大分県の別府や湯布院、群馬県の草津、愛媛県の道後など、全国には名の知れた温泉地がたくさんあります。そんななか、「人口10万人あたりの公衆浴場数*¹」が全国で最も多いのは、実は青森県!
雪深い冬、冷えた体を温めたり、一日の終わりに近所の人と湯船で語り合ったり……。青森で暮らす人にとって、温泉や銭湯*²は「特別な場所」ではなく、生活のなかに当たり前にある風景です。なぜ青森には、これほどまでに日常のなかに温泉や銭湯が根づいているのでしょうか?
その疑問を明らかにすべく、全国各地の温泉を巡ってきた温泉マニアであり「青森の湯っこ協会」代表である沓掛(くつかけ)麻里子さん、そして青森市内にある油川(あぶらかわ)温泉の佐藤孝一さんにお話をうかがいました。
*1 総務省統計局:社会・人口統計体系 都道府県データ 社会生活統計指標(2021年度)
*2 本記事では「温泉」と「銭湯」を一括して「温泉・銭湯」で表記しています。厳密には、銭湯は人工的に湯を沸かした公衆浴場をさし、温泉は地中から湧き出る天然の湯を利用したものをさします。
登校前に朝風呂? 学生や農家、漁師を支えてきた青森の温泉
青森県に温泉・銭湯が多い理由を探るため話を聞いたのは、青森の温泉の盛り上げに尽力している「青森の湯っこ協会」代表・沓掛麻里子さん(以下、沓掛)。
上京して仕事をはじめるときも、東京都内で温泉が多い大田区を住処として選び、添乗員の仕事で全国の温泉にも詳しくなったというほど、根っからの温泉好きとのこと。
そんな沓掛さんが、今回の取材場所として選んだのは、昔ながらの浴室が魅力的な街の温泉「油川温泉」です。油川温泉を営む佐藤孝一さん(以下、佐藤)もまじえて、青森県の温泉・銭湯に根づく文化やそれにまつわるエピソードをお聞きしました。
青森県青森市にある油川温泉。国道沿いにあり、すぐ近くには青森湾が見渡せる
油川温泉の浴室にある、陶器のタイルに絵を焼きつけた珍しい壁画
―青森では温泉・銭湯が他県よりも多いといわれていますが、その理由はなんだと思いますか?
佐藤
昔は全国的に、ほとんどの家に内風呂がありませんでした。なかでも青森県は家庭用の風呂の普及が特に遅かったといわれており、その影響が大きいんじゃないでしょうか。
油川温泉のご主人、佐藤孝一さん
沓掛
私は子どもの頃、祖父母の家に住んでいたのですが、その家にもお風呂がありませんでした。だから、代わりに温泉に行くのが日常でしたね。小学校へ行く前に、毎朝朝風呂に入っていました。
青森の湯っこ協会、代表の沓掛麻里子さん
佐藤
朝風呂文化が根強いのも、青森の温泉・銭湯の特徴だね。農家や漁師は朝が早いから、八戸市のような漁師町は特に早くからやっているところが多いです。
沓掛
自分のなかではそれが普通だったので、東京に引っ越したとき、銭湯が開くのが午後3時とか4時だと知ってびっくりしましたね。この辺りだと、朝4時から開いている温泉もあります。
—朝4時! それはずいぶん早いですね。
沓掛
それから、青森県内には日本国内にあるといわれている10種類の泉質のうち、8種類が湧いているというのも重要なポイントの一つです。これだけ多彩な泉質が集まっていれば、温泉が生活に深く根づくのも必然なのかなと。硫黄の強い温泉もあれば、温度も低いところから高いところまでいろいろです。
佐藤
油川温泉は源泉が25.2〜3℃だから、適温まで沸かしています。でもそのぶん、男湯にあるサウナの水風呂は源泉のまま。サウナの水風呂としてはぬるい、という人もいるけど、「これがちょんど(ちょうど)いいんだよなぁ」というお客さんもいます。
男湯の脱衣所に設えてあるサウナ。佐藤さん自ら壁を青森ヒバに張り替えた
男湯にある源泉かけ流しの水風呂
トド寝、もやし栽培、味噌の発酵まで! 湯量が多いからこそできること
―自宅のお風呂の延長線上に、温泉・銭湯があるのですね。
沓掛
一方で、青森は娯楽が少ないので、温泉に行くことは楽しみのひとつでもありますね。出かけた帰りにそのまま温泉に寄って来るので、車にシャンプー、リンス、着替えの服などを入れた「お風呂セット」を積んでいる人も多いんです。私も日曜日にはよく、家族で少し離れた場所にある温泉へ行ったりしていましたね。それがひとつの週末の過ごし方になっていました。
家族風呂と呼ばれる貸切風呂も、県内に50か所ほどあります。カラオケをイメージしていただくとわかりやすいかと思うのですが、個室がいくつかあって、1部屋を1時間でいくら、というような借り方。多くはだいたい1,500円前後くらいですね。
子どもが多少にぎやかでもほかの方のご迷惑にならないし、身体が不自由な方用にバリアフリーで洗い場がすごく広いところもあります。手術の跡を見られたくないという人にも喜ばれているようです。
佐藤
老人福祉センターにある温泉に、家族と行く人も増えてきましたね。
沓掛
私が一時期住んでいた鹿児島にも、温泉併設の老人福祉センターはありました。でも、老人福祉センターってだいたい何歳以上しか入れないという年齢制限があるんですけど、青森はその制限がない場所も多いんですよね。自由度は高いと言えるかもしれません。

沓掛
三沢市内の公衆浴場には、米軍基地の人たちが入りに来ることが多いので、英語で説明書きがあります。昔は基地のなかで温泉の入り方を教える研修があったものの、最近は先輩から後輩に代々教え継がれていく流れができて「研修がなくても入れるようになった」と聞いています。
昭和の風情が残る、レトロな床と、蛇口
─福祉施設にも温泉があるなど、本当に暮らしに根づいているのですね。地域の生活との結びつきを感じるような、ユニークな光景はありますか?
沓掛
そうですね。最近は「温泉に入りに行く」だけにとどまらず、地域の生活を支えている側面もあります。温泉や銭湯でお惣菜や野菜を販売するところや、近所で閉店してしまった日用品店の在庫を全部引き取って、トイレットペーパーなどを販売するところも。年々、徒歩で行ける小さい商店が減ってきているので、車を持たず、遠くまで買い物に行くのが難しいお年寄りにとっては、「お風呂のついでに日用品も買える」っていうのがすごく助かるみたいですね。最近はキッチンカーが駐車場に来ることもあり、お風呂上がりに冷たいものを飲むために利用している人も多いと思います。

沓掛
そういえば、青森ではお風呂上がりにサイダーを飲む人が多いかもしれません。実は炭酸飲料の消費量は青森市が日本一*3。全国的には「お風呂上がりは牛乳」という人が多いと思いますが、青森ではサイダーが多い気がします。
*3 総務省統計局:家計調査(二人以上の世帯)品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング
沓掛
温泉は、入浴以外の活用も盛んで、南津軽郡の大鰐温泉というエリアでは雪が多くて寒い地域ならではの工夫があります。たとえば、温泉熱を使って発酵させる味噌があったり、温泉の熱を利用した土耕栽培を行う「大鰐温泉もやし」が特産品として注目されていたり。
―ちなみに、青森独自の温泉の入り方などはあるのでしょうか?
沓掛
青森の温泉は湯量が多いので、湯船からオーバーフローして床に流れ出ているところがよくあります。その床に寝転ぶ「トド寝」と呼ばれる楽しみ方がありますね。
熱いお湯だと、なかなかずっと入っていられないじゃないですか。トド寝は背中にだけお湯が触れて、熱すぎずちょうどよい温度で、それでいて温泉効果は得られる。本当に、眠ってしまうほど気持ちいいんですよ。
―床に寝転がれるくらい、青森は広い温泉が多いのですね。
沓掛
昔は家族全員でお風呂に来る人が多かったから、それに対応するために建物が大きくなったんだなと思います。
トド寝の聖地として知られている平川市の古遠部(ふるとおべ)温泉が公式に推奨しているんですが、「床に寝転ばないでください」と書いている温泉もあるので、それぞれのルールに則って楽しんでください。

沓掛
若い人というよりはお年寄りが多いので、貫禄のある体型の方がよく床に寝転がっていて、「トドさま」と呼んだりしていますね(笑)。東京の人が見たら、びっくりしちゃうんじゃないかな。

佐藤
うちはかけ流しじゃないからトド寝はできないけど、寝転んでいる人を見かけたら「大丈夫かい?」と声かけたりはするね(笑)。
昔ながらの脱衣所には、番台に下駄箱、かご、アイスの冷凍ショーケースも
祭りのあとのひとっ風呂。「ねぶた」に集う常連さんとの深い絆
―「トド寝」はまさに地域独特の文化ですね。佐藤さんが日々番台に立つなかで、印象に残っていることはありますか?
佐藤
やっぱり、お客さんとの会話かな。うちは入浴料が自販機じゃなくて番台で支払う仕組みだから自然と話すんですよね。温泉・銭湯という場は、ちょっとした話し相手としての役割も果たしているんだな、と思います。お年寄りの一人暮らしだと、家に帰ったら話す機会がない人もたくさんいますから。お客さん同士は自然と気を許して会話するので、もちろんトラブルがゼロというわけではありませんが(笑)。番台としては、「大変だったねぇ」くらいで、あんまり会話には入り込みすぎないようにしています。
沓掛
常連さん同士で顔を合わせることで、「最近あの人来てないね」といった生存確認のようなやり取りも自然に生まれますよね。
昔ながらの雰囲気が残る油川温泉の番台に座る沓掛さん。ここが地域住民の交流の起点にもなっている

佐藤
ときどき、常連さんが酔っ払っていい気持ちになっちゃって「どうしてもお風呂に入りたい!」と言い出すこともあるんです。お酒を飲んでお風呂に入るのは危ないので、こちらも「絶対に入っては駄目!」と止めています(笑)。

沓掛
同じ曜日、同じ時間、同じ場所で同じ椅子に座る、と決めている人もいます。特にご高齢の方はこだわりも多いので、ほかに椅子やシャワーがたくさん空いていても「いつもここに座ってるから」と場所を指定される方も(笑)。
佐藤
青森らしさといえば、毎年ねぶたの時期になると北海道から沖縄まで、全国からねぶたに参加するために車やバイクで来る人たちがいるのよ。そのときはホテルも予約がとれないからね。フェリー乗り場の近くに市が臨時でキャンプ場を開いてくれて、そこにテントを張る人が多くて。
ねぶたで汗をかいたらやっぱりお風呂に入りたいから、多いときは40〜50人がお風呂に入りに来るんだけど、うちは番台で支払うから自然と一人ひとり顔を覚えているんです。
長い人は25年ほど、毎年ずっとうちのお風呂に通ってくれて。その仲間内で結婚したカップルがいたり、通い続けてくれていた子が立派な仕事に就いているとわかったり。そういう話を番台でしていると長くなってしまって、「帰れよ」とは言いづらくなっちゃうじゃないですか。それでまた閉店時間が遅くなるから、「もうやめ!」って言ったりしていますね(笑)。
─番台は、ただ入浴料を受け取る場所ではなく、人と人とをつなぐ、小さな交流のハブになっているんですね。
加速する公衆浴場の廃業。次世代につなぐ温泉・銭湯の魅力
―ご近所に暮らす方だけでなく、ねぶたを目的に遠方から毎年かかわる方々との深い交流まで生まれているのは、青森ならではのコミュニティですね。今後の青森の温泉・銭湯について、考えていることなどはありますか?
沓掛
経営者の高齢化や後継不足によって温泉・銭湯の休業・廃業が増えていて、この現状をなんとかしたいと思っています。2020年代に入って、年間数件ずつ閉まっている状態で、今年はすでに数軒が休業・廃業。一方、最近は地域外の人が事業を承継するケースも増えているので、私としても何かしらのかたちで応援したいと思っています。
たとえば、ある温泉はボイラーが壊れてしまって、半年休んで莫大なお金をかけて修理したものの、再開したことを店先の張り紙でしか知らせていなかったため、お客さんにほとんど伝わっていませんでした。いまはSNSなどの発信も多くあるので、私個人での発信だけではなく、実際に現地の温泉や銭湯に行って、間に入っていろんな方を巻き込んだ情報発信もお手伝いしていけたらと思います。
佐藤
うちも源泉の温度が低くてボイラーを使っているけど、だいたい13年で寿命といわれているんです。それがもう13年経っているから、いつ壊れてもおかしくない。でも年齢で考えたら、壊れたときにお金をかけて新しいのを買うか修理するか、というのも悩みますね。
沓掛
温泉・銭湯文化の魅力を次世代につなげていくには、やはり若い人たちの温泉利用者も増やしていかなきゃ、と思っていて。若い世代と話したとき「温泉に全然入ったことがない」という子が当たり前にいるのだと知って驚いたんです。それで、少しでも温泉の入浴人口を増やすためにいくつかの取り組みをはじめました。たとえば、普段は撮影が禁止されている温泉で、SNSを利用している人に向けた撮影会を企画しています。そうするとたくさんの人に参加していただけるし、その取り組みを聞いた新聞などのメディアにも取り上げてもらえる。その結果、さらに温泉に興味を持ってくれる人の幅も広がります。
さらに若い世代に向けたものですと、県内の高校で実施されている「あおもり創造学」というプロジェクトにかかわっていまして。これは、ねぶたや津軽塗など100年後に残したい青森の魅力を発信する授業なのですが、そのなかで「温泉文化」の講義を担当しています。高校生たちと一緒に、温泉を盛り上げるためのコラボ企画を考えたり、温泉のステッカーのデザインを一緒につくったり。少しでも温泉や銭湯の売り上げの足しにしていただくための取り組みもしています。
「あおもり創造学」にかかわってくれた高校生たちから、放課後に自転車で温泉へ行っているという話を聞いたときは、とてもうれしかったです。今後はYouTubeなども活用しながら、温泉の情報発信を通じて、地域でひっそり頑張っている温泉を引き続き応援していきたいですね。
この記事の内容は2025年12月4日掲載時のものです。
Credits
- 取材・執筆
- 山本梨央
- 写真
- 佐藤翔
- 編集
- 篠崎奈津子(CINRA, Inc.)













