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くるり岸田繁が『京都音楽博覧会』を20年続けられた理由。「目標を掲げない」継続論
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各地で地域イベントが生まれては消えていくなか、20年、30年と続いていくものは決して多くありません。長く愛され続けるイベントには、どんな秘訣があるのでしょうか?
そのヒントを探るべく、今回注目したのが、毎年秋に京都市で開催される野外音楽イベント『京都音楽博覧会』(以下、京都音博)です。主催は1996年に京都府で結成されたロックバンド「くるり」。くるりの結成30周年となる2026年に、京都音博も20周年という大きな節目を迎えます。
本記事では、くるりのギターボーカルで、京都音博を主導している岸田繁さんにインタビューを実施。京都音博の開催場所として梅小路公園を選んだ理由から、イベントを「続ける」ためのポイント、そして地元「京都」への想いを聞きました。「目標を掲げない」という岸田さんの言葉には、地域で何かをはじめて、続けたいと考えるすべての人へのヒントが詰まっていました。
昨年の『京都音楽博覧会 2025』の様子(画像提供:京都音楽博覧会)
【『京都音楽博覧会』とは】
- 2007年にくるりの主催でスタートした野外大型音楽イベント
- ジャンルや世代を越えて、国内外の幅広いアーティストが出演する
- 近年は2日間開催されることが多く、期間中の総動員数は約24,000人規模。音楽ファンを筆頭に、地元だけでなく全国各地からの集客を実現している
- 会場は京都駅から徒歩約15分の「梅小路公園」
- 音楽だけでなく、地域の環境への取り組みも開催当初から重視。会場の芝生保全や、食べ残しなどをたい肥に変えて公園へ還す「資源が“くるり”プロジェクト」などを実施
- 20周年を迎える2026年は10月10日、11日の2日間にわたって開催。奥田民生、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Suchmos、宮本浩次、角野隼斗Solo & Trioほか多数の国内外アーティストが出演予定
気づいたら20周年。想像以上に続いている『京都音博』の誕生秘話
—2026年、京都音博は20周年という節目の年を迎えます。近年の京都音博は、20年前に岸田さんが思い描いていた姿と一致していますか?
岸田
半分は一致していて、半分は想像していなかった、という感じですかね。そもそも、京都音博は2007年にくるり結成10周年を記念して開催したイベントで、毎年続ける前提ではじめたわけではありませんでした。
ただ、ご来場いただいたお客さんから「来年も開催してほしい」という声をたくさんいただいたり、出演アーティストの方々からも「来年も参加したい」と言ってもらえたりすることが多くて。
そういった声を聞くと「来年もやろうかな」という気持ちになり、あれよあれよという間に、気づいたら20周年になっていました(笑)。ですから、ここまで続いていること自体が想定外です。一方で、大筋のコンセプトなどは第1回から変わっていません。そういった意味で、現在の京都音博が20年前に思い描いていた姿かどうかといえば、ちょうど半々くらいの感覚ですね。
岸田繁さん
1976年生まれ。京都市北区出身。作編曲家 / シンガー・ソングライター / ギタリスト。オルタナティブロックバンド「くるり」のボーカル、ギターを担当。バンド活動と並行して、他アーティストへの楽曲提供や映画音楽の制作、管弦楽作品のリリースなど、作曲家としても幅広く活動する。2007年から、くるり主催の野外音楽イベント『京都音楽博覧会』を梅小路公園で開催している
『京都音楽博覧会』ダイジェスト映像
—開催場所が梅小路公園というのも、初回から変わらないことの一つです*1。なぜ、この公園を選んだのでしょうか。
岸田
実は当初、開催場所の選定には、かなり悩まされていました。私はくるり主催の大型イベントをやるのであれば、地元の「京都市内」かつ「野外」という条件でやりたくて。当時、京都市内での大規模な野外フェスは前例がなかったこともあり、その実現にこだわりたかったんですよね。
ただ、京都市って緑豊かではあるものの、大型の野外イベントが開催できそうな場所は、規模や設備などの環境面の問題でなかなか見つからなくて。そこで、地元の広告代理店で働いていた父親に「ちょうどいい場所はないか」と相談してみたんです。そのときに紹介してくれたのが、梅小路公園でした。
父は、梅小路公園の管理業務などを行っている方々と仕事をしていたそうで。そんなご縁から、梅小路公園で京都音博を開催させてもらえる流れにつながりました。
*1 コロナ禍の2020年と2021年のみオンライン配信での実施となったが、それ以外は例年、梅小路公園にて実施されている
京都市内でも有数の広さを誇る梅小路公園。普段は、子どもから大人まで幅広い世代が思い思いの時間を過ごす、市民の憩いの場となっている
公園内の有料庭園「朱雀の庭」にて撮影。四季折々の花が咲くこの場所も、梅小路公園の魅力のひとつ
岸田
この公園は立地的にも京都駅から徒歩圏内ですし、この場所を盛り上げることが、京都市を盛り上げることにもつながるはず。そう思って、梅小路公園での開催を決めたんです。
—そこから梅小路公園で、京都音博を20年続けてこられたわけですが、近隣エリアにはどのような影響を与えられたと実感しますか?
岸田
はじめて京都音博を開催した2007年は、そんなに賑わうようなエリアではありませんでした。ですが、その後に京都水族館や京都鉄道博物館、さらにはJR梅小路京都西駅も開業したことで、このエリアに訪れる人が年々増えていった印象です。
その変化に、京都音博がどれだけ影響しているかは測りかねますが、エリアの活性化に少しでも貢献できているなら嬉しいですね。
「しないではいられないことを続けなさい」。水木しげるの言葉に支えられた20年
—主催の大型イベントを20年も続けるには、苦労も多いと思います。これまで「やめよう」と思ったことはありませんでしたか?
岸田
正直、「やめたい」と思う瞬間は毎年ありますよ(笑)。イベントを継続させるためには、一定の収益を出さなければならず、そのためには集客が欠かせません。ただ、集客するのって本当に大変なんです。なかなかうまくいかなかった年もあって、そのときはまさに火の車でした。
そんなこともあったので、「無理して続けなくてもいいのでは?」と周囲の人から言われることもありますし、自分でも「そうだよな」と思ったりもするんです。でも、そう言われたら言われたで、「絶対に続けてやる」という気持ちも湧いてしまうんですよね(笑)。
—毎年、葛藤されているんですね。それでも続けていくために、岸田さんが大事にしている考え方などはありますか?
岸田
漫画家の水木しげる先生が著書のなかで「しないではいられないことを続けなさい」みたいなことを書かれていたと思うんです。それが印象に残っていて、私も「人に『やめろ』と言われても、やってしまうことだけをやり続ける」という考え方を大切にしていますね。
たとえば、私は誰かに「こういう曲はつくるな」と言われても、自分がつくりたいと思う曲をつくり続けてしまうと思うんですよ。水木先生の言葉に従うならば、誰に止められようが、自分がつくりたいと思うものはつくり続けていい。本気でそう思えることであれば、おのずと続いていくはずですから。
—岸田さんの場合は「続けてしまう」ことが「音楽」であり、その発展が京都音博だったわけですね。
岸田
そうですね。ただ、何かを続けるためには、そういった精神論だけではなく、ロジカルであることも求められると思っています。
音楽でいえば、しっかりと和声学を学ぶことが創作の基礎となる。西洋音楽には和音(コード)や、和音同士のつなげ方などに関する明確なルールがあるんです。そのルールを体系的にまとめたものが和声学で、音楽の「ロジック」ともいえるものです。
もちろん、和声学が定めるルールやロジックに従わずに曲をつくることは可能ですが、「立ち返る場所」がなければいつか迷ってしまい、曲づくりを続けられなくなってしまうと思うんです。
それに、音楽にしろイベントにしろ、誰かを巻き込みながら何かを続けていくには、かかわる人たちと共有できる基準や根拠が必要になる場面も出てきます。だからこそ、その分野におけるルールやロジックも抑えておくことも重要だと思っています。
目標は、あえて掲げない。継続していくために、意識している「円環」とは
—たしかに、続けるためには情熱だけでなく、ロジカルな視点も必要ですよね。そうした土台を固めるのは前提としたうえで、進むべき方向性や目標はどのように決めているのでしょうか?
岸田
具体的な目標は、あえて掲げないようにしていますね。というのも私の場合、何か新しいことをはじめたり、それを続けようとしたりする際に、目標を立てると必ず失敗するので。「目標から逆算して行動を決める」みたいなかっこいいことをしようとすると、絶対にどこかでうまくいかなくなってしまうんです(笑)。
岸田
ですから、目標を掲げる代わりに、物事をはじめる際は「円環」あるいは「循環」させるという視点や思考を重要視しています。それは音楽制作も同様です。基本的に1つの曲には起承転結があるのですが、「結」が「起」に帰っていくことを常に意識しているんですよね。
そうした「円環」を生み出すこと、言い換えれば「終わり」をただの「終わり」にするのではなく、いかに新たな「はじまり」につなげるかが大事なわけです。イベントを続けるうえでも、音楽をつくり続けていくうえでも、「円環」が生まれるにはどうしたらいいかをよく考えています。
—その「円環」へのこだわりは、バンド活動や京都音博の運営をするなかで培われたものなのでしょうか? それとも、もともとお持ちだったのでしょうか?
岸田
どうなんでしょうね。具体的に「円環」や「循環」を意識するようになったのは、ある程度キャリアを重ねてからですが、思い返すともともと「回るもの」が好きではありました。子どもの頃は換気扇の下に立って、くるくると回る様子をずっと見ていたらしくて。われながら「変な子どもやなあ」と思いますけど(笑)。
—奇遇にも「くるり」というバンド名にも通じるエピソードですね(笑)。2022年の音博から開始した「資源が“くるり”プロジェクト」も、まさに「円環」を生み出すための取り組みですよね。
食品由来の廃棄物からつくった堆肥を会場内でおすそわけしている
【「資源が“くるり”プロジェクト」とは】
京都音博の会場で出た食べ残しや余った食材を回収し、完熟たい肥へと変え、会場である梅小路公園の土へ還す取り組み。サーキュラーエコノミー研究家の安居昭博さんが立ち上げ時からアドバイザーとして携わり、地域の人々や事業者と連携しながら、2022年にスタート。イベント当日だけで完結させず、終了後も、地域のなかに資源や人の循環を生み出している。
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岸田
そうですね。京都音博は梅小路公園の芝生広場でやらせていただいているので、開催後の芝生の養生をお手伝いしていたのですが、あるとき、地域の方がボランティアで公園の花壇や植生のお世話をされているとお聞きしたんです。
そこで使うたい肥を提供できれば、少しばかりこの土地や地域住民の方への「お返し」になるのではないかと。そんな考えから生まれたのが「資源が“くるり”プロジェクト」です。
—大型の野外イベントを開催するには、近隣の方のご理解やご協力が必要不可欠になりますからね。そういった方々の日常に「お返し」できる、いい取り組みですね。
岸田
やはりイベントを主催する以上、開催によって影響を受ける地域の方々への配慮は欠かせないと思います。有料のイベントをやるには、公園の一部分をどうしても閉じた空間にする必要がありますし、音楽イベントなので音漏れの影響も避けられません。だからこそ、せめて地域のみなさんにもイベントを楽しんでもらいたいという想いは、ずっと変わらずにあります。
開催初期から、イベント期間中は公園内に誰でも入れるエリアも設けて飲食ブースなどを設置していますが、それだけでは不十分かもしれないとずっと感じていて。でも「資源が“くるり”プロジェクト」をスタートさせてからは、イベント期間外にも活動の幅がより広がった感覚はあります。
地域のみなさんとの新たなつながりが生まれている実感も得られているので、今後も続けていきたいですね。
岸田繁が思う「京都」の魅力とは? 独自の文化醸成につながった3つの転換点
—『京都音楽博覧会』という名のとおり、市内にとどまらず「京都」を代表するイベントでもあると思います。岸田さんにとって生まれ故郷でもある「京都」の魅力は、あらためてどこにあると感じていますか?
岸田
最大の魅力は、やはり「文化」だと思います。清水寺や金閣寺のような歴史的建造物も文化の一部ですが、私は「文化」とは「人の営み」そのものだと考えています。そうとらえたとき、現在の京都の文化には、過去の3つの転換点が大きく影響していると私は思っています。
—3つの転換点とは?
岸田
1つ目は、794年の平安京への遷都です。以降、約1,100年にわたって日本の中心地であり続けたことが、京都の文化の土台になっています。2つ目は、豊臣秀吉による都市改造で、応仁の乱によって壊滅状態になっていた京都の街の整備を進めたこと。現在の京都市街の基礎は、この大規模な都市改造によってつくられました。
そして3つ目は、明治期に実施された琵琶湖疏水の造成です。1868年に東京への遷都によって京都の人口は減り、産業も衰退してしまいました。そこから立て直しを図るべく、1890年に琵琶湖から京都へ水を引く琵琶湖疏水の造成が完成し、1891年には日本初の営業用水力発電所が開業しました。このことによって、京都の街に電気が行き届くようになり、一気に新たな産業が花開いていったのです。
岸田
電子機器をはじめとするものづくりの分野で、世界的に活躍する企業が京都からいくつも生まれた背景のひとつには、この豊かな水と電気に支えられた産業基盤があったといわれています。
私たちの生活は、先人たちがつくりあげた基盤の上に成り立っている。そういった意味でも、京都の文化は「人の営み」によってつくられてきたといえます。だからこそ、いまの時代に、どのような営みを重ねていくべきなのかという点にも目を向けていきたいですね。
—岸田さんは京都音博だけでなく、京都精華大学や立命館大学での教育活動や、地元の老舗ライブハウスでの公演、そして京都出身のアーティストとのコラボ楽曲の発表など、日常的にも京都の街や人とのかかわりを続けていらっしゃいますよね。今後はどのようなかたちで「京都」の文化や営みに携わっていきたいですか?
岸田
現在は京都市内に住んでいるのですが、最近は京都府北部に滞在することも多くて。そこはたまたまご縁をいただいた土地で、人口密度で言えば京都市の50分の1ほどだと思うのですが、その地域ではすべての人がコミュニティ内での役割を持ち、それぞれがその役割を全うするかたちでコミュニティが運営されています。
そんな地域のあり方に魅力を感じて、自分もその一員になってみたいと思ったんです。そこから、京都に対するかかわり方を、あらためて考えていきたい。まずは、その地域が抱える課題の解決に貢献するための方法を模索し、行動してみたいですね。
その課題は京都市や府、あるいは国が抱える課題と比べると小さいものかもしれませんが、まずは素朴な日常のなかで、何らかの課題にしっかりと向き合う感覚を掴みたいと考えています。そして、そこで得た感覚を京都市や京都府全体、あるいは京阪神エリア、そして日本という国に還元していきたいと思っています。
くるりの楽曲“Regulus”(2025年)には、京都出身のバンド・Homecomingsの畳野彩加がゲストボーカルとして参加。2025年の京都音博のステージでも、両者の共演が実現した。Homecomingsは2026年の京都音博にも出演予定
鍵になるのは、地域住民の力。次世代への継承を考える
—京都の文化を担う次の世代に対して、何か伝えたいことはありますか?
岸田
「これからが本当の頑張りどきやで」ということですかね。先ほど挙げた京都の3つの転換点は、その時代の権力者や為政者が主導したわけですが、実際の事業推進を担ったのは京都の住民のみなさんだったはずです。
言い方を変えれば、地域住民の力によって、京都という街の土台と歴史はつくられてきた。しかし近年では、地域住民の力で街が大きく変化するような出来事は起こっていないように思います。
「京都」は魅力的な場所で、国際的なブランド力もあります。しかしその魅力と価値の大部分は、先人たちがつくり上げたものであり、私たちはその恩恵にあずかっているだけなのではないかと、時折思うんです。
もちろんそれが悪いことだとは言いませんが、高齢化や人口減少などによって社会構造が変わっていくなかで、京都という街にも大きな変化を起こさなければならない時期が、ふたたび来ているのではないでしょうか。
京都の大学生の日常を歌ったくるりの楽曲“京都の大学生”。京都音博でもたびたび演奏されている
岸田
京都市内はもちろんのこと、近隣の市町村、あるいはより広く「京都」の魅力をとらえ、その文化や価値を守り、発展させていく。今後は、そんな視点が求められているような気がします。
—そうした視点を踏まえたうえで、岸田さんご自身は京都音博というイベント自体を、次の世代につないでいきたいというお考えもあるのでしょうか?
岸田
そうですね。20年続けてきたなかで自然とイベントを成功させるためのノウハウが蓄積されてきたので、次の世代の人たちにそれをしっかりと継承していかなければならないと思っています。「くるりの京都音博」ではなく、あくまでも『京都音楽博覧会』としてやってきたので、引き継ぎたいという人がいたら、ゆくゆくはお任せしたいです。
一方で、この20年間で梅小路公園という場所、そして京都に少なからず貢献してきたという自負もあるので、継承の仕方はしっかりと考えていきたいですね。
—読者のなかには、20年前の岸田さんと同じく「地域に貢献したい」「地元を元気にしたい」と考えている方もたくさんいると思います。そういった方々へ、最後にメッセージをいただけますか?
岸田
地域貢献のアイデアをお持ちの方はたくさんいると思うのですが、大変なのは実際にそのアイデアをかたちにして継続すること。そのプロセスは本当に過酷で、途中で諦めてしまう方がほとんどではないかと思います。
その壁の乗り越え方に「正解」はないと思いますが、重要なのは「やりたい」という想いに共感してくれる人を見つけることなのではないでしょうか。一緒に汗を流したり、ともに喜んだり悲しんだりしてくれる人がいれば、難しい壁にぶつかったときも、きっと前へ進み続けられると思います。
この記事の内容は2026年9月29日掲載時のものです。
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Credits
- 取材・執筆
- 鷲尾諒太郎
- 写真
- タケシタトモヒロ
- 編集
- 吉田真也(CINRA,Inc.)