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獲るだけじゃ、続かない。香川・塩飽諸島ではじまった「育てる漁業」という選択
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香川県丸亀市、瀬戸内海に浮かぶ塩飽(しわく)諸島の本島(ほんじま)。古くからの漁師町はいま、深刻な漁獲量の落ち込みと、人口減少という課題に直面しています。
そうしたなかで豊かな海を取り戻そうと奮闘するのが、4代続く漁師の家に生まれた大石一仁さんと、元香川県庁職員として都市再生やまちづくりに携わってきた湯川致光(よしあき)さんです。
年齢もキャリアも異なる二人が手を組み、伝統的な漁の技術を受け継ぎながら、「海を休ませる」ためにあえて手間のかかる「サバの完全養殖」に挑む、新しい水産業のかたち。魚を獲ることだけに頼らず、育てること、届けることも組み合わせながら、漁師文化を次世代へ紡ぎ、島にふたたび活気を取り戻すための挑戦に迫ります。
丸亀港からフェリーで本島へ。島の人口は約240人(※)。かつては「塩飽水軍」の本拠地として栄え、優れた造船・建築技術を持つ「塩飽大工」を輩出したことで知られる
本島の港。瀬戸大橋が間近に見える
港からほど近い場所に、塩飽Fisheriesが営む「海を休ませるレストラン」がある。塩飽Fisheriesが育てるサバや瀬戸内の天然魚を一皿に込めて届けることで、「海を休ませる水産業」を食の面で体感できる施設にもなっている
タコ壺漁をする人が消えた。いま瀬戸内海で起きていること
―まず、塩飽諸島が位置する瀬戸内海の水産業の特徴について教えてください。
大石
瀬戸内海は、本州・四国・九州に囲まれた「閉鎖性海域」で、外海との水の出入りが限られています。そのため、マグロのような大型魚は滅多に入ってきません。一方で、夏は太平洋並みの高水温、冬は日本海並みの低水温になるため、本来は多様で豊かな魚種が育つ環境です。
なかでも僕たちが住む本島周辺の「瀬戸」エリアは、地形が複雑で海流が非常に激しい。だから、ここで獲れるタイなどは波にもまれて骨が強くなり、身ががっしりと引き締まって、本当においしいんです。
―それほど豊かな海でありながら、近年は魚が大きく減っているとうかがいました。
大石
1970年代のピークを境に漁獲量は右肩下がりで、いまは極めて深刻な状況です。15年前、僕が本格的に漁師をはじめた16歳の頃と比べても、目の前の海にいる魚の量は桁違いに減っています。
一番わかりやすいのがタコです。僕の体感では、15年前は毎日50〜100匹獲れていたのが、いまや3日に1回の漁で10匹獲れるかどうか。そのため、島でタコ壺漁をする人自体がほとんどいなくなってしまいました。
大石一仁さん
株式会社塩飽Fisheries代表取締役兼漁師。香川県・塩飽諸島本島で生まれ、4代続く漁師の家系に育ち、中学卒業後に漁師の道へ進む。「海を休ませる水産業」を掲げ、2023年に同社を設立。香川県でサバの完全養殖を手がける唯一の漁師
―なぜ、そこまで魚が減ってしまったのでしょうか?
大石
要因のひとつは、海の生態系のバランスが変わってしまったことです。昔の本島周辺には、タイラギなどの二枚貝が豊富にありました。それを主食にするタコも多かったんです。しかし、環境の変化によって貝が一気にいなくなり、エサを失ったタコも減っていきました。
もうひとつ大きいのが、魚の獲りすぎです。昔の漁師は、四季折々で狙う魚を変えながら、自然とバランスを取っていました。けれどもいまは、魚の総量も種類も減り、獲れる魚は年間をとおしてタイくらいしか残っていない。すると、島中の漁師がみんなでタイを狙うことになる。そうなれば、今度はタイまでいなくなってしまいます。現在は「じゃあ、次はどうするんだ?」という行き止まりの状況なんです。
タコ壺漁をする大石さん(画像提供:塩飽Fisheries)
「海を休ませるレストラン」の壁には、塩飽諸島周辺の海で獲れるさまざまな魚の絵が展示されている。そのなかには、いまではほとんど見られなくなった魚種もある
アコウ(キジハタ)。こうした絵は、大石一仁さんの妻・佑紀さんのお父さまが描いたもの
ひときわ目を惹くタコのオブジェも、佑紀さんのお父さまが制作した
本島の漁師文化を守りたい。原点にある「かっこいい父親の背中」
―大石さんは4代続く漁師の家系とのことですが、なぜ漁師を継ごうと思われたのですか?
大石
幼い頃から、「将来は漁師になるんだ」と決めていました。父親はめちゃくちゃ口下手なんですけど、一緒に漁に出たときに見せる背中が、子どもながらに圧倒的にかっこよかったんですよね。
特に憧れたのが、本島の漁師の花形である「潜水漁」、通称「モグリ」です。宇宙服のような潜水服を着て、水深10〜30メートルの暗い海底に潜り、手探りで貝を獲ってくる命がけの漁です。
この世界には実力順の番付があって、トップクラスの漁師は仲間から死ぬまで「あいつは横綱や」と称賛されます。親父は潜水漁の番付でかなり上位に食い込んでいました。体ひとつで腕を競い合う姿を見て、ずっと憧れを抱いていました。
当時は毎年12月に潜水漁が解禁されると、佐賀県の有明海などから何十人もの潜水漁の漁師たちが島に出稼ぎに来ていました。漁が時化(しけ)で休みの日は、各家に集まって昼間から酒を飲んだり、麻雀をしたりして、みんなニコニコしていた。
あの活気のあった時代の島を肌で知っているからこそ、海を再生させて漁業を成り立たせ、もう一度この島に活気を取り戻したい。そこをめざして動いています。
―魚が減るのと比例して、島の人口も減ってしまっているのでしょうか?
大石
そうですね。本島では、島民のほとんどが漁師か、漁にかかわる仕事をしています。漁ができないと生活が成り立たないので、家族ごと島を離れてしまうんです。
一緒に漁に出ていた近所の馴染みの兄ちゃんたちが、ある日突然いなくなる。お盆や正月に帰ってきたときに、「いまは違う仕事しよるんや」なんて話すんですけど、本当に切ないですよ。
湯川
(大石)一仁くんの根底にあるのは、「漁師町としての本島を守りたい」という強い想いです。漁師は、一度やめてしまうと船のメンテナンスもしなくなるし、もう一度海に戻るのが難しくなってしまう。
一度途絶えた漁の技術や文化は、簡単には復活できません。いま、本島の漁業は風前の灯火のような状態にあります。だからこそ、それを食い止めるための持続可能な仕組みが必要なんです。
湯川致光さん
株式会社塩飽Fisheries取締役、株式会社HYAKUSHO代表取締役。東京都出身。香川県庁、まちづくりコンサルティング会社経営を経て、大石一仁さんの想いに共感し塩飽Fisheriesの立ち上げメンバーに参画
「危ないときは海に出ない」を当たり前に。養殖との両立で漁の未来を変える
―塩飽Fisheriesは、「海を休ませる」、つまり海の資源を守るためにあえて漁の回数を減らすというコンセプトを掲げ、「養殖」という事業に取り組んでいます。ここにたどり着いた経緯を教えてください。
大石
20歳ぐらいの頃から海の異変に対する危機感が強くなり、何か準備をしなければと考え続けていました。そのとき、いつも頭に浮かんでいたのが、「海を休ませな、魚が増えん。魚が食えんようになるぞ」というじいちゃんの口癖でした。
ただ、当時は「海の休ませ方」がわからなかったんです。漁を減らせば海は休まるけれど、そのあいだの漁師の収入をどう補うのか。そこを必死に模索するなかで出会ったのが、「養殖」でした。
さらに勉強していくうちに、「養殖はもともと、天然の魚の獲りすぎを防ぎ、海を休ませるために生まれたものだ」という文献に出会ったんです。しかも、ここ香川県は、野網和三郎さんという方がハマチ養殖の事業化に成功した「ハマチ養殖発祥の地」でもあります。日本の海面魚類養殖の先駆けとなったその挑戦も、漁師の家に生まれた人物からはじまっていた。この事実を知ったとき、じいちゃんの言葉と養殖の起源が頭のなかで一本の線につながって、鳥肌が立ちました。
それなら僕が本来の理念に立ち返って、「海を休ませるための養殖」をはじめよう。そう決意しました。
―養殖をはじめてから、大石さん自身が漁に出る回数も減っていますか?
大石
まさに挑戦している最中です。いまは年間で30日ほど減らして250日くらい漁に出ているのですが、最終的には年間150日くらいまで減らしたいですね。
ただ、これをほかの漁師にもやってもらおうとすると、一筋縄ではいきません。漁師からすれば、「海に出るな」と言われるのは、「お金を稼ぐな」と言われるのと同じですから。
漁師の仕事は、いってみれば「獲って売る」狩猟型の世界です。獲ればすぐ収入になるよさはありますが、漁師の朝は早く、まだ暗いうちから船を出して、誰よりも先に魚のいるポイント──いわゆる「陣地」を確保することが、その日の漁獲量を大きく左右します。つまり、場所や時間を奪い合う競争で、しかも漁獲量が読めない。畑を広げれば収穫量が見えてくる農業とは、考え方が根本から違うんです。
だからこそ、「獲る量を自分で抑える」という発想は、漁師にとって簡単には受け入れがたいものなんです。

大石
いってみれば、漁師は「狩猟民族」、養殖や農業は「農耕民族」。根本にあるマインドが異なると感じています。
大石
とはいえ、みんな好きこのんで無理な漁に出ているわけではないんです。世間では、「大時化(おおしけ)の荒海に船を出していく漁師はかっこいい」と思われているかもしれません。でも、現場の人間はみんな「嫌だな、危ないな」と思いながら、渋々行っています。
なぜ行くのかといえば、みんなが船を出さないときこそ魚の値段が上がり、稼げるからです。あるいは、「生活のために、今日は無理してでも行かないと食っていけない」という状況があるから。その結果、海で命を落とす人もいれば、大怪我をする人もいます。
僕たちの養殖事業が軌道に乗り、安定した収入が得られるようになれば、そうした無理な出港を減らせるはずです。これこそが、漁師の「働き方改革」だと思うんです。
陸の仕事であれば、危険な状況では作業を止めるのが当たり前です。漁師も同じように、「危ないときは海に出ない」と判断できるようにしたいんです。
手間もコストもかかる。それでも「完全養殖」に挑む理由
―サバの養殖をはじめてみて、具体的にどのような難しさがありましたか?
大石
まず直面したのは、「完全養殖」の圧倒的な難しさです。
従来の一般的な養殖、いわゆる「畜養」は、天然のサバの稚魚を海から捕まえてきて、生簀(いけす)で大きくして出荷します。一方、完全養殖は、人工的に卵から孵化させた稚魚を育てる方法です。
塩飽Fisheriesのサバ養殖の生簀。生簀ひとつのサイズは約5メートル四方
生簀を覆う網越しに、サバの魚影が見える。取材時、生簀のなかにいたのは体長20〜30センチメートルのマサバたち。一般的にはひとつの生簀で5,000匹ほどの養殖を行うが、現在はあえて約1,000匹にとどめ、瀬戸内海の環境に合わせた育て方を模索しているとのこと
大石
畜養は短期間で利益を出しやすいのですが、結局天然の稚魚を海から獲ってくることになる。それは、「海を休ませる」という僕たちのコンセプトには合致しないんです。
そこで完全養殖をはじめたのですが、ここで養殖しているマサバは高水温にものすごく弱いんです。最初の夏は想定外の水温上昇があり、本当にたくさんのサバが一気に死んでしまいました。
サバの稚魚って、人間が素手で直接触ると、僕たちの体温で火傷して、そのままパタッと死んでしまうほど繊細なんです。それくらい神経を使いますし、手間もコストもかかります。
正直、効率だけを考えたら、完全養殖を選ぶ理由はありません。「海を休ませる」という強い意志がなければ、とても続けられないと思います。
―海の上で行う養殖だからこその、味や品質の強みはありますか?
大石
僕たちがめざしているのは、人間でいうと「お相撲さん」のような身質なんです。お相撲さんって、ただ体が大きいだけではなく、激しい稽古で鍛え上げられた筋肉の上に、きれいな脂肪がのっていますよね。
本島周辺の海は潮の流れが非常に速いので、生簀のなかのサバたちは、毎日その潮流に逆らって泳ぎ続けることになります。だから、しっかりと弾力のある身になる。そのうえで、栄養価の高いエサを毎日食べることで、ほどよく脂ものっていきます。
天然のサバは、産卵期を前に最も脂がのる秋冬——いわゆる「寒鯖(かんさば)」の時期にしか、最高の身質になりません。でも養殖であれば、エサや生簀の環境を一定に保つことで、この「筋肉と脂のベストバランス」を、年間を通じて安定的に提供できる。人工的には再現が難しい環境のなかで、極上のサバが育っていると思います。
大量流通に頼らない。必要としてくれる人に届ける水産業のかたち
―品質的には間違いないサバですが、それを新たな水産業のかたちとして軌道に乗せるうえでの最大の壁は何ですか?
湯川
最大の壁は「どう届けるか」、つまり流通の課題です。当初は、生簀で数千匹を育て、特定の飲食店さんにまとめて買ってもらえれば、この取り組みも持続可能なものとして成り立つだろうと考えていました。
でも、現場で実際にやり取りを重ねていくなかで、当初想定していた前提との違いも見えてきました。いざ飲食店やシェフの方々と話してみると、「このサイズでないと調理の手間がかかる」「この時期に、この量を安定して届けてほしい」といった飲食店ならではの条件があることがわかってきたんです。それぞれの現場に求められる基準があり、そこにどう応えていくかが重要だと実感しました。
飲食の現場では、サイズや量、納品のタイミングなどに、ある意味で「工業製品」のような均一性や安定性が求められます。コンセプトがどれだけよくても、こうした現場の動きのなかにどう組み込めるかが重要になります。これは、実際に取り組んでみてはじめて気づかされたことでした。
―一方で、市場や大手の流通に依存してしまうと、肝心の「海を休ませる」というコンセプトが伝わらないという問題もありそうです。
大石
そうなんです。たとえば卸売市場に持って行った場合、僕たちが「海を休ませるために養殖している」という背景まで含めて届けるのは、なかなか難しいんです。市場では、品質や価格といった基準で評価されることが基本になるので、その裏側にあるストーリーまでは届きにくい側面があります。
僕たちは、そうした考え方も含めて伝えられるかたちで届けていきたい。だからこそ、いま一番手応えを感じていて、今後も広げていきたいと考えているのが、自分たちで加工から提供までを担い、顔の見えるかたちで直接届けていく取り組みです。
本島や丸亀市内では、自分たちが獲った魚や育てたサバを、レストランで提供したり、サバ寿司に加工して販売したりしています。レシピの開発や調理は、僕の妻・佑紀が担当しています。そこでは、僕たちのストーリーを直接伝えることができる。お客さんがその背景に共感し、笑顔でサバを食べてくれる。そのやり取りこそが、これからの水産業に必要なかたちだと思っています。
大石佑紀さん
株式会社塩飽Fisheriesマーケティングマネージャー兼シェフ。香川県丸亀市出身。2020年に一仁さんとの結婚を機に本島へ移住。「海を休ませるレストラン」で島の食を発信するほか、島おこし団体「本島さかな部」のマネージャーも務める。魚嫌いの子どもでもおいしそうに食べてくれる姿にやりがいを感じつつ、瀬戸内海の豊かな食文化や海の資源枯渇の現状を多くの人に知ってもらうため発信を続けている
塩飽Fisheriesの養殖サバの加工品として高い人気を誇る「サバ寿司」(画像提供:塩飽Fisheries)
取材当日にいただいた、「海を休ませるレストラン」のランチ。皮目を香ばしく焼いたサワラの西京焼きを中心に、サゴシ(サワラの若魚)の中落ちを使ったなめろう、ゲソなどイカの身以外の部位を活かしたサラダ、サゴシのアラで出汁を取った味噌汁まで——素材を余さず使い切る、瀬戸内の旬ともてなしが一皿に詰まっている

佑紀
調理で意識しているのは、魚の臭みを感じさせないこと。ていねいな下処理や旬の野菜との組み合わせなど、「鮮度に甘えない調理」を心がけています。
湯川
「大量生産・大量消費」を前提とした養殖のあり方によって、需要とのバランスが崩れてしまうリスクもあると感じています。
たとえば、大量に稚魚を仕入れて育てたものの、売れ残った分を安値で市場に出さざるを得ないケースがあるとします。すると、養殖魚が安く大量に流通することで、「天然魚」の価格まで下がってしまう。
だからこそ、自分たちで最後まで責任を持ち、必要としてくれるお客さんに届けるかたちを構築したいんです。スケールの大きさだけを追うのではなく、小さくても成り立つ方法を模索していきたい。その実践を通じて、水産業のあり方に新しい選択肢を示せたらと思っています。
それができれば、水産業界の常識を少しずつ変えていける気がするんです。
―今後、この取り組みをほかの漁師さんにも広げていく場合、具体的にどのような仕組みが必要になると考えていますか?
大石
まずは、僕たちのような漁の現場を知っている人間が、相談相手になることが大事だと思っています。
漁師の気持ちや海の現場の過酷さを知らない外部の人が、いくら正しいことを言ったとしても、漁師にはなかなか届きません。漁師にはプライドもありますし、新しいことをはじめる不安もありますから。
でも、僕は現役の漁師です。漁師の気持ちが痛いほどわかる人間が相談役になり、自分たちが何年もかけて培ってきたノウハウや失敗のデータを包み隠さず共有する。そして、彼らの新しい挑戦に並走していく。それが、一番自然なかたちだと思っています。
湯川
昔のように、「養殖をはじめるなら、まずは何千万円もの設備投資をして、大きなリスクを取らなければならない」という仕組みでは、誰も一歩を踏み出せません。
必ずしも大きくはじめる必要はなく、無理のない範囲から試していくかたちもあるはずです。たとえうまくいかないことがあっても、もう一度立て直せる余地を残しておくことが大事だと思っています。
そのうえで、これまでの経験や知見を共有したり、必要に応じて連携の方法を一緒に考えたりしながら、無理なく続けられる取り組みにしていくことが大切です。そうした積み重ねのなかで、「それなら自分もやってみようか」と思う人が少しずつ増えていく。そんな広がり方が自然なのではないでしょうか。
海を休ませるという社会的な意味と、漁師の暮らしとして成り立つこと。その両方が無理なく重なるあり方を探っていきたいと思っています。
奪う海から、育てる海へ。20年後の豊かな海を見つめるまなざし
―この取り組みは、全国のほかの漁師町にも導入できるものなのでしょうか。
大石
できると思います。ただ、僕たちが取り組んでいる「サバの完全養殖」という具体的なやり方を、そのまま別の地域に持っていっても意味はありません。
大事なのは、「海を休ませるために、複数の生業(なりわい)を組み合わせる」という考え方です。その考え方を、それぞれの地域に合わせて取り入れてほしいんです。
養殖が難しい海であれば、ほかの特産品を育ててもいい。極端にいえば、野菜を育ててもいいと思っています。たとえば佐賀県には、時期をずらしながら海苔の養殖と米づくりの両方に取り組んでいる生産者さんがいます。自分で育てた極上の海苔と、自分でつくった最高の米で、究極のおにぎりをつくって販売している。素晴らしいスタイルだと思います。
地域の人たちが知恵を出し合いながら、漁に出る回数を減らすための「別の生業」さえ確立できれば、生き残る道をつくっていけるはずです。
湯川
「百姓」という言葉がありますよね。この言葉には、農家という意味だけではなく、「百の生業を束ねる人」という意味もあるんです。昔の地域の達人たちは、農業もすれば、道や水路の整備もする。複数の専門性を持ち、自分の暮らしを自分で支えながら、自立して生きていました。
一方で、現代社会では、一人の人間にひとつの専門性しか求められない場面が多い。仕事が細分化されすぎた結果、ひとつの業界が傾いた瞬間に、個人の暮らしまで立ち行かなくなってしまう。そうした構造に、以前から大きな違和感を抱いていました。
これからの人口減少時代、地方で生き残っていくためには、自分たちの能力を主体的に「拡張」していくことが必要だと思います。漁師が漁だけをするのではなく、海を守るために養殖を学び、ファンとつながるために加工や飲食のスキルも身につける。
この「百姓的な思想」は、これからの地域と日本の水産業を支えていくうえで、大きなヒントになると思っています。
―だからこそ、大石さんは「漁と養殖」のバランスにこだわっているのですね。
大石
そこは絶対に譲れない、漁師としての意地です。もし養殖だけに100%シフトしてしまったら、先代たちが命がけで培ってきた「潮を読む勘」や「伝統の漁の技術」が、僕の代で途絶えてしまう。そうなると、次の世代の子どもたちに引き継ぐこともできません。それは、日本にとっても大きな損失だと思っています。
だから、どんなに効率が悪くて大変でも、漁と養殖のバランスを取りながら、技術を次世代へつないでいきたいんです。海をしっかり休ませて、魚がまた増えていったら、そのときはまた、みんなで思いきり伝統の漁をやればいいんですから。
―最後に、20年先を見据えたとき、どのような未来を描いていますか?
大石
これまでの日本の漁師は、「魚は海から獲ってなんぼ」の世界で長く生きてきました。でも、これからはその発想のままでは、みんなが共倒れになってしまいます。
これからの20年で、ただ海から奪うのではなく、「天然の魚を育てるために、あえて海を休ませるんだ」という考え方が、日本中の漁師のなかに当たり前の意識として根づいてほしい。そして、みんなが誇りを持って船を出せる世の中になってほしいです。
僕たちの本島での小さな実践が、その未来の当たり前をつくる一歩になると信じて、これからも進んでいきたいと思います。
※ 本島コミュニティセンター「塩飽本島」
この記事の内容は2026年7月28日掲載時のものです。
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Credits
- 取材・執筆
- 榎並紀行(やじろべえ)
- 写真
- 宮脇慎太郎
- 編集
- 包國文朗(CINRA, Inc.)