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新潟発「アニメ・漫画×地域」の可能性。国際映画祭が挑む、産業と文化のハブ構想とは

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2000年代後半以降、「聖地巡礼」という言葉に代表されるように、アニメや漫画を切り口に地域を盛り上げる動きが活発化しています。

その流れに先んじて、アニメ・漫画の力をまちづくりに取り入れてきたのが、新潟市です。2023年からはじまった『新潟国際アニメーション映画祭』も、そんな新潟市のまちづくりを象徴する取り組みのひとつ。国内外から注目を集めるイベントとして、着実に存在感を高めています。

今回は同映画祭の理事・梨本諦嗚さんと、次世代のアニメ・漫画家を輩出するNSG学校法人の室長・内田昌幸さん、そして新潟市の川村江里子さんを迎え、アニメ・漫画を活用したまちづくりの現在地について話をうかがいました。

さらに、「マンガ・アニメのまち にいがた」サポートキャラクター・花野 古町&笹 団五郎も登場。あなたの街にも広がるかもしれない、アニメ・漫画を活かしたまちづくりの可能性を一緒に探っていきましょう!

新潟市が進める、アニメ・漫画文化を活用したまちづくりの背景

—新潟市では、アニメや漫画を活かしたまちづくりに力を入れているそうですね。そもそも、どういった背景でアニメ・漫画に注目することになったのでしょうか?

新潟市 川村:新潟市が日本を代表する漫画家を多数輩出してきたから、というのが一番の理由です。

【新潟で生まれ育った漫画家の例】

  • 水島 新司さん:『ドカベン』『野球狂の詩』
  • 高橋 留美子さん:『うる星やつら』『らんま1/2』
  • 魔夜 峰央さん:『パタリロ!』『翔んで埼玉』
  • 小畑 健さん:『ヒカルの碁』『DEATH NOTE』(作画)

水島新司さん、高橋留美子さん、魔夜峰央さん、小畑健さんなど、新潟市で生まれ育った方だけでも、枚挙に暇がありません。

後のアニメ・漫画界に多大なる影響を与え「ギャグ漫画の王様」と呼ばれた赤塚不二夫さんも、新潟市で少年時代を過ごしているんです。

新潟マンガの家の装飾

新潟市 川村:さらにいえば、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の和月伸宏さん(長岡市)、『頭文字D』のしげの秀一さん(十日町市:旧松之山町)、そして『【推しの子】』の原作を担当した赤坂アカさん(佐渡市)など、市だけでなく新潟県に範囲を拡大すれば、さらにビックネームが並びます。

花野 古町

古町

名前を挙げるときりがないくらい……! 新潟県は、たくさんの有名漫画家を輩出しているんだね!

笹 団五郎

団五郎

僕ももっと有名になりたいなぁ〜!

—アニメや漫画の分野で新潟出身の人が多いのは、土地柄も関係しているのでしょうか?

内田:これはあくまで仮説ですが、新潟は冬が長く厳しいぶん、家の中で過ごす時間が多く、我慢強くコツコツと取り組める気質の人が多いんじゃないかと思っています。

たとえば、東北に小説家が多いのも、気候と関係があるといわれていますよね。新潟の場合、たまたまそれが漫画だったというだけで、創作活動全般に向いている土地だったのかもしれません。

梨本:新潟は高度経済成長期のあと、比較的生活に余裕のある中間層の家庭が多くありました。これもあくまで仮説に過ぎないですが、一世帯につき子どもが2、3人いる家庭も増えたため、商売や家業を継ぐ立場の長男でない、次男・三男といった人たちが、自分の趣味や好きなことに没頭できる余地があったんです。

つまり、新潟には「自分の好きなことをやる」という志向を持った層が多くいたのだと思います。そういった土壌が、アニメや漫画といった表現活動につながっていったのかもしれませんね。もちろん、女性の有名な漫画家もいるので、これだけの理由ではないかと思いますが。

新潟国際アニメーション映画祭の理事・梨本諦嗚さん

新潟国際アニメーション映画祭の理事・梨本諦嗚さん

—なるほど。アニメや漫画に携わる人たちの活動が、新潟で目に見えるかたちで動き出したのは、いつ頃からだったのでしょうか?

新潟市 川村:いまから40年以上前の 1983年に、新潟で日本海側最大の同人誌即売会『ガタケット(旧名:新潟コミックマーケット)』が立ち上がったことがきっかけです。

そこで2012年には、アニメ・マンガを市の文化施策の主要な柱に位置づけ、「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」を策定し、幅広い取り組みを推進しています。代表的な取り組みとしては、以下のようなものがあります。

【新潟市のアニメ・マンガに関する取り組み例】

にいがたマンガ大賞
1998年にはじまった、全国を対象にしたマンガコンテスト

こどもマンガ講座
こどもを対象としたプロの漫画家による講座

にいがたアニメ・マンガフェスティバル(通称:がたふぇす)
コスプレやゲーム文化も含めた、サブカルチャー文化を発信するイベント

新潟市マンガの家
漫画の創作や約1万冊の漫画を楽しめる施設

新潟市マンガ・アニメ情報館
新潟ゆかりの漫画家・アニメクリエーターの代表作や、体験コーナー、ミニシアター等を備えたミュージアム

サポートキャラクター・花野古町と笹団五郎
新潟市のマンガ・アニメの魅力をPRする、花野古町と笹団五郎のキャラクターの制作・運用

新潟市 川村江里子さん

新潟市 川村江里子さん

こどもマンガ講座で漫画づくりを学ぶ子どもたちの様子

こどもマンガ講座で漫画づくりを学ぶ子どもたちの様子

映画祭を、さまざまな産業や文化をつなぐ「ハブ」にしたい

—2023年には、新潟市で新しく『新潟国際アニメーション映画祭(以下、新潟アニメ映画祭)』もはじまりましたよね。この映画祭の概要を教えてください。

内田:新潟アニメ映画祭は、長編アニメを中心としたアジア最大の映画祭です。

この映画祭では、国内外から作品が集まる国際コンペティションのほか、新潟市中心部の7会場でシンポジウムや展示などの多彩な関連イベントも開催しています。2025年3月には第3回を大盛況のうちに終えることができました。

第3回新潟国際アニメーション映画祭(2025年)の会場ポスター

第3回新潟国際アニメーション映画祭(2025年)の会場ポスター

第3回の同映画祭で、グランプリ、傾奇賞、境界賞、奨励賞を受賞したアニメーション作家たち

第3回の同映画祭で、グランプリ、傾奇賞、境界賞、奨励賞を受賞したアニメーション作家たち

—新潟アニメ映画祭の特徴は、どんなところにあるのでしょうか。

内田:新潟アニメ映画祭ならではの特徴は、やはり「長編アニメ」にフォーカスしている点にあるといえます。

日本国内でも『ひろしまアニメーションシーズン』や『新千歳空港国際アニメーション映画祭』など、短編アニメーションにフォーカスした国際映画祭はあるのですが、長編アニメを中心とした大規模な映画祭・コンペティションは世界的にもほとんど存在しないんです。

そのため、長編アニメは作品としての質が正しく評価されにくく、どうしても興行収入ばかり注目を浴びてしまう状況がありました。

NSGマンガ・アニメ・映像推進室室長・内田昌幸さん。新潟アニメ映画祭では事務局長も務める

内田:私たちは、長編アニメというジャンルが、ひとつの芸術として広く認められ、世界的なマーケットをつくっていくためには、「作品の質」そのものを評価・批評するための場が必要だと考えました。そうした思いから、長編アニメーションにフォーカスした『新潟アニメ映画祭』を立ち上げたんです。

花野 古町

古町

第3回の国際コンペティション部門には、世界中から69作品のエントリーがあったんだって!

笹 団五郎

団五郎

審査の結果、押山清高監督の『ルックバック』がグランプリを受賞したよ!

梨本:日本における本格的かつ大衆的なアニメ制作の歴史は、1963年に公開された『鉄腕アトム』からはじまりますが、アニメは長きにわたって「子どものためのもの」とされ、文化・芸術としてはあまり評価されてきませんでした。

海外では、歴史的にアニメをひとつの芸術として評価する動きもありましたが、そういった評価の対象になるのは基本的に短編アニメ。長編アニメはやはり「子どものためのもの」という枠を越えられずにいたんです。

しかし近年では、年齢を問わず、多くの人が長編アニメを身近に楽しむようになり、徐々にその位置づけも変わってきたように思います。それでも、長編アニメが文化・芸術、あるいは産業として広く評価されるには、まだまだ成長の余地があると思っています。

新潟アニメ映画祭の理事・梨本さん

梨本:長編アニメは、日々の暮らしを豊かにしたり、人生にヒントを与えてくれたりすることもあります。さらには、人と人、そして国と国も結びつけ、新しいつながりを生み出す力も持っています。ここであらためて、そうした長編アニメの可能性を新潟から発信したいという思いで、この映画祭を立ち上げるに至りました。

内田:まさに梨本さんが言った「つなぐ」という言葉が映画祭のキーワードで。新潟アニメ映画祭を立ち上げる際、「ハブ」となる映画祭にすることを目標にしたんです。

ほか産業とアニメ産業、ほか都道府県と新潟、あるいは世界と新潟、そしてビジネスと文化だったり。さまざまなものをつなぐ「ハブ」として機能する映画祭になることをめざして運営を続けています。

第3回映画祭の監督記者会見後の記念撮影の様子

第3回映画祭の監督記者会見後の記念撮影の様子

映画祭の醍醐味とは、その「土地」を楽しむこと

—新潟アニメ映画祭の立ち上げでは、まずは構想が先にあって、その後に開催地として新潟を選んだとうかがいました。やはり新潟でなければ、という強い思いがあったのでしょうか。

内田:はい、新潟市以上に、この映画祭の開催場所としてふさわしい場所はないと思いました。いまやアニメは、日本を代表する文化のひとつですが、そのなかでもとりわけ新潟市は、日本におけるアニメ文化の発信地として大きなポテンシャルを持っていると考えています。

というのも、新潟市では、行政がアニメや漫画を活用したまちづくりを早くから進めてきた歴史があり、アニメ・漫画文化が地域にしっかり根づいているんです。

さらに、日本のアニメの歴史をたどると、新潟出身の大川博が1957年に「東映動画(現・東映アニメーション)」を立ち上げ、翌年に日本初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』を製作しています。同じく新潟出身の蕗谷虹児も参画し、大きな役割を果たしたんですよね。こうした背景をふまえると、新潟はまさに、日本の長編アニメ史の原点ともいえる土地なんです。

大川博(1896~1972)の肖像写真

大川博(1896~1972)の肖像写真

花野 古町

古町

『白蛇伝』は、宮﨑駿監督がアニメーターを志すきっかけになった作品ともいわれているんだって!

笹 団五郎

団五郎

えっ、そうなの!? 『白蛇伝』、僕も観てみたいなあ〜。

内田:アニメ・漫画文化を担う人材の育成という面でも、新潟市には強みがありますよね。

新潟市 川村:そうですね。アニメや漫画を学ぶことは将来のキャリア形成につながるという認識が、いまほどなかった2000年から、新潟では民間のNSGグループによって、アニメ・漫画の技術を学ぶ職業訓練校「日本アニメ・マンガ専門学校」が設立されました。同グループが開校した開志専門職大学では、2021年からアニメ・マンガ学部が設置されています。

内田:つまり、新潟市では行政がまちづくりにアニメ・漫画を活用するだけではなく、民間でもアニメ・漫画人材を育成してきた歴史がある。そういった背景もあり、国際的なアニメ映画祭を開催するなら、新潟市しかないだろうと考えました。

NSGマンガ・アニメ・映像推進室室長・内田さん

—第3回の新潟アニメ映画祭には、延べ約3万人(関連催事含む)もの方が参加したそうですね。みなさん、どのようにこのイベントを楽しんでいたのでしょうか。

内田:新潟アニメ映画祭は、作品鑑賞はもちろんのこと、その土地やそこに集まった方々との交流を楽しむものだと思っています。新潟という土地を楽しんでもらえるように、街中の広場で関連イベントを行うなど、会場をクローズドな空間に留めない工夫をこらしてきました。

第1回目では、地域の方も「何かやっているぞ」と様子を見ている感じでしたが、第2回目以降から「映画祭が開催されている街」を楽しんでいる様子が見受けられました。地域の方から、「街の風景が変わるのがおもしろい」という、うれしい感想もいただきましたね。

新潟アニメ映画祭の開催中に、古町通で行われたキャラクターラッピングカー展示の様子

ルフル前で行われたイベントの様子

ルフル前で行われたイベントの様子

梨本:また映画祭は、クリエイター同士や観客が出会える場にもなります。

新潟アニメ映画祭の期間中は、街中でもネームプレートを下げたままにしている関係者が多く、映画祭の関係者であることが一目でわかるんです。街中の飲食店などでも、「あの作品、感動しました」と声をかけるきっかけになったりして。そうやって、会場外でのコミュニケーションを楽しんでいる方も多く見られました。

花野 古町

古町

新潟アニメ映画祭に参加したクリエイターのなかには、SNSを活用して、自分だけの「新潟市観光マップ」をつくってくれた人もいたんだよ!

笹 団五郎

団五郎

SNSでも新潟がもっともっと盛り上がったらうれしいよね!

梨本:たとえば第1回で、『AKIRA』の作者として知られる大友克洋さんをゲストとしてお招きしたのですが、期間中に大友さんが老舗ラーメン店「三吉屋」で食事をして。それを本人がSNSに投稿したところ、ファンの方々が三吉屋に押し寄せたんです。

そんなふうに人のネットワークを通じて、その土地の新たな楽しみ方を見つけられるのも、映画祭の魅力だなと思いますね。

—新潟アニメ映画祭の開催は、地域経済にとっても大きなメリットがありそうですね。

梨本:そうですね。観光という視点でいえば、「一度来てもらうこと」よりも「繰り返し来てもらうこと」のほうが難しい。でも、新潟アニメ映画祭は年に一度開催しているので、新潟市を繰り返し訪れるきっかけになっていると思うんです。

実際、第1回から毎回足を運んでいる関係者やお客さんもいて、そういった方々は、馴染みの店もできたりするんですよね。さらには、その人たちが新しいお客さんを連れて新潟にやって来てくれる、というようなサイクルも生まれます。

新潟国際アニメーション映画祭の理事・梨本さん

梨本:新潟アニメ映画祭を通じて、地域の方々とコミュニケーションをするうちに新しいつながりが生まれ、映画祭の外でも交流を持つ様子が見受けられるようになっているのも印象的です。そういった意味では、この映画祭の開催回数を重ねることが、地域にとっても大きな財産になると実感しています。

まだ見ぬ「新潟スタイル」が、日本のアニメ・漫画を変える?

—新潟アニメ映画祭は、次世代のアニメ・漫画を担う人材の育成にもつながっていると聞きました。

梨本:はい、映画祭の『レトロスペクティブ』というプログラムでは、いまなお国内外で高い評価を得ているものの、劇場で見る機会が少ない作品とその監督にスポットを当てています。第3回では、今敏監督の作品群を上映しました。

今敏監督の『パプリカ(2006)』より(©2006 MADHOUSE / SONY PICTURES ENTERTAINMENT (JAPAN) INC.)

今敏監督の『パプリカ(2006)』より(©2006 MADHOUSE / SONY PICTURES ENTERTAINMENT (JAPAN) INC.)

今敏監督の『千年女優(2001)』より(©2001千年女優製作委員会)

今敏監督の『千年女優(2001)』より(©2001千年女優製作委員会)

【過去、レトロスペクティブで取り上げた監督】

  • 第1回:大友 克洋さん
    『AKIRA(1988)』『老人Z(1991)』
  • 第2回:高畑 勲さん
    『火垂るの墓(1988)』『かぐや姫の物語(2013)』
  • 第3回:今 敏さん
    『PERFECT BLUE(1997)』『千年女優(2001)』『パプリカ(2006)』

梨本:東京では旧作のリバイバル上映もそれなりにありますが、地方では大画面で旧作に触れる機会ってなかなか少ないと思うんです。昔はテレビで放映されることもありましたが、そういった機会も減ってきていますよね。

そんななか、特に若い世代から「名作を劇場で観たい」という声が増えているんです。彼らは旧作を「古いもの」としてではなく、全く新しい体験として受け入れているのでしょう。そうした体験の積み重ねが、アニメ・漫画を楽しむ間口を広げることにつながると思いますし、そのような機会を提供することも、新潟アニメ映画祭の大きな意義だと考えています。

花野 古町

古町

たしかに昔の作品って、いま見ても新鮮に楽しめるよね!

笹 団五郎

団五郎

「これ、ほんとに昔のアニメ!?」ってびっくりすることもある!

—若い世代が素晴らしい作品に触れる機会が増えれば、将来的にその影響を受けた、新しい作家が生まれてくる可能性もありますね。

内田:そうですね。人材育成のためにも、多様なアニメ・漫画が育まれる土壌をつくることが重要だと思っています。

ここ新潟で、豊かなアニメ・漫画文化が根づけば、その文化に触れて育った若い世代が「新潟らしい」表現方法を生み出すかもしれません。それがゆくゆくはグローバルなアニメ・漫画産業のなかで「新潟スタイル」と呼ばれるようになるかもしれないと期待しています。

もちろん、現段階ではそれがどんなスタイルになるか予想はできませんし、そもそも独自のスタイルは、意図して生み出されるものではなく、外から見て「この表現は新潟っぽいよね」と言われてはじめてかたちになるものだとは思いますが。

新潟マンガの家の外観

新潟マンガの家の外観

新潟マンガの家2階の「マンガの部屋」の装飾

新潟マンガの家2階の「マンガの部屋」の装飾

—第3回の新潟アニメ映画祭でも、そうした「新しい表現の芽」が見えた場面はありましたか?

梨本:たとえば、今年のコンペティションで奨励賞を獲得したのは、エリック・パワーさんの『ぺーパーカット:インディー作家の僕の人生(原題:Papercuts: My Life as an Indie Animator』(2024、アメリカ)という作品でした。

この作品はその名のとおり、ペーパーカット、つまり「切り絵」でつくられています。切り絵の手法自体は昔からあるものですし、地域性のあるスタイルではないのですが、一般的な商業映画を見ているだけでは、なかなかお目にかかれないものだと思うんです。

作品紹介】
芸術の世界での数々の試練と苦難に焦点を当てたアニメーションによる回顧録。監督エリック・パワーは20年以上にわたりpapercuts(切り絵)を⽤いたストップモーションを専⾨とするインディーズのアニメーターとして活動している。アニメーションという素晴らしい世界に⼈⽣を捧げたエリックの⼈⽣の浮き沈みを体験する世界に出発!

梨本: 仮に、新潟アニメ映画祭でこの『ぺーパーカット:インディー作家の僕の人生』を観た新潟の若手クリエイターが、「自分も真似してみよう」と、切り絵のアニメーションにチャレンジして表現にこのスタイルを取り入れたりすることになったらどうでしょう。そうすると、切り絵が新潟発のアニメを特徴づけるひとつの要素となるかもしれません。

もちろん、これはあくまでも一例です。とはいえ、この映画祭を通じてさまざまな作品に触れた次世代のクリエイターたちが今後、独自の「新潟スタイル」を生み出してくれる可能性はあると思っています。

内田:新潟アニメ映画祭では、国内外の監督を講師としたワークショップ『新潟アニメーションキャンプ』も開催しています。第3回も、世界中から40名のアニメーション制作を志す若い監督やスタッフ、学生たちが集まったんです。

そうやって人材育成に力を入れることで、国内外で「新潟に行けば、アニメ・漫画制作が学べる」という認知も獲得できればと思っています。

第3回の新潟アニメーションキャンプに集まった若いクリエイターたち

第3回の新潟アニメーションキャンプで学ぶ若いクリエイターたち

アニメ・漫画の力で、ふたたび新潟を日本一の街に

—これから、新潟市としてはアニメ・漫画文化をどのようにして地域活性に活かしていきたいと考えていますか?

新潟市 川村:アニメ・漫画文化の振興はもちろんのこと、文化以外の観光や福祉など、多分野での活用を進めていきたいと思っています。

最近では官民連携で、アニメ・漫画を活かしたまちづくりを進めており、異業種の方々との意見交換を通じ、多分野での活用を検討する「新潟市マンガ・アニメの会」を立ち上げました。

また、2023年10月には新潟市と開志専門職大学、新潟大学の三者で連携協定を結び、今後さらに「マンガ・アニメのまち にいがた」として市を発展させる取り組みを推進していく予定です。

「マンガ・アニメのまち にいがた」サポートキャラクター・花野 古町と新潟市 川村さん

「マンガ・アニメのまち にいがた」サポートキャラクター・花野 古町と新潟市 川村さん

—新潟アニメ映画祭としては、どのように新潟のまちづくりに貢献したいと考えていますか?

梨本:これからも、アニメ・漫画文化と産業を統合する「ハブ」としてこの映画祭を運営し、このイベントを起点に新潟と、そして日本のアニメ・漫画の未来に貢献していきたいですね。

内田:新潟市をアニメや漫画の創造都市にして、アニメの制作会社を誘致したり、制作会社を立ち上げる人を増やしたりすることで、たくさんのクリエイターたちを呼び込みたいと考えています。

「マンガ・アニメのまち にいがた」サポートキャラクター・笹 団五郎と内田さん、梨本さん

「マンガ・アニメのまち にいがた」サポートキャラクター・笹 団五郎と内田さん、梨本さん

内田:新潟で生み出される作品が増えれば、そのなかから世界に誇るキラーコンテンツが生まれる可能性も高まります。それが観光資源となり、さらに人を呼び込むことで、新潟に住みたいと思う人も増えるかもしれない。

明治時代、新潟県は日本一の人口を誇っていました。現代でも、アニメ・漫画をうまく活用すれば、新潟をふたたび日本一の都市にすることもできると思っています。アニメと漫画には、それだけのポテンシャルがあると僕は信じています。

花野 古町

古町

私たちも、もっともっと新潟を盛り上げていこうね!

笹 団五郎

団五郎

そうだね! みんな、新潟に来たら「マンガの家」「マンガ・アニメ情報館」にもぜひ遊びにきてね〜!

川村江里子さん、内田昌幸さん、梨本諦嗚さん

関連リンク
ガタケット事務局ガタケット
新潟市文化スポーツ部文化政策課「にいがたマンガ大賞
新潟市「新潟市マンガ・アニメ情報館
新潟市「がたふぇす
新潟市「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想

この記事の内容は2025年6月26日掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
鷲尾諒太郎
撮影
内藤雅子
編集
牧之瀬裕加(CINRA,Inc.)