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田舎移住のリアルとは。今治市で料理人・農家・ベーグル店主が見つけた自分らしい暮らし
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田舎移住のリアルとは、どのようなものなのでしょうか。今回は、その実像を探るため、移住先として注目を集める愛媛県今治市に焦点を当てます。瀬戸内海の穏やかな気候のなか、島・街・山の暮らしが共存するこの地域では、多様な人々が自分らしい暮らしを実現しています。
フレンチアルプスの原風景に重なる瀬戸内の集落でレストランを開いた料理人、幼い頃に見た祖父母のミカン畑への憧れを胸に新規就農した農家、「時計のない暮らし」を手に入れたベーグル店主。
三者三様の移住ストーリーと行政への取材を通じて、移住のきっかけや暮らしの変化、地域とのかかわり方を紐解きます。それぞれの声から見えてきたのは、自分らしい田舎暮らしをかたちづくるためのヒントでした。
【今治市ってどんなところ?】
- 愛媛県北東部に位置し、瀬戸内海に面した人口約15万人の都市
- 世界的なサイクリングルート「しまなみ海道」の四国側の玄関口
- 2005年に12市町村が合併。島・街・山と多様な暮らし方やそれぞれの伝統文化が共存している
- 温暖な瀬戸内の気候。柑橘類をはじめとする農産物や海産物が豊富
- 今治タオル、造船業など、ものづくりの産地としても知られる
サイクリストの聖地、しまなみ海道(画像提供:今治市)
柑橘栽培が盛んな今治市(画像提供:今治市)
「今治タオル 本店」の店内。今治市は国内有数のタオル産地としても知られる(画像提供:今治市)
なぜ今治市は移住先に選ばれるのか。多様な暮らしを包む「今治時間」
まずお話を聞いたのは、今治市役所で移住政策を担当する菅貞之(かん さだゆき)さん。「受け入れる側」の視点から、今治市が移住先に選ばれる理由を語っていただきました。
―今治市は移住先としても注目を集めています。菅さんは、その理由をどのようにとらえていますか?
菅
やはり、しまなみ海道の存在が大きいでしょう。世界的に有名なサイクリストの聖地なので、「観光客に向けたビジネスをはじめてみよう」という人も数多くやってきます。
特に東京や関西などの大都市圏に暮らす方からは、「瀬戸内海は温暖な気候で暮らしやすい」というイメージを持っていただいていると感じます。穏やかな気候のもと海の近くで暮らしたいという方にとって、瀬戸内は距離と気候のバランスが「ちょうどよい」のだと思います。
あとは、子育てのしやすさでしょうか。現市長になってから子育て政策に力を入れており、全国の市町村を対象にした移住ランキング*1などでも、そうした取り組みを評価いただくことがあります。移住相談でも、子育てに関する質問は非常に多いです。
*1 宝島社『田舎暮らしの本』2026年2月号
しまなみ海道の橋。穏やかな海と多島美が織りなす風景も、今治市の大きな魅力のひとつ(画像提供:今治市)
―菅さん個人としては、どのような点に今治市の魅力を感じていますか?
菅
多様な生き方を選べる点だと思います。もともと12の市町村が合併してできた市なので、地域ごとに特色が大きく異なります。島暮らし、街暮らし、山暮らしが選べますし、仕事も里山での農業から、しまなみ海道での観光関連の起業までさまざま。人口約15万人*2の市ですから働き口も多く、自分に合ったライフスタイルを選べるんです。
文化も地域ごとに違います。祭りひとつとってもさまざまな特色があり、ひとつの市にいながら多様な文化を楽しめる。そんな多様性のなかで、思い思いに過ごせる時間を、私たちは「今治時間」と呼んでいます。
*2 「今治市 住民基本台帳人口統計」より(2026年3月時点)
今治地方の春祭りで披露される伝統芸能「継ぎ獅子」。各地域に根づく伝統行事が、今治市の多様な文化を伝えている(画像提供:今治市)
―行政としては、いつ頃から移住施策に力を入れているのでしょうか。
菅
2015年頃から、地域おこし協力隊として年間3人ほどの移住者を受け入れるようになりました。2020年度からさらに力を入れ、2024年度には「定住支援員制度」を創設しました。
定住支援員制度は、移住してきた人が地域の風習や暮らし方の違いから抱える困りごとを、市役所だけでなく、地域の人たちも一緒になってサポートする仕組みです。自治会長さんや先に移住してきた方々に定住支援員を担っていただき、新たな移住者にどんな支援が必要かを勉強会で一緒に考えたりしながら、地域ぐるみで受け入れる体制をつくっています。
もともと今治には、困っている人を放っておかない、いい意味で「おせっかい」な人が多い。その「善意のおせっかい」を制度化し、持続可能な仕組みにしたかたちですね。
今治市で利用できる代表的な移住支援制度
下の表は横方向にスワイプできます
<全国的な制度を今治市で活用しているもの>
| 制度名 | 概要 |
|---|---|
| 地域おこし協力隊 | 総務省の制度。都市部の人材を自治体が受け入れ、地域活動に従事してもらう。今治市は2015年頃から年間3名程度を受け入れ。 |
| 空き家バンク | 行政を通じて空き家の売買・賃貸情報を公開する制度。今治市では、登録物件に入居した場合に30万円分の家電購入ポイントが支給される。 |
<今治市独自の取り組み>
| 制度名 | 概要 |
|---|---|
| 定住支援員制度 | 2024年度に創設。先発移住者や自治会長、地域おこし協力隊OBなどを「定住支援員」として育成し、新規移住者の暮らしをサポートする仕組み。 |
| 住もういまばり!移住者住宅取得事業費補助金 | 移住者が今治市内で住宅を新築または購入する場合に、対象経費の一部を補助。 ・上限額:50万円(ただし、住宅取得費を超えない範囲) ・人口減少率の著しい地域等で実施する事業については、上限額70万円 ・基礎額:住宅取得費の10%(上限30万円) ・加算額:同居する18歳未満の子ども1人につき10万円 |
| 多子世帯リフォーム等支援事業 | 子どものいる家庭の住宅リフォームに対し補助金を支給。2026年度は対象事業費の3分の2を支給(上限最大500万円。子どもの数や地区により変動)。 |
| 今治市子どもが真ん中応援券 | 子どもが生まれた際に最大20万円分の商品券を支給する子育て支援制度。 |
※2026年8月時点での情報。制度の詳細・最新情報は今治市役所(地域振興課)にご確認ください。
―移住者が増えたことで、地域にはどのような変化が起こっていますか?
菅
若い世代の移住によって、地域にはさまざまな変化が生まれています。新しいお店ができたり、地域の会合でいままでにないアイデアが出てきたり。そのなかでも印象的なのが、地域の文化や伝統を次の世代へつないでくれる存在にもなっていることです。
たとえば、大三島の宗方地区には「櫂伝馬(かいでんま)」という、船を海に出してみんなで漕ぐ伝統的な祭りがあるのですが、担い手がお年寄りばかりになり「もうやめよう」という声も上がっていました。そこに若い移住者が「続けましょう」と手を挙げてくれたんです。来てくれた人が地域を元気にしてくれて、地域もまたその人を支えていく。そういう関係が今治には生まれてきていると感じますね。
「外から来た料理人」は移住後、島で何を見つけ、島に何をもたらしたのか
ここからは、移住者の視点から今治市での暮らしを見ていきます。移住は彼らの人生をどう変え、彼らは地域に何をもたらしたのか。1人目は、しまなみ海道でつながる島のひとつ・大島でフランス料理店「fenua(フェヌア)」を営む森重正浩さん。本場フランスや東京で修業を積んだ料理人は、なぜこの島に自らの店を構えることを選んだのでしょうか。
森重正浩さん
広島県三原市出身。フランスや東京でフランス料理の修業を重ね、2024年に今治市・大島でレストラン「fenua」を開業(画像提供:森重正浩さん)
―なぜ今治への移住を選んだのでしょうか。ご経歴と合わせてお聞かせください。
森重
瀬戸内海に面した広島県三原市で生まれ育ち、東京の専門学校を経てフランスへ。4年半にわたりヨーロッパ各地のレストランで腕を磨き、最後に働いたフレンチアルプスのアヌシーという街で、のちの原点となる言葉に出会いました。
帰国する際、店のシェフから「いつかは地元に帰って、地元の食材を使って、地元の人においしいフランス料理を出してあげなさい」と言われたんです。帰国後は東京で26年ほど店を続けましたが、その言葉がずっと残っていた。やはり瀬戸内で店を出したいと、土地を探しはじめました。
―そうして見つけたのが、今治市・大島だったのですね。
森重
十数年かけて瀬戸内のさまざまな地域を訪れ、場所を探していました。ここは大島の久米という集落で、瀬戸内海の向こうに石鎚山(いしづちさん)を擁する四国山地が見渡せます。はじめて来たのは冬で、海の向こうに雪を冠した山々が見える景色が、フレンチアルプスのアヌシー湖やレマン湖にすごく似ていたんです。
食材の豊かさも決め手でした。素晴らしい漁港があり、フルーツや野菜も豊富。イノシシ、カモ、キジバトなど狩猟の対象になる動物も多く生息している。「ここしかない」と思いましたね。
「fenua」の外観。建築家・隈研吾氏が設計し、今治産のヒノキや菊間瓦など、地元の素材がふんだんに使われている(画像提供:森重正浩さん)
店内からは、穏やかな瀬戸内海を一望できる(画像提供:森重正浩さん)
大島から望む、瀬戸内海と四国山地。森重さんが大島で店を開く決め手のひとつになった景色(画像提供:森重正浩さん)
―お店をオープンさせるまでには、どのようなステップを踏んだのでしょうか。
森重
「まず地元に受け入れてもらわなくては」と思っていたとき、地域おこし協力隊の募集を見つけました。
ただ、書類を用意した段階で「50歳まで」の年齢制限に気づいたんです。当時58歳の私は書類を捨てようとしたのですが、居合わせた妹が「せっかく書いたんなら、出すだけ出したら?」と。応募したところ、採用していただけたんです。

菅
森重さんが応募してくださった翌年から、協力隊の年齢制限は撤廃しました。地域になじみ、地域のために働いてくれる人であれば、年齢は関係ないと気づかされたんです。
―協力隊として働くなかで、いまfenuaが建っている土地を見つけたのでしょうか。
森重
はい。どうしてもこの土地で店を開きたいと思い、集落をよく知る方を通じて問い合わせたのですが、「不動産業者に売る予定だから」とお断りされてしまいました。それでも諦め切れず、土地の所有者をご紹介いただき、直接お会いして想いを伝える機会をいただいたんです。「建物の材木や瓦から料理の食材まで、すべて今治産で、『メイド・イン・今治』のレストランを開きたい」とお話ししたところ、大事な土地をお譲りいただけることになりました。
―「メイド・イン・今治」というコンセプトが所有者さんの心を動かしたのかもしれませんね。
森重
そうであれば、うれしいですね。料理のコンセプトは「身の周りでとれたものでつくる」。瀬戸内の魚、近くの山で仕留めたイノシシ、裏山で摘んだ野生の木イチゴ。店の裏の畑ではハーブを育て、塩も目の前の海水からつくられたものを使用しています。近所の農家さんから野菜を買うことも多いですし、地元の人にとっては見慣れた風景のなかにも、実はフランス料理に活かせる素材がたくさんあるんです。
たとえばスベリヒユは、フランスで「プルピエ」と呼ばれ、夏場のサラダに欠かせない定番の野菜。地元のお客さんに「そこに生えていたスベリヒユですよ」と言うと、「え! あれ食べられるの!?」とびっくりされます(笑)。食材の一つひとつにストーリーがあり、それをお客さまに語れるのが、この場所で料理をする喜びですね。
森重さんは、瀬戸内の食材や身近な自然の恵みを活かし、大島ならではのフランス料理を追求している(画像提供:森重正浩さん)
―外からの視点で、そこにあるものの価値を再発見する。それも移住の醍醐味かもしれませんね。
森重
ただ、私は「移住」という言葉がどうもしっくりこなくて。仰々しい感じがするじゃないですか。「引越し」でいいと思うんです。東京からこの集落に引越してきて、「久米の人」になった。それだけのこと。「移住」だとハードルが高くても、「引越し」ならそうでもないでしょう。
―「久米の人」として、今後チャレンジしたいことを教えてください。
森重
大島、そして今治の食文化をさらに発展させたいですね。今治市長が「ローカル・ガストロノミー」——食とその土地の文化や歴史の関係性を探求し、楽しむという考え方——を取り入れたコンテンツづくりを掲げているので、その実現に寄与したい。今治にガストロノミー文化を根づかせたいですね。
移住で憧れの「アグリライフ」を、家族とともに
続いてお話を聞いたのは、兵庫県から今治市に移住し、現在は農業を営む村上有郎(くにお)さん。「スローライフ・アグリライフ・フィッシングライフ」を掲げて移住を決めたという村上さんに、移住前後の暮らしの変化を聞きました。
村上有郎さん
愛媛県農林水産研究所果樹研究センターで研修後、家族で今治市に移住し、農家に転身。柑橘と柿を栽培している(画像提供:村上有郎さん)
―移住前はどのような生活を送り、なぜ今治への移住を決めたのでしょうか。
村上
もともと兵庫県に住み、大阪府で教員をしていました。朝早くから通勤電車に乗り、帰りも満員電車に揺られて帰る暮らしのなかで、自然の近くで、もっと自分らしいペースで暮らしたいと思うようになったんです。
祖父母が今治市の菊間地区(旧・菊間町)でミカン農家をしていて、農業への憧れがありました。ただ、小学生の頃「農家を継ぎたい」と話したら「食べていけないからやめておけ」と言われ、それ以降は考えていませんでした。
今治市菊間地区の風景(画像提供:村上有郎さん)
―それでも、農業への憧れは持ち続けていたのでしょうか。
村上
ずっと思い続けていたわけではなく、きっかけはコロナ禍です。「やり残したことはなんだろう」と考えると、それが農業だった。
住む場所や生産物にこだわりはなかったのですが、調べるうちに公益財団法人えひめ農林漁業振興機構が就農相談を受け付けていると知り、連絡してみたんです。そこから松山市にある愛媛県農林水産研究所果樹研究センターを紹介され、研修をすることになりました。

菅
移住相談で「農業をしたい」とおっしゃる方は少なくありません。ただ、実際にはじめてみると、想像との違いから別の道を選ぶ方もいらっしゃいます。そんななかで、村上さんは研修を経て着実に経験を積み、農家としての暮らしを築かれています。若い世代が農業の担い手になってくれているのは、とても心強いですね。
―ご自宅はどのように見つけたのですか?
村上
家を探しはじめた頃、田舎の物件はインターネットに載っている情報だけではなかなか見つけられないと感じていました。2023年の夏に今治市の移住相談会に参加し、空き家バンクの存在や、住宅取得・リフォームに関する補助制度について教えていただきました。住居の購入を支援する「住もういまばり!移住者住宅取得事業費補助金」や、子どものいる家庭のリフォームを支援する「多子世帯リフォーム等支援事業」など、利用できる制度は積極的に活用したいと思いましたね。
まず僕一人で引越して住環境を整え、その後、第一子を妊娠していた妻も今治に来ました。よりよい環境で子育てをしたいと考え、近所の方に家を探していると話していたところ、空いている家を紹介してもらったんです。持ち主の方にもつないでいただき、現在の家を譲ってもらうことができました。
―現在はどのような生活を送っていますか?
村上
「紅まどんな」や甘平といった愛媛県ゆかりの比較的新しい柑橘と、柿を育てています。移住する際に「スローライフ・アグリライフ・フィッシングライフ」を掲げていたのですが、いまは完全に「アグリライフ」漬けですね。3年目からは忙しく、スローライフとは言えません(笑)。趣味の釣りにもなかなか行けないほど、農業に打ち込んでいます。
―移住前後で、ご自身にはどのような変化がありましたか?
村上
心身ともに健康になったと感じます。いまの生活になってストレスが減り、健康的な生活リズムになったことで、健康診断の数値も改善しました。家で過ごす時間も増え、子どもが生まれてからは、家族と過ごす時間がより大切になりましたね。
―今治市で子育てをしてよかったと感じることは?
村上
いま住んでいる地区には、ほとんど子どもがいないんです。だからこそ、周りの方々がとてもかわいがってくれる。近所のスーパーの店員さんが覚えてくれるくらい、みんなが子どもを見てくれるんです。
あとは、親子で楽しめるイベントが多いこと。12の市町村が合併した市なので、エリアごとにさまざまなお祭りがあり、夏は市内だけで12回は盆踊りに参加できます(笑)。季節ごと、地区ごとにお祭りを楽しめるのも、子どもたちにとってよい点だと思います。
地域の祭りで獅子舞に触れる村上さんのお子さん(画像提供:村上有郎さん)
―移住4年目に入り、「今治の人」になった感覚はありますか?
村上
あまり深く考えたことはないのですが……「転勤してきた人」みたいな感覚ですかね。もともと今治にはゆかりがありますから。ただ、4年目にもなると、「今治の人」と言ってもいい気はしています。
村上さん一家(画像提供:村上有郎さん)
「時計のない生活」と、心地よい距離感の田舎暮らし
3人目は、愛媛県松山市から大島に県内移住をした佐々木理佐さん。松山での就職・結婚・子育てを経て、お子さんの独り立ちをきっかけに「一人移住」を決断。現在はベーグル専門店「コナノワ」を営んでいます。
佐々木理佐さん
愛媛県宇和島市出身。大島の古民家で、瀬戸内の食材を活かしたベーグル専門店「コナノワ」を営む(画像提供:佐々木理佐さん)
―移住先として今治市、そして大島を選んだ理由からお聞かせください。
佐々木
最終的な決め手は景色ですね。私は愛媛県宇和島市の出身で、実家が海の近くだったんです。移住前に松山市に住んでいた頃から気分転換にしまなみ海道へ来ることがあり、「ここで生活できたらいいな」と思っていました。
子育てを終え、自分のお店を持つことを本格的に考えはじめた際、大島で現在の場所に出会ったんです。瀬戸内海と四国山地がきれいに見え、築75年を超える古民家の雰囲気もとてもよくて、「ここを逃したら、ほかはない」と即決でしたね。
佐々木さんが営むベーグル専門店「コナノワ」(画像提供:佐々木理佐さん)
「コナノワ」の店内(画像提供:佐々木理佐さん)
「コナノワ」で販売されている多彩なベーグル(画像提供:佐々木理佐さん)
―移住して、生活はどのように変化しましたか?
佐々木
一番変わったのは「時間の感覚」です。わが家には時計がないのですが、いまのところ必要性を感じていません。お店を開ける日以外は時間に追われることなく、自分のリズムで過ごしています。お昼になると防災無線から音楽が流れ、「あ、もうお昼か」と気づく。そのくらい自然な時間の流れで暮らせることが、ストレスもなく心地いいんです。
あとは、近所付き合いが生まれたことですね。松山では市街地に近い住宅地に住んでいたこともあり、ご近所さんとの関係はあまりありませんでした。いま暮らしている地区は住んでいる人の数も限られているので、顔を合わせれば自然と声をかけ合うような関係が生まれます。
―そのような暮らしのなかで、大切にしていることはありますか?
佐々木
一人で移住してきたからこそ、自分の心地よさを大事にしたいと思っています。生まれ育ったのも田舎なので、「ご近所さんは全員顔見知り」という環境には、もともとなじみがありました。
島の方々はとても親切で、ミカンをいただいたり、ベーグルに使う野菜の栽培を請け負ってくださる方がいたり。そうしたご厚意はありがたく受け取りながらも、「同じように返さなければ」と無理に合わせることはしません。自分のペースで少しずつ恩返しをしながら、心地よい距離感で付き合っていけたらと思っています。

菅
一からベーグルを研究し、お店を立ち上げた佐々木さん。コナノワの評判は高く、「ちゃんと手をかけてつくられているのがわかる」という声も耳にしています。この地でやりたいことを実現し、ストレスなく暮らしてくれるのが、受け入れる側としてもうれしいですね。
―最後に、これからチャレンジしたいことをお聞かせください。
佐々木
将来的にはカフェをオープンし、訪れた方の記憶に残る場所にしていきたいですね。ここから見える景色は本当に素晴らしく、ベーグルを買いに来ていただくだけではもったいない。島の雰囲気を感じて「また行きたいね」と思ってもらえる、ゆっくり過ごせる場所をつくりたいです。
今治市の例から見えてくる「田舎移住の意味」
今回取材した3人は、それぞれ異なる夢や理想を持ち、その実現の場として今治市を選びました。歩む道は違っても、自分らしい暮らしや仕事をかたちにしている点は共通しています。
その背景にあったのは、制度や支援策だけではありません。土地や住まいを探すなかで力を貸してくれた人、困ったときに自然と手を差し伸べてくれた人など、地域の人々とのつながりが、一人ひとりの挑戦をゆるやかに支えていました。
一方で、移住者もまた、仕事や暮らしを通じて地域に新しい価値をもたらしています。外から来たからこそ気づける地域の魅力をかたちにし、発信し、ときには農業や文化の新たな担い手にもなっていく。移り住む人が一方的に支えられるのではなく、地域と互いに影響を与え合う関係が生まれていました。
行政が制度を整えるだけでなく、地域との橋渡し役となり、人と人とのつながりを支えていく。移り住む人の夢や理想と、それを受け止める地域の力が重なり合う。その積み重ねが、多くの人に選ばれる「今治らしさ」につながっているのかもしれません。
この記事の内容は2026年8月25日掲載時のものです。
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Credits
- 取材・執筆
- 鷲尾諒太郎
- 編集
- 包國文朗(CINRA, Inc.)
- 協力
- 今治市役所 地域振興課