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作家・小原晩による書き下ろし短編小説『あの日の夏、そして夏』

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私家版ながら累計1万部を突破したエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』の著者・小原晩さんによる書き下ろし短編小説。

遠くから聞こえるお祭りの音。輪の外で立ち尽くしていた幼い日の記憶──。過去と現在が静かに響き合う、町で起こった小さな物語をお届けします。

あの日の夏、そして夏

1

小学一年生の二学期までは、家族四人で団地にいた。自分の部屋はなかったけれど、子どものための部屋はあって、二段ベッドが置かれていた。夜になると兄は下の段、私は上の段で眠った。

いい加減せまいから、という理由で、団地を出ることになった。新しい町は、少し遠く。中古の一軒家は、湿った匂いがした。

新しい家、新しい学校、新しいともだち、新しい公園、新しい町。わたしは、人見知りというものを、自分の中に見つけた。しらない同い年に囲まれるのは、心細かった。家に帰って、兄と話すと、ようやく胸のあたりがゆるんだ。兄はすぐに、うまく馴染んだようだった。

二年生になった頃、帰る方向が同じだったゆかりちゃんとまどちゃんと仲良くなった。ゆかりちゃんの家の床に落ちていたぴかぴかの十円玉をもらったり、まどちゃんのお母さんが買ったばかりのバランスボールにこっそりのせてもらったりしたのだった。

ゆかりちゃんは算数が得意で、まどちゃんは漢字が得意だった。わたしは九九を言えないし、音読すれば読み間違えるし、とび箱の一つも飛べないし、ドロケーをすればすぐ捕まるし、だれひとり捕まえられなかった。それでも、ゆかりちゃんとまどちゃんは、わたしを仲間はずれにしなかった。風邪をひいて学校を休めば、うちまでプリントを届けてくれた。

夏やすみになった。この町で迎える、はじめての夏。

父も母も働いていて、兄はもう中学生になり遊びに行ってばかりだったので、ほとんど家にいなかった。朝遅く起きるとリビングには、猫とわたしのふたりきり。プールに行かなければならない日以外は、ゆかりちゃんともまどちゃんとも遊ばなかった。家にいるのがとくべつ好きだったわけではないけれど、外に出て誰かと一緒にいたいとも、あまり思わなかった。だから、たいていは家にいて、つめたい麦茶を飲んだり、『笑っていいとも!』をみたり、ソファーで横になりながらお菓子を食べたり、猫と一緒にカーテンにくるまったりして過ごした。

夕方になると、母が先に帰ってきて、ごはんを食べて、お風呂に入り、その頃にやっと父は帰ってきた。わたしは、わたしの部屋のシングルベッドでひとり眠って、また次の日も、似たようなふうに過ごした。宿題はやらなかった。日記も書かなかった。あさがおは枯らした。兄は帰ってこなくなった。

2

夕焼けの時間。母が帰ってきて、夜ごはんの準備をはじめたころ、窓の外から、笛の音、太鼓の音、なにやら景気の良さそうな金属の跳ねるような音が聞こえてきた。
「なんだろう」というと、母は、
「おまつり」と簡単にこたえる。
おまつり。おまつり……。なるほど。この町には、おまつりがあったのか。おまつり、なるほど……。

ゆかりちゃんとまどちゃんと、三人で読んでいる漫画の主人公が、なにかあるたびに口にする「なるほど。」ということばは、いつのまにか、わたしの頭のなかにも染みこんでいるようだった。
「おまつり、なるほど……」
「なるほど、おまつり……」

夜ごはんの白米をかみながら、そう何度もつぶやくわたしに、母はあきらめたように「おまつり行こうか」と青白い顔で言ってくれた。母は、つかれていた。

夜。暗いというだけで、町はすっかり違うものに見えた。ぽつん、ぽつんとある白い街灯の下を、おまつりの音を頼りに、母と手をつないで歩いた。どこか知らない公園でおまつりはおこなわれているのだと思っていたら、すぐそこのなにもない、だだっぴろい、空き地の真ん中に、やぐらは立っていた。思ったより、ちゃんとしていた。そのまわりには、かき氷、ベビーカステラ、チョコバナナ、やきそば、たこ焼き、わたあめの屋台があった。空き地の錆びた金網には小さな電球がいくつもかかって、ちらちらと光っていた。

やぐらのまわりを、ひとびとは踊りながら、歩いている、歩いている、まわっている、ひらひら、ぐるぐる、踊っている。みんな同じふりつけで、同じように、ひらひら、踊っている。いつ共有されたのだ、その踊りを。その曲を。わたしは母の手を、ぎゅっと握った。母は「おまつりだね」と簡単に返した。

ふしぎだなと思いながら見つめているうちに、小さな太鼓を手に持ったゆかりちゃんと、金色の小さな楽器を手に持ったまどちゃんがやぐらの角からあらわれた。

ふたりは小慣れた感じで音を鳴らしながら、ゆっくりとやぐらのまわりを歩いている。ねり歩いている。なるほど。なるほど……。踊るひとびとを踊らせているのはゆかりちゃんとまどちゃんだったのか。なるほど。なるほど。なるほど。ふたりはいつ練習していたのだろう。いつからこんなことをやっているのだろう。どうしてわたしには、なにも知らされなかったのだろう。機会は、どこに、あったのだろう。

わからないまま黙って見ていると、ゆかりちゃんとまどちゃんがわたしに気づいて、いつものように笑いかけてくれた。わたしは母の手を離して、両手をふった。ふたりは音を鳴らしているから、笑顔でうなずくだけだった。

3

こんなことを思い出しているのは、駅からずいぶん遠い、建売の一軒家に引っ越してから、はじめての夏がやってきたからかもしれない。

大人になったいまなら、わかる。共働きの両親には、そういうことを気にする余裕はなかったのだと思う。もし親がそういうことを仕切っている、そういう会に入り、顔を出せる時間と気力があれば、わたしは小さな太鼓や、小さな金色の楽器を叩くふたりの横でひらひらと踊ることができたかもしれない。

そうは思いながらも、大人になったわたしだって、回覧板をおとなりに届けるのに、三日はかかる。だから、親を責める気にはなれない。それでも、と思う。

二歳になったばかりの子どもが、窓の外を見ている。その小さな背中を見ていると、考えてしまう。この子はおまつりが好きになるだろうか。音に身をまかせて、ひらひら踊りたくなるだろうか。

回覧板をうちで止めてからもう三日目になるから今日中に回さなければと紙の束をめくっていると、「レッツ盆踊り」と書かれた明るいチラシが挟まっていた。わたしがあの夏の夜に見つめた、あのぐるぐる、ひらひら踊るあれは、盆踊りだろうか。

「あなたも体験してみませんか」「健康にいいですよ」「踊るとたのしい」「出会いがうれしい」「本気でやると汗をかきます」「心がうるおう」

なるほど……。

わたしは体験日をメモし、おとなりのポストに回覧板を投函した。

4

ひとりで歩いて行った。人見知りだったころの自分が、ゆっくりと戻ってくる。肩のあたりから腹のあたりにかけて緊張があるのがわかる。わかるようになっただけ、大人になったのだと、冷静を気どって歩く。市民会館の階段の手すりはすべすべしていて、長く人の手に触れられてきた、木肌のなめらかさがある。

とびらを開けると、子どもも大人もぞろぞろいた。

こんなに大勢、と思いながら、目を泳がせていると、「体験ですか?」とすぐに声をかけてくれた。おだやかそうなひとだった。

「まずは見よう見まねで大丈夫ですよ、簡単ですから」

そのひとは、どうやら先生らしかった。

鏡のある正面へとすっと立って、ひらひら、ゆさゆさ、踊ってみせる。

大勢の中に混じると、思いのほか、踊ることの恥ずかしさというものは、簡単にゆるんだ。先生の動きを見ながら、まねをしてみる。手をあげて、まわして、足をすこしずつ運ぶ。おぼつかないのに、なつかしい。

やがて鏡にうつる自分がうっすら笑っていることに気づいた。前の人も、となりの人も、後ろの人も、みんな同じように、うっすら笑っているように見えた。

あの日、輪の外にいたわたしは、いま、踊りの中にいる。

母の手をぎゅっと握ったあの手のひらは、すらりと伸びて、音に合わせてひらひらと、そして、うれしく手を叩く。

このわたしを、わたしは、母に見せてやりたい。そして子どもにも見せてやりたい。けれどやっぱり、わたしは、わたしに、いちばん見せてやりたい。あの夏の夜のわたしにも、大人になったわたしにも。このうっすら笑っている、見るからにたのしそうなわたしを見せてやりたい。

この記事の内容は2026年3月3日掲載時のものです。

Credits

執筆
小原晩
イラスト
竹井晴日
編集
森谷美穂(CINRA, Inc.)

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