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「地元には何もない」は思い込み?民俗学者と歩いて学ぶ、地域の魅力の見つけ方
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「自分たちが住む街には何の魅力もない」「特別な歴史もない」——そう思い込んでいる方は少なくないはず。でも、本当にそうでしょうか?
近年、地域の価値を発見する方法のひとつとして、民俗学が注目を集めています。民俗学というと、少し難しく聞こえるかもしれませんが、実は私たちが暮らす街を新たな視点からとらえ直すためのヒントを与えてくれる学問なのです。
そんな民俗学の面白さを『現代民俗学入門』などの著書をとおして伝えているのが、民俗学者の島村恭則さんです。島村さんは「人間が暮らしているところならば、どこにでも民俗はある」と力説します。
今回は、島村さんの地元である兵庫県西宮市を街歩きしながら、誰もが自分の地元や旅先で地域の魅力を発見できる「地域の読み方」や、町おこしにつなげるためのヒントを聞きました。
民俗学の視点で歩けば、見慣れた街が違って見えてくる
―民俗学について「妖怪や昔話について研究する学問」のようなイメージをもっている方も多いかもしれません。実際はどのような学問なのでしょうか?
島村
民俗学とは、まさに「民俗」を研究する学問のことです。たしかに農村や漁村に古くから伝わる民間伝承(妖怪、昔話、伝説、祭りなど)を研究するものでもありますが、現代の民俗学ではより広い視座に立った研究が進められています。
島村恭則さん
民俗学者。関西学院大学 社会学部長・教授。民間信仰、シャーマニズム、都市伝説、引揚者、在日コリアン、喫茶店モーニング文化、花街、私鉄沿線文化、世界民俗学史、認知科学をふまえた民俗学理論などを幅広く扱っている。『現代民俗学入門』などの著書をとおして、民俗学の面白さについても伝えている。最新の著書に、『恐怖の民俗学』(SB新書)、『韓国の都市伝説』(ちくま文庫)などがある
―民俗学では、私たちの日常や街の風景も研究対象になるのでしょうか。
島村
そのとおりです。もともと民俗学は私たちの身近なことを取り上げるもので、誰もが参加できる開かれた学問なんです。都市伝説やB級グルメ、ネットミーム、パワースポット……そして今日、私たちがこれから歩くような街の風景も、民俗学では立派な研究対象になります。
―なるほど! 今回は島村さんと一緒に、先生の勤務地がある兵庫県西宮市の街を歩いていきます。ここは民俗学的に見て面白い街なのでしょうか?
島村
とても面白いですよ。西宮といえば、甲子園球場や、いわゆる「山手の高級住宅地」といったイメージを持つ人もいるかもしれません。ただ、それだけではありません。西宮の街を観察すると、3つの「歴史的・文化的地層」にわけて考えられることがわかるんです。
―3つの地層、ですか?
島村
はい。ただ単にいまの空間を見るだけでなく、過去の歴史という時間軸を掛け合わせることで、街の境界線や重なりが見えてくるんです。
では、さっそく街を歩きながら、その地層を実際にたしかめに行きましょうか。
【今回島村さんと歩くルート in 兵庫県西宮市】
今回島村さんと歩く場所のマップ
民俗学的街歩きへいざ出発!
島村さんと歩く。西宮の「3つの地層」を巡る民俗学的フィールドワーク
一番古い歴史をもつ「海の地層(A層)」を歩く
―まずは「西宮神社」にやってきたわけですが、ここは全国に約3,500社あるえびす神社の総本社でもあるそうですね。
島村
お正月の「福男選び」でも知られるこの西宮神社は、西宮の原点ともいえる一番古い場所です。祀られているえびすさまは、よく釣竿と鯛を手にした姿で描かれることからもわかるように、もともと「海の神さま」です。
西宮神社の表大門
島村
いまでこそ西宮神社は、少し内陸にありますが、江戸時代より前はこのすぐ近くまで海岸線が迫っていました。つまり、海のすぐそばで祀られていた漁の神さまだったんです。
このように、街に古くからある神社仏閣のような「街のはじまり(発祥)の場所」を探ることは、民俗学的な街歩きの基本。そうした場所を起点にすると、「なぜここに海の神さまが祀られているのか=かつてここは海だったのだ」というように、いまの景色からは見えないその街の歴史や地形の成り立ちが見えてきます。
3〜4世紀頃の西宮周辺の地形図に、現代の鉄道や道路、施設の所在地を重ねたもの。現在は内陸にある「西宮神社」も、当時は海辺に位置していたことが見て取れる
江戸中期(1748年)の西宮付近の地図。「西宮神社」はすでに内陸に位置している。江戸時代の干拓による田畑の造成をきっかけに、明治時代にかけて埋め立てが進み、現在の地形へと変化していった
西宮神社の拝殿
―なるほど。かつてはここが海との境界線だったからこそ、海の神さまが祀られているわけですね。
島村
そうなんです。また、地域の起源を探るうえでは「地名」も有効です。たとえば、西宮神社の東鳥居から道を挟んで向こう側一帯は「西宮本町」といいます。このように、街のなかでも特に古い場所には「本町」という名前がつくところが多いんですよ。
大阪市中央区にも本町という地名がありますが、あそこも船場の一番中心の場所です。そのように地名から街の起源や構造を推測することができます。
―(移動して)さて、西宮神社近くの酒蔵通りにやってきました。その名のとおり、酒蔵がたくさんありますね。
島村
そうですね。西宮が海沿いの街だったことは、信仰だけでなく「産業」にも大きな影響を与えたんです。
このあたりは、六甲山系からの伏流水が海に近い地層をとおって湧き出るため、海由来のミネラルを含んだ硬度の高い水になります。鉄分が少なく発酵に適したこの水は「宮水」と呼ばれ、日本酒造りの名水としてブランドになってきました。
―海の恵みが信仰だけでなく、産業まで生み出していたんですね。
島村
ただ、西宮の街のベースをつくった古い地層は、この海沿いだけではありません。海と同じくらい古くから、人々の暮らしを支え、独自の発展を遂げてきたのが「山」なんです。次は山の方へ行ってみましょう。
【ここまでの民俗学的街歩きのポイント】
- 「街のはじまり」を起点にする
→古い神社のような「発祥の場所」を探ると、かつての地形や歴史が見えてくる - 「産業」に注目する
→その土地で栄えた産業を調べると、その土地特有の自然環境が見えてくる
山岳宗教のエリア「山の地層(C層)」を歩く
―次にやってきたのは、山沿いです。阪神タイガースが必勝祈願にやってくることでも知られる「廣田神社」が見えてきましたね。
島村
ここも重要な場所です。ちょっと立ち寄ってみましょうか。
廣田神社の参道
―立派な神社ですね。
島村
ここは天照大御神の荒御魂(あらみたま)を祀る、非常に格式高い神社です。京の都から西方にある特別に重要な神社だったことから、中世の公家たちはこの廣田神社を「西宮」と呼び、その別称が現在の「西宮」という地名の由来になったともいわれているんですよ。
―西宮の地名の由来なんですか! それは地域にとって重要な場所ですね。
島村
ちなみに、このあたりには田んぼが広がっていたので、神社にも「廣田」という名前がつきました。ほかにも、米づくりが盛んだった土地で「田」のつく地名がつけられている例はたくさんあります。神戸市「長田」区や、三宮駅前の「生田」神社もそうです。こうした地名をつけることで、いいお米がたくさん収穫できると信じられてきたんですね。
そして、この神社でもうひとつ注目してほしいのが背後の景色です。
お椀を伏せたような丸いかたちの山が「甲山(かぶとやま)」
―兜のように特徴的な形をした山が見えますね。
島村
あれが「甲山(かぶとやま)」です。このあたりは古くから甲山からの水が流れ込む豊かな土地でした。甲山は廣田神社のご神体の山ともいわれており、山そのものを畏れ敬う気持ちから、麓の暮らしの場に社を構えたことがわかります。
さて、次は甲山に行ってみましょうか。
―(移動して)甲山の山麓に立つ「神呪寺(かんのうじ)」にやってきました。
島村
ここ神呪寺は、真言宗御室派の別格本山で、弘法大師(空海)が開山にかかわったと伝えられる寺院です。
「神呪寺」の本堂。「呪」という字は「呪い」の意味ではなく、真言宗で唱えられる真言(マントラ / まじない)に由来する。堂内には、国の重要文化財に指定されている「木造如意輪観音坐像」が秘仏として安置されている
島村
先ほどの廣田神社で、甲山は人々が麓から拝む「水源の山」だったとお話ししましたよね。
―はい。それなのに、なぜわざわざ山の中にお寺が建てられたんでしょうか?
島村
そこが面白いところなんです。もともとは一般の人がむやみに入らない神聖な場所でしたが、のちに山の信仰と結び付いた真言宗系の寺院がこの中腹に建てられたのです。
そうして西宮において、海側とは違う「信仰圏」として独自の発展を遂げたのが、この山沿いの「C層」というわけです。
神呪寺の寺標
―(移動して)境内の東側の展望台は、素晴らしい眺望ですね。
島村
民俗学的街歩きでは、「高いところに登る」ことも大事なんですよ。こういうところから見ると、空間的な構造が見えてきます。
神呪寺境内からの眺望
島村
たとえば、向こうに緑色の道のようなものが見えると思いますが、あれは武庫川(むこがわ)の河川敷に続く緑の帯で、かつては堤に松並木も植えられていた場所です。川の向こう側が尼崎市、さらに先が大阪市。手前は西宮市です。
明治以降、大阪は水陸交通の便がよかったこともあり次々と造船所や工場ができて、「煙の都」になってしまう。そのため、住みやすい環境を求め、人々は川のこちら側——つまり西宮に住宅を求めるようになるんです。
―それが後ほど訪れるB層の郊外住宅地になっていくわけですね。
島村
そういうことです。もともと西宮には、海沿いの歴史ある街(A層)と山沿いの神聖な場所(C層)しかありませんでした。しかし近代になって産業が発展したことで、その中間に新しい住宅地(B層)が切り拓かれていったんです。
島村
また、川の向こうにビルがたくさん建っていますが、あれは大阪の梅田。その奥に広がる海が大阪湾です。
―西宮から大阪湾まできれいに見わたせますね。
島村
ええ。あの大阪湾が西日本からずっと続く「瀬戸内海の東の終点」にあたるんです。
瀬戸内海というと広島や岡山をイメージしがちですが、実はここ西宮も、その東の端に位置する街なんですね。そういう立地のなかで、海の信仰である「えびす信仰」がさかんになったというわけなんです。
―ただ景色を眺めるだけでなく、「全体のなかでの位置づけ」を考えることが、街歩きの面白さにつながっていくわけですね。
島村
ええ。「大阪湾は瀬戸内海の終点だ」という気づきのように、全体を俯瞰することで、遠く離れた別の場所とのつながりや、なぜそこに固有の文化が根づいたのかという「理由」まで見えてくるんです。
そうやって大きな視点をもてるようになることも、民俗学的な視点で街を歩く最大の醍醐味ですよ。
【ここまでの民俗学的街歩きのポイント】
- 高いところに登ってみる
→街全体を俯瞰することで、海・山・川の配置といった空間的な構造が見えてくる - 「全体のなかの位置づけ」を考えてみる
→遠く離れた別の地域とのつながりや、その土地に固有の文化が根づいた理由が見えてくる
民俗学的街歩きも、いよいよ後半戦!
モダンな文化が入り込んだ郊外住宅地(B層)を歩く
―さて、最後にB層の郊外住宅地にやってきました。豪邸が並んでいて、先ほどまでとはだいぶ雰囲気が違います。ここには西宮の象徴ともいえる「阪神甲子園球場」もありますね。
島村
ええ。甲子園というと野球場の名前だと思われがちですが、実はこの一帯は大正時代に阪神電鉄が住宅地と大運動場をセットで開発したエリアなんです。
1924年、十干十二支の「甲子」の年にあやかって、この地域一帯を「甲子園」と命名しました。そして大運動場として建てられたのが、現在の甲子園球場のはじまりなんですよ。
阪神甲子園球場の外観。取材時には阪神戦が行われており、球場周辺は多くのファンでにぎわいを見せていた
―そうだったんですか! 球場ありきで街ができたわけではないんですね。
島村
はい。住宅地との一体開発です。このあたりは、武庫川の支流だった川を大正時代に埋め立てて造成されたエリアなんです。甲子園の一番町や二番町といった町名は、開発のときに宅地をいくつかのブロックにわけて番号をつけた名残だといわれています。
つまり、土地の成り立ちが地名として残っているということです。
西宮周辺の地図。島村さんが指さしているのは、埋め立てられた枝川のあたり。地図を見ると、この付近の川が埋め立てられていることがわかる
―面白いですね。街並みは碁盤の目になっていて、計画都市としてつくられたことがわかります。
島村
モデルになったのは、イギリスのレッチワースという田園都市といわれています。1910年代に、関西の私鉄である阪急電鉄をはじめとした電鉄会社が、当時としては大きな規模で沿線開発を進めました。そのタイミングで多くの人が移り住み、甲子園をはじめ、甲陽園、苦楽園など「西宮七園」と呼ばれる住宅街が次々とできました。
―鉄道会社の沿線開発などによって、街の姿が大きく変わっていったんですね。
島村
そうですね。私鉄は、都市や沿線の街同士を結ぶだけでなく、自ら住宅地や商業施設を開発して「街ごと育てる」ビジネスとして発展してきました。
一方で、国鉄(現在のJR)は、東京から神戸・下関へと続く長距離の幹線輸送を目的に、比較的人家の少ない場所を選んで線路や駅がつくられた例が多いんです。こうした鉄道の成り立ちの違いも、街を読み解く重要なヒントになりますね。
阪神電車の西宮駅。私鉄各社の沿線開発が西宮のまちづくりに大きな役割を果たしてきた
―(移動して)阪急の甲陽園駅の近くにやってきましたが、このあたりもモダンな豪邸が多いですね。
島村
ここ甲陽園は「阪神間モダニズム」と呼ばれる近代的な文化様式の象徴のような場所です。
―「阪神間モダニズム」とはなんですか?
島村
先ほど説明したように、明治の末ごろから、大阪の街が工業化・過密化して住みにくくなったこともあって、商人や実業家などの富裕層が、阪神間(大阪と神戸の「間」に位置する地域のこと)の郊外に別荘や自宅を構えるようになりました。
彼らが持ち込んだ西洋風でモダンなライフスタイルが根づき、芦屋や西宮・甲陽園といった阪神間の郊外住宅地は、「阪神間モダニズム」と呼ばれる近代的な文化様式を象徴するエリアになっていったんです。
―海側の「A層」と山側の「C層」のあいだに、モダニズムの文化(B層)が入り込むことで、西宮が重層的な街になっていったことがよくわかります。
島村
そうですね。ちなみに「阪神間モダニズム」を象徴するもののひとつが、ケーキなどの洋菓子。有名洋菓子店の「ツマガリ」もこの甲陽園に本店があります。
―ハイカラなモダニズム文化の象徴といえば、たしかに洋菓子ですね。
島村
街にある有名なお店を調べるのも、民俗学の面白い視点なんです。「人」に歴史があるように、「お店」にも必ず過去の歴史があります。なぜこの場所でお店を開いたのか。そして、どのようにしてこの街を代表するような存在になっているのか——。過去を遡ることで、見慣れた現在の街の風景がさらに面白くなってきますよ。
西宮市甲陽園本庄町に店舗を構える、洋菓子店「ツマガリ」。1987年創業。焼菓子や本店限定ケーキが人気を博し、西宮を代表する洋菓子店として知られている
【ここまでの民俗学的街歩きのポイント】
- 「地形と地名」に注目してみる
→地図で地形と地名を照らし合わせることで街の成り立ちがわかる - 「鉄道の成り立ち」に注目してみる
→私鉄やJRなど、鉄道がつくられた目的を知ることで、駅周辺の雰囲気の違いや、街の発展の歴史がわかる - 地域の「有名店」に注目してみる
→地域の有名店の来歴を遡ることで、地域の特色や歩んできた歴史が見えてくる
過去と現在を結びつけ、地域資源を発見する
―今日は島村さんと一緒に西宮の街(A層〜C層)を歩いてきました。こうした「民俗学的街歩き」の視点は、当然、西宮以外の場所にも応用できるわけですね。
島村
もちろんです。「民俗学的街歩き」は、方法さえ身につければ誰にでもできるものなんです! というのも、民俗学的な見方には、汎用性があるからです。街というのは人々の文化や暮らしの積み重ねですから、日本のどこに行ってもベースとなる構造は意外と似ているんです。
たとえば、今回歩いた西宮のように「海と山に挟まれた街」でいえば、ここから山口県まで、山陽新幹線沿いの街の構造はかなり似ています。どこも山と海に挟まれ、その間に住宅地が形成されているわけです。
―一見するとまったく違う街でも、意外と似た構造をもっていることがあるんですね。
島村
ええ。たとえば、日本各地にある城下町も江戸時代に計画的につくられた都市なのでどこも似ているんです。以前、城を中心に描かれた街の地図を見ていて、松山だと思ったら高知だったことがありました。そのくらい区別が難しいんです。
―過去を知るだけでも面白いですが、ただ歴史を学ぶのとは違うのが「民俗学」の視点ですよね。
島村
ええ。ただ単に過去をさかのぼっただけだと、時系列に沿って事実を並べた歴史案内で終わってしまう。民俗学ではそうではなく、「いま(現在)の街を見るために過去を遡る」んです。歴史と現在を結びつけたところに発見があるんですね。そうすることで、誰にでも楽しめるものになります。
―そうして現在と結び付けて見つけた「地域の魅力」が、実際に町おこしにつながった事例はあるのでしょうか?
島村
ありますよ。たとえば岩手県遠野市や広島県三次市は民間伝承や妖怪の話を、広島県の鞆の浦(とものうら)は古い歴史的景観を観光資源として活用し、多くの人を呼んでいます。
地域に根ざした物語や歴史は、その土地ならではの「民俗学的な知的財産」です。それらを守り、現代のかたちで活かすことが、地域の魅力を高める町おこしへとつながっていくんですよ。
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―では、これから読者が実際に民俗学的な視点で街歩きをするとき、おすすめの方法があれば教えてください。
島村
まずは街歩きの前に、事前準備として情報収集をしておくことです。たとえば、過去の地図を見て地形の成り立ちを確認しておくと、現地での発見がより深まります。いまはインターネット上で少し検索するだけで、多くの情報が見つかります。そうやって事前に知識を入れたうえで、現地で地元の生きた情報を収集するのがおすすめです。
―では、現地での情報収集にはどんな方法がいいのでしょうか?
島村
喫茶店のモーニングがいいですよ。地元の人が集まるので、下町なのかオフィス街なのかなど、街の雰囲気がパッとわかるんです。
図書館や博物館に行って、展示の説明をしてくれるボランティアガイドの方に、地元情報を教えてもらうのもおすすめです。あとは、飲み屋に行くこと。繁華街から少し外れたあたりの、地元の人しか来ないような小さな小料理屋や、スナックもいいですね。
―ネットやガイドブックには載っていない、ディープな話が聞けそうですね。
島村
そうですね。自分の地元でもふだん行くことのない店に足を踏み入れてみると、まだ知らない地元の情報を知る機会になるはずです。
―「地元には何もない」と感じてしまう人は多いと思いますが、街の魅力に気づくためにできることはありますか。
島村
ぜひ、ほかのいろいろな地域を街歩きしてみてほしいですね。1か所でつまらないと諦めず、まずは3か所くらい違う街を巡ってみてください。そうすれば自然と、違いと共通点が見えてくるはずです。
そうやっていろいろな場所を回遊してから、自分の街に戻ってきたときには、「もしかしてうちの街はここがユニークなの?」という比較の観点が生まれます。きっともう「地元には何もない」とは思えなくなるはずです。
―地元のことしか見ていないと、すべてが「当たり前」に見えてしまうのかもしれませんね。
島村
そうですね。やはり、感受性を高めることが大切なのだと思います。たとえば山の中に入っても、植物のことに興味がないと、ただ木が生えているだけだと感じると思うんですね。でも、山の専門家に植物の見方などを教えてもらうと、同じに見えていた木が違って見えてくる。
街歩きも同じで、「この地名の由来は何だ」「ここの地形はなぜこうなっているのか」——そうやって少し見方を変えることで、街に対する好奇心が育まれ、見慣れた地域も途端に面白く見えてくるのではないでしょうか。
この記事の内容は2026年6月30日掲載時のものです。
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Credits
- 取材・執筆
- 大石始
- 写真
- 佐藤佑樹
- 編集
- 牧之瀬裕加(CINRA, Inc)