加わることで、地域の方々に移住者の存在意義を感じてもらえるようになり、理解が進んでいきました。

地域づくりは、河原に咲く一輪の花のように

―行政側としては、東吉野村の変化をどのようにとらえていますか?

北川

村外からの見られ方が大きく変わったと感じています。坂本さんが外部での講演などを通じてPRしてくださるおかげで、東吉野村が移住・定住の先進地として注目されるようになりました。手に職を持ったクリエイターの方々が移住してくださることで、それがさらに広がっていると感じています。

―今後は、どのようなことに取り組んでいきたいですか?

坂本

毎回明確にビジョンを持ってやっていることは、そんなに多くないんです。都市で求められるのは「線形の思考」——いまの延長線上に目標を立て、そこに向かって何をすべきかを考えるやり方。でも、地域にとって大切なのは、目的地にたどり着くことよりも、いまの暮らしやコミュニティを続けていくことだと思っています。そのために必要なのは「線形の思考」ではなく「円環の思考」です。

―「円環の思考」とは、どのような考えを指すのでしょうか。

坂本

いわば、「同じことの繰り返し」をめざす考えです。四季が巡るように。冬が終われば春が来ますよね。でも、まったく同じ春は二度と来ない。一見同じことを、内実を変えながら繰り返していく。ただ、四季は自然と巡りますが、人の営みはそうもいかない。そこには行動と工夫が必要です。

僕たちにとっての「四季」とは、「移住者が自らの『やりたいこと』をやり、それが新たな移住者を呼ぶ」というサイクル。そのサイクルを止めないために必要なのが、「ケア」と「エンパワーリング」だと思っています。

たとえば、さきほどお話ししたケーキ屋のリトルオーブンを経営している方から、オープン前にいろいろと相談を受けました。まずは「何をやりたいのか」にじっくり耳を傾ける。これが「ケア」です。そのうえで、どうすれば実現できるのかを一緒に考え、心から応援する。これが「エンパワーリング」。その結果、彼女の努力もあって人気店になり、村民たちは、毎年クリスマスに東吉野村のケーキを食べられるようになった。以前は隣町のコンビニでケーキを買うしかなかった僕たちにとって、これはとても大きなことなんです。

誰かの「何かやりたい」という想いに足を止めて耳を傾け、心から応援する。それだけで人はすごく勇気づけられるはず。誰でも明日からできることが、この地域の循環を持続するうえでいちばん大事なことだと思っています。

僕自身が福野さんや水本さんにそうしてもらったからこそ、そのバトンを次の世代にも渡していきたいと考えています。

―東吉野村には、坂本さんの活動を受け継ぐ若い世代がいるのでしょうか。

坂本

合同会社オフィスキャンプには20代の若手社員が数名いて、その子たちがここで何をつくり、何をするのかを楽しみにしています。僕の活動を継承するというより、それぞれが「これが必要だ」と思ったものを生み出してほしい。僕自身もできることは続けていきますが、然るべきタイミングでバトンを渡し、この場所で好きにやってもらいたいと思っています。

―「移住者の『やりたい』を後押しする」という意味では変わらないけれど、プレイヤーが変われば後押しの仕方も変わる。それが「同じことを内実を変えながら繰り返す」ということなのですね。

坂本

そうですね。そこの河原にも、毎年同じ場所に同じような花が咲くんです。でも、今年咲いた花と来年咲く花は、まったくの別物のはず。一見同じに見えても、構成する要素は日々変化し、入れ替わり続けている。

地域も同じだと思います。対外的に「前に進んでいること」を発信する必要も、それをめざす必要もない。ただ静かに同じことを繰り返しながら、ゆっくりと変化を続けること——そういった「円環の思考」こそが、地域づくりには求められているのだと考えています。

川辺に立つ北川拓哉さんと坂本大祐さんが、緑に囲まれた自然のなかで笑顔を見せている

この記事の内容は2026年8月20日掲載時のものです。

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Credits

取材・執筆
鷲尾諒太郎
写真
佐藤翔
編集
包國文朗(CINRA, Inc.)

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