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「魚のゆりかご水田」で琵琶湖の命をつなぐ。地域一丸で取り戻す、賑わいのある農村風景

  • 公開日
水田を背景に、辻本さんと藤岡さん、西田さんが笑顔で立っている。看板には「せせらぎの郷 須原魚のゆりかご水田」の文字

魚が田んぼで産卵し、稚魚がすくすくと育つ。そしてやがて湖に帰る——かつて琵琶湖周辺の水田には、そんな豊かな生態系がありました。

しかし、ほ場整備によって水田と湖のつながりは一度断ち切られてしまいます。そのつながりを取り戻そうと、滋賀県と地域の農家が手を取り合って進めてきたのが「魚のゆりかご水田プロジェクト」です。

特に、滋賀県野洲市の須原地区は、2008年のプロジェクト開始当初から約20年にわたり地域一丸となって活動を続けてきました。

今回は、「須原せせらぎの郷」でプロジェクトにかかわる地域のお二人と、滋賀県の担当者に、地域資源を起点とした農業とまちづくりの両立がどのように実現されてきたのか、その軌跡をうかがいます。

原動力は「琵琶湖愛」。地域一丸で取り組む「魚のゆりかご水田プロジェクト」

はじめに、滋賀県が中心となり「魚のゆりかご水田プロジェクト」を立ち上げた背景を教えてください。

西田

かつて琵琶湖の周辺地域は、魚と人間が自然に共生している場所でした。田植え後に雨が降り、湖の水位が上がると、琵琶湖の固有種であるニゴロブナのほか、ナマズなどの湖魚(こぎょ)たちが、産卵のために水路を遡って田んぼにやってきていたんです。

ニゴロブナの1年の生活史。春先の田んぼは、水温が高くプランクトンが豊富で外敵が少なく、魚たちにとって安全な「ゆりかご(子育て環境)」として機能していた(画像提供:滋賀県)

西田

しかし、1960年代後半以降、農業の生産性向上や農業経営の改善のために、滋賀県で「ほ場整備(農地の区画整理)」や用排水路のコンクリート改修が進められました。

これによって、大型農業機械が入りやすくなり、泥に足を取られることなく効率的な農業ができるようになった一方で、田んぼと水路の間に大きな段差が生まれたんです。

その結果、魚たちが琵琶湖から田んぼへ遡上することができなくなり、昔から続いていた生態系の分断が起こってしまったんです。

和室で話している西田さん

西田阿斗さん
滋賀県 農政水産部 農村振興課 地域資源活用推進室副主幹。「魚のゆりかご水田プロジェクト」の担当として、県内の環境保全農業を推進している

西田

この失われた水田の生きものの賑わいを取り戻すため、田んぼの排水路に「魚道」を設置し、再び魚が産卵・成育できる環境を復活させようと始まったのが、「魚のゆりかご水田プロジェクト」です。

【魚のゆりかご水田プロジェクトの取り組み例】

  • 魚道の設置
    排水路に「堰上(せきあげ)式魚道」を設置して階段状に水位を上げ、魚が段差を上って田んぼに入れるようにしている
  • 「ゆりかご」としての水管理
    農薬の使用を制限し、水深を深く保つなどきめ細やかな水管理を行うことで、田んぼを稚魚たちの「安全なゆりかご」として機能させている
魚が田んぼへ遡上できなくなってしまったイメージ図

ほ場整備によってできた水田と排水路の段差により、魚が田んぼへ遡上できなくなった(画像提供:滋賀県)

魚が田んぼへ遡上できるように工夫したイメージ図

排水路に堰上式魚道を設置することで、魚が田んぼに上がり産卵できるようになる(画像提供:滋賀県)

琵琶湖周辺で暮らす地域の方々から見て、ほ場整備の前後で農村の景色や生活にはどのような変化があったのでしょうか。

辻本

私の小学生時代は、ちょうどほ場整備がはじまる前の過渡期でした。その頃の須原地区の子どもたちの遊び場といえば、もっぱら琵琶湖やそこにつながる川、そして田んぼでしたね。

また、当時の農家には「田舟(たぶね)」と呼ばれる3、4メートルほどの木製の舟がありました。現在は家や道が多い須原の地域も、昔は道の半分ほどが水路で。舟着き場には田舟がずらりと並んでいて、いまとはまったく違う景色だったんです。

住宅沿いの水路の上に田舟が並んでいるモノクロ写真

以前の須原自治会館の前付近の様子。水路があり、田舟が並んでいた

和室で話している辻本さん

辻本博一さん
「須原せせらぎの郷」代表。会社員として働く傍ら兼業農家をしていたが、定年退職を機に農業と地域活動に専念。2025年4月、「須原せせらぎの郷」初代責任者であった堀彰男さんから代表のバトンを受け継いだ

辻本

遠くの田んぼへ農作業に行くときは、片道1時間くらいかけて田舟を漕いで行ったものです。

私たち子どもは、両親が農作業をしている横で、魚釣りをしたり川を遡ったりして遊んでいました。ときには上級生のお兄ちゃんたちに連れられて、田舟で琵琶湖近くまで冒険に出かけたりしてね。自然がいろんなことを教えてくれるような時代でした。

まさに、琵琶湖や川とともに育ったんですね。藤岡さんは、子どもの頃の琵琶湖周辺の景色についてどんな記憶がありますか?

藤岡

私はほ場整備が進んだあとに生まれ育った世代なので、田舟の時代は体験していません。ただ、子どもの頃の記憶として、毎晩のように食卓に湖で獲れた魚の煮付けや、おじいちゃんが漬けた「ふなずし(ニゴロブナを漬け込んで乳酸菌で発酵させた保存食)」が並んでいたのをよく覚えています。

地域では、魚を捕ることを「おかず取り」と呼んでいて、暮らしのなかに琵琶湖の恵みが自然に溶け込んでいました。しかし、ある時期を境に漁獲量が減り、湖魚の煮付けもふなずしも、パタッと食卓から消えてしまったんです。

数名が手作業で田植えをしている白黒の記録写真

須原での田植えの様子。当時はトラクターなどはなく、すべて手作業で行っていた(画像提供:須原せせらぎの郷)

白い皿に載せられたニゴロブナのふなずし

滋賀県を代表する郷土料理でもあるふなずし。須原せせらぎの郷では、世代を超えた交流として、ふなずしの食事会も開催した(画像提供:須原せせらぎの郷)

和室で話している藤岡さん

藤岡いづみさん
「須原せせらぎの郷」メンバー。パートで勤務しながら兼業農家として活動。「魚のゆりかご水田プロジェクト」の初代責任者である堀彰男さんの娘で、プロジェクト初期からイベントのサポートなどでかかわる

ほ場整備によって農業の作業効率が向上した一方で、失われてしまった景色や生活もあったと。

辻本

そうですね。それ以外にも、かつては当たり前だった田んぼで農家同士が自然に顔を合わせ、作業の合間に世間話をするような「賑わいのある農村風景」が減っていきました。

地域のコミュニケーションが少しずつ薄れていく寂しさや、かつての豊かな自然が失われていく危機感。そうしたものを感じていた時期に、滋賀県から「魚のゆりかご水田」の構想が示されたんです。

須原地区の初代責任者(藤岡さんの父・堀彰男さん)をはじめとする団塊世代のリーダーたちは、「この取り組みを導入すれば、かつてのように人が田んぼに集まり、失われつつあった地域のつながりを取り戻せるのではないか」と考えました。それが、「須原せせらぎの郷」の原点です。

「魚のゆりかご水田プロジェクト」の看板

滋賀県の方々にはそもそも、琵琶湖に対する強い愛着があるように感じます。須原のみなさんが立ち上がったのも、根底には「琵琶湖のために何かをしたい」という想いがあったのでしょうか?

西田

おっしゃるとおり、滋賀県民にとって琵琶湖は単なる大きな湖ではなく、生活、農業、地域文化のすべてを育んできたかけがえのない資源です。象徴的な例として、1970年代後半に地域住民、特に主婦層から巻き起こった「石けん運動」があります。

合成洗剤に含まれるリンが琵琶湖に流れ込み、赤潮が大量発生して、環境が悪化したときのことでした。行政の取り組みに先駆け、住民たちから「琵琶湖を守るために、粉石けんを使おう」という運動が広がり、のちの「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」制定へとつながったんです*1

藤岡

私もよく覚えています。母親がどこからか情報を聞いてきて、わが家でも一時期、全面的に粉石けんを使っていました。

辻本

ほかにも、地域には子どもの頃から琵琶湖の環境について五感で学ぶ土壌が根づいています。

たとえば、滋賀県内の小学校や特別支援学校などの5年生は全員、「うみのこ」という学習船に乗って琵琶湖で1泊2日の湖上授業を受けるカリキュラムがあるんです。そうして育まれた琵琶湖に対する想いが、プロジェクトにかかわる人たちの根底にあることはたしかです。

西田

ただ、それだけでは地域全体を巻き込んだ取り組みにはつながっていきません。琵琶湖や生きものにとってよいことであるのはもちろん、協力いただく農家さん、地域の方々、子どもたちにとっても好ましい影響を与えるものでなくては理解を得ることが難しいかと思います。

そこで、魚のゆりかご水田プロジェクトでは、琵琶湖、そしてそこに暮らす生きものに加え、ブランド化でやりがいを得る農家、環境を学ぶ子どもたち、さらには地域にもメリットをもたらす「五方によし」を掲げています。

徹底した水管理と農家同士の協力体制で「魚のゆりかご」を守り抜く

この「五方によし」を実現するために、須原地区の農家さんは具体的にどのようなことをしているのでしょうか?

西田

須原の田んぼでは、魚に影響が少ない農薬を選び、しっかりと田んぼで稚魚が成育していることを確認するなど、琵琶湖へ帰りやすいように工夫をしています。県が推進している「環境こだわり米」で定める以上に厳しい基準を農家さんにクリアしていただいているんです。

藤岡

それに加えて、須原の魚道は排水路全体の水位を上げて魚が遡上しやすいようにする仕組みのため、地域一帯で代かき(田に水を入れて土を砕いて平らにすること)や田植えのタイミングを合わせて水深を管理しているのですが、これが非常に重要です。

そのため、春には水路をせき止めて田んぼに水をため、地域一帯でいっせいに田植えを行います。そして初夏、田んぼで孵化した稚魚が約2センチメートルに育つと魚道の堰板を外し、琵琶湖へと帰すのです。まさに、地域の農家が協力して手間暇をかけて、この命のサイクルを支えているんです。

川の水質調査を行っている人と、堰板の様子を見ている人

水質保全のために、水路の透明度調査を行う。春に排水路に10センチ間隔で高さが調節できる堰板をはめ込み、「魚道」をつくっていく(画像提供:須原せせらぎの郷)

青いバケツの中に、100匹ほどの稚魚が泳いでいる

2026年6月に実施された『いきもの観察会』で観察できた稚魚。取り組みをスタートした2008年からニゴロブナやコイなどの親魚が魚道を上って田んぼへ入っていく姿が確認され、2、3年目には稚魚の成長が安定し、田んぼのなかの生き物の数が目に見えて増加したという(画像提供:須原せせらぎの郷)

農家の方にとっては通常の農作業に加え、かなりの労力がかかりそうですね。

藤岡

一番大変なのは日々の水管理です。魚が田んぼに入ってから稚魚が育つまでの約1か月間は、水深を常に深く、かつ一定に保たなければいけません。ゆりかご水田の期間中は朝と夕方の1日2回、必ず見回ってこまめに水を調整する必要があるんです。

さらに、須原で導入している魚道は、周辺の田んぼ全体に影響が出る仕組みです。そのため、地域全体が同じ方向を向くための合意形成には苦労もありました。しかし、初代責任者の父が丁寧に説明を尽くし、また当時の団塊世代の農家集団がそれを結束して支えたおかげで乗り越えられました。

現在では、プロジェクトに直接参加していない農家さんでも、自主的に畦(あぜ)の草刈りをして景観を整えてくれたり、水管理を快く了承してくれたりと、地域全体での協力体制ができています。

プロジェクトがスタートした20年前に比べると、地域の農家さんの数自体が減ってきているかと思いますが、活動の継続に影響はありますか。

藤岡

おっしゃるとおり、須原地区でも農業従事者は現在19名ほどで、その大半が兼業農家です。高齢化によってリタイアされる方も増えており、地域の担い手不足は深刻な課題です。

ただ、地域内の担い手が減っている一方で、地域外からの協力者は増えています。ゆりかご水田では一部、無農薬栽培をしているのですが、特に5月から6月にかけて除草作業で忙しい時期には、京都の龍谷大学、大阪産業大学、そして地元の滋賀県立大学の学生さんたちが、ボランティアとして毎週交代で手伝いに来てくれるので本当に助かっています。

藤岡

また、近隣の企業さんにもサポートいただいています。魚道の堰板は、もともとは木製のものを使っていたのですが、水に浸かりっぱなしだとどうしても数年で腐ってボロボロになってしまうという課題がありました。

それを知った地元の素材メーカーの方が、腐食しない頑丈なFRP(繊維強化プラスチック)製の特注堰板をつくってくださったんです。その方はいまでも、毎年魚道をつくる時期になると「今年も問題なく機能しているか、魚はちゃんと上れているか」と、個人的に様子を見に来てくださるんですよ。

地域の農家さんだけでなく、近隣の学生や企業の人など、幅広い世代や立場の人々が協力し合っているのですね。そうしたなかで、将来の担い手を育てる活動にはどのように取り組んでいますか?

辻本

まずは地域の子どもたちに田んぼや農業に興味を持ってもらうことが第一歩だと考えています。その意味でも、子どもたちを対象としたイベントは重要で、須原せせらぎの郷では『田植え体験』『いきもの観察会』『稲刈り体験』など年間を通じた体験プログラムを積極的に開催しています。地域の小学校や幼稚園のPTAなどにも働きかけて、地道にイベントへの参加を呼びかけているんですよ。

今年の『いきもの観察会』には100名を超える親子が参加してくれました。昨年は魚道付近に90センチメートル近い巨大なコイが現れて、田んぼ全体に響き渡るような子どもたちの大歓声が上がったんですよ(笑)。

こういったイベント開催の背景にあるのは、かつての私がそうだったように、自然との触れ合いを子どもたちの思い出に残してあげたいという想いです。そして、こうした体験を通じて、次の世代が地域の環境や農業に関心を持つきっかけが生まれることを期待しています。

人々が網やバケツを持って、田んぼの用水路に集まっている様子

2026年6月に行われた『いきもの観察会』の様子。フナ類やナマズの稚魚が数多く確認され、今年も順調に魚が繁殖していることがわかった(画像提供:須原せせらぎの郷)

環境保全をブランド価値へ。即完売の認証米とオリジナル日本酒

「魚のゆりかご水田プロジェクト」に参加している農家が育てたお米「魚のゆりかご水田米」や、須原のゆりかご水田米を使った日本酒「月夜のゆりかご」といった、プロジェクト発の商品も誕生していますよね。

藤岡

日本酒「月夜のゆりかご」の開発の背景には、須原独自の伝統文化がありました。

この地域では古くから、お宮さんの行事やお祭りのあと、地域住民が一堂に集まってお酒を酌み交わし、絆を深める「直会(なおらい)」という文化が大切にされてきたんです。「どうせなら、自分たちが守った田んぼのお米で、地域のみんなが飲めるお酒をつくりたい」。そんな想いから、地元の酒造へ相談したのがはじまりです。

辻本

商品化が決定してからも、自治会館に酒造の社長さんや県の担当者、地域住民が何度も集まり、夜遅くまで議論を重ねました。みんな想いが強すぎて、「ネーミングはどうする?」「ボトルの瓶の色は?」「ラベルのデザインや帯、説明書きのコピーはどう表現する?」と、最初の頃は意見が全然まとまらず(笑)。ただそれだけに、みんなで知恵を絞って「月夜のゆりかご」という美しい名前とデザインが決まったときの感動はひとしおでしたね。

純米吟醸酒「月夜のゆりかご」。魚のゆりかご水田で育ったコシヒカリを使用し、やさしい口当たりとほどよいキレが特徴

地域の皆さんの想いが詰まった日本酒なんですね。

西田

そうですね。滋賀県としては、「魚のゆりかご水田プロジェクト」の価値を市場でも正しく評価してもらい、農家さんの経済的なメリットにつなげたいと考えていたんです。そこで独自の認証制度を創設し、パンフレットを制作・配布したり、東京・有楽町のマルシェに出店したりと全国に向けた情報発信を行ってきました。

農家の方々がこれだけの手間暇をかけて、琵琶湖の在来魚の産卵・成育の場を守っているからこそ、それに見合う価格で販売できなければ、活動を継続することはできません。「環境保全」と「経済」の両輪を回すことが、行政の大きな役割だと考えています。

藤岡

「魚のゆりかご水田米」は、SNSを通じて「魚たちが元気に泳ぎ回れるほど安心・安全な田んぼでつくられた、極上のお米です」と発信しています。

すると、消費者のみなさんも情景がイメージしやすいようで、「これなら子どもにも安心して食べさせられる」と好評で、おかげさまで毎年驚くほど早い段階で完売になるんですよ。

魚のゆりかご水田米。環境こだわり米よりも厳しい基準で滋賀県の認証を受けている(画像提供:須原せせらぎの郷)

2人の人が田んぼを耕している

須原の「魚のゆりかご水田」では、一部の水田で無農薬・無化学肥料栽培にも取り組み、人にも環境にもやさしい米づくりをめざしている(画像提供:須原せせらぎの郷)

近年はこのプロジェクトを含む一連の取り組みが「琵琶湖システム」として世界農業遺産にも認定されましたが、地域への影響はありましたか?

藤岡

大きな励みになっています。認定の審査の際は、ブラジルから来た調査官の方に、実際に稚魚が泳ぐ姿を見ていただいたんですよ。最近は台湾やアメリカなど海外からの視察も増え、地域のみんなの誇りにもつながっています。

信念はブラさず、手法は柔軟に。次世代へつなぐ農村の風景

「魚のゆりかご水田プロジェクト」は滋賀県全体で行われていますが、須原地区以外での取り組み状況はいかがでしょうか?

西田

ピーク時の2013年度には、滋賀県内で33地区がこのプロジェクトに取り組んでいましたが、地域の高齢化や担い手不足により、2025年度時点では18地区にまで減少してしまっているのが現状です。

ただ、そんななかでも、プロジェクト初期から参加してくださっている須原地区の方々は、約20年もの間トップランナーとして活発な取り組みを継続してくださっています。

そうした須原地区の取り組みの継続について、行政の立場からは、どのような秘訣があると考えますか?

西田

理由は、大きく3つあると考えています。第1に、個人の熱意に依存するのではなく、協議会を立ち上げて、自治会や地域の農家の方々と連携しながら「地域全体で取り組む土壌」をつくり上げたこと。

第2に、住民一人ひとりが「自分たちの誇り、自分たちのまちづくり」として活動を「自分ごと」として捉えていること。そして第3に、地域内外の多様な人々、学生、企業、行政を巻き込む関係人口を創出していて、常に地域に新しい風が吹き込み続けていることです。

須原せせらぎの郷のように、自分の地域でも多くの人を巻き込んだ環境保全に取り組みたい方に向けて、「続けていくために大切なこと」をみなさんの経験から伝えるとしたら、何でしょうか?

藤岡

私は「信念をブレずに持ち続けること」、そして「時代に応じて柔軟に変わり続けること」が大事だと思います。私たちの活動の根底にある、「琵琶湖の環境を守り、安心なお米をつくる」という信念は、この20年間まったくブレていません。

一方で、やり方や発信の方法は、時代に合わせて手探りで変えてきました。昔は紙のチラシだけだった広報も、FacebookやInstagram、いまでは学生たちの力を借りてYouTube動画の配信もしています。

昔のやり方に固執せず、若い人たちの声をよく聞き、新しい技術にも頼りながら、発信し続けること。それが、プロジェクトが長く支援され続ける秘訣だと思います。

辻本

私がお伝えしたいのは、「この活動が、地域住民や周りの人たちにどんなメリットをもたらすのか」を、対話を通じて伝え続けることの大切さです。

周りの人々がそのメリットを肌で感じて理解してくれたとき、他人ごとから応援へと変わり、やがて「自分ごと」として自ら動き出してくれるのではないかと思います。

畳の部屋で地域の人々に囲まれながら5名の学生が発表をしている

須原の集会所にてレクチャー後、琵琶湖システムについて発表する龍谷大学金ゼミの学生たち(画像提供:須原せせらぎの郷)

10名ほどの学生が田んぼの中で作業をしている様子

大阪産業大学の学生と卒業生、そして龍谷大学の学生が、田んぼの除草作業の手伝いに来てくれた様子(画像提供:須原せせらぎの郷)

辻本さん自身も、この活動を自分ごととして、やりがいを持って取り組んでいらっしゃるんですね。

辻本

そうですね。私は2025年の4月に代表のバトンを受け継ぎましたが、「この活動には計り知れないやりがいがある」と感じています。

個人的に感じている大きな変化は、違う世代の方と交流する機会が圧倒的に増えたこと。日々のコミュニケーションを通じて、世代を超えて地域全体が支え合うことの尊さや可能性を肌で感じています。

こうした地域のつながりは、まさに私たちが守りたかった「賑わいのある農村風景」そのものです。この大切な風景を次の若い世代にもつなげられるよう、これからも活動を継続していきたいですね。

この記事の内容は2026年9月8日掲載時のものです。

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Credits

取材・執筆
榎並紀行(やじろべえ)
写真
原祥子
編集
牧之瀬裕加(CINRA, Inc)

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