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24歳での農園開業者も誕生。地域の持続可能な農業をめざす、小田原の柑橘農家

  • 農業
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いま、高齢化に伴う農業従事者の不足や耕作放棄地の増加により、地域農業は危機に直面しています。そのような状況を打開するため、持続可能な農業への転換をめざす取り組みが各地で模索されています。

神奈川県小田原市も、農業の持続に苦心している地域のひとつ。土地柄、農産物のほかにも、新鮮な魚介類や歴史的名所などの観光資源が豊富なため、農業の持続に向けた取り組みに対する支援が集まりづらい状況にあります。そんななかで「山をきれいな状態のまま次の世代に残す」というテーマのもと、地域の農地保全に尽力しているのが小田原の柑橘農家「矢郷農園」の矢郷史郎さんです。

2011年に義父の農園を継ぎ、地域と連携しながら、農業の魅力を次世代に伝えることの楽しさを日々感じているという矢郷さん。そして、矢郷農園で研修生として経験を積んだあと、現在「はれやか農園」を経営する槇紗加さんにお話をうかがいました。

増え続ける耕作放棄地。食い止めるためには若い世代の力が必要

─はじめに、矢郷さんが農園を継ぐことになった経緯を教えていただけますか。

矢郷:もともとは兄が経営するラーメン屋で働いていたんですが、東日本大震災が起きて状況が一変。自粛ムードが強まり、外食を控える傾向が広がるなかで売上が激減しました。そんななか、2人目の子どもが生まれたんです。そのとき、ふと「この子に継がせてあげるものがないな」と思ったんです。

別の仕事をするなら何ができるだろうかと考えていたとき、妻の実家の農園が縮小を重ね、いずれは廃業する予定だという話を聞きました。もし僕が農園を継げば、子どもにも継がせられるんじゃないか、継がなくても農業という選択肢を与えることができるんじゃないかと考えました。

義父が「5年後、10年後にやりたいと言われても、俺の体が動かなくて教えられないかもしれないよ」と言っていたこともあり、2011年3月31日にラーメン屋を辞め、4月1日から農園で働きはじめました。

矢郷史郎

矢郷農園代表、西湘うみかぜふぁーむ会長の矢郷史郎さん

─小田原市という地域における農業の特色を教えてください。

矢郷:小田原には大きな畑はほとんどありません。300坪、600坪、大きくても1,200坪程度です。しかも、それぞれが飛び地になっていて、まとまっていないんです。矢郷農園も全体では24,000坪あるのですが、約40か所に分かれて耕作しています。

農地の集約が進んでいる地域もありますが、小田原はそれぞれの畑が細かすぎるため、地権者も多いんです。おまけに譲渡や相続を経て、小田原にいない人が地権者になっているケースも少なくないので、管理がとても複雑になっています。その結果、農地を受け継ぐことができなくなり、耕作放棄地が増え続けています。

高齢化が進んでいるので、その勢いはすさまじいですね。この状況をなんとか僕らの世代で食い止めなければいけないと思っています。

小田原・柑橘農園

農園の様子。海が見えて景色がよい一方で、急斜面で広さは限られており、あちこちに各農家の土地が点在している

─それが、矢郷さんが掲げていらっしゃる「山をきれいなまま次の世代に残す」というテーマにつながるんですね。

矢郷:そうですね。ただし、現状維持ではいずれ衰退してしまいます。僕ら世代が頑張って農地を維持しつつ、この状況を改善していかないと、小田原の農業は近い将来潰れてしまうと思っています。

地権者が元気なうちに農地を継承することができれば手入れもしやすいのですが、高齢の地権者の方にも体が動くうちは農業を続けたいという思いがあります。簡単にはいきませんね。

矢郷農園

2年間の研修を経て24歳で農園開業を実現。たくさんの人に農業の楽しさを伝えたい

─矢郷農園では農業研修生も受け入れていますが、槇さんもそのひとり。矢郷農園での2年間の研修を経て、2023年に24歳の若さで「はれやか農園」を開業しました。まず、槇さんが農業をはじめようと思ったきっかけを教えてください。

槇:学生時代に農家と消費者をつなぐECサイトでインターンをしていたことで、農業に触れる機会が多くありました。いろいろな農家の方とかかわるうちに、農業という仕事のおもしろさを実感しましたし、担い手が減っていることから、逆にチャンスの多い業界だと考えるようになりました。

もともとゼロから何かをつくり出すことに興味があったのですが、農業はその最たるものだと感じました。自分でつくり、自分で方法を考えて人に届け、さらに興味を持ってくれた人を惹き寄せる。そんなことができる仕事って、おもしろそうだなと思ったんです。

槇紗加

はれやか農園代表の槇紗加さん

槇:悩んだ末に、ある企業からいただいていた内定を辞退し、農家になる決心をしました。小田原を選んだのは、生まれ育った神奈川という土地で、自分なりの農業をはじめたいと考えたからです。

小田原では、農業者としての認定を取得するためには、農業アカデミーという学校に通うか、2年間農家で研修を受ける必要があります。はじめは学校に通うことも考えたのですが、学校では農業全般を体系的に学べる一方で、地域に溶け込める機会がどれほどあるのかは、調べた限りではよくわかりませんでした。

将来の目標として私がやりたかったのは、観光で訪れる方を対象に農産物の収穫体験を提供する「観光農園」だったので、地域との連携やつながりがとても大切になります。そこで、学校に通うのではなく、研修を受けられる農家を探すことにしました。研修であれば、農業を学びながら地域の人たちと交流することができ、より実践的な経験が積めると考えたからです。

そんなとき知り合いから「おもしろい人がいるよ」と、矢郷さんを紹介してもらいました。はじめて矢郷さんにお会いしたのは2月だったのですが、3月には「ここで働かせてください!」とお願いしていました。

矢郷:『千と千尋(の神隠し)』かと思ったよね。

槇:(笑)。

矢郷史郎、槇紗加

過去の矢郷さんと槇さんの一コマ(画像提供:矢郷史郎さん)

─その当時の、槇さんから見た矢郷さんの印象を教えてください。

槇:おもしろくて陽気な人だな、と。こんな柔軟な考えを持った農家の方に出会ったのははじめてでした。最初は、「女性ひとりで本当にやっていけるのだろうか」という不安もありました。それでも矢郷さんは、「この人のもとで働けば、夢が叶うかもしれない」と思わせてくれる存在でした。

─矢郷農園での2年間の研修で、印象的だったことはありますか。

槇:研修中はずっと楽しくて充実した日々でした。ただ、楽しかったからこそ起こった「事件」もあって(笑)。研修の終わり頃になると、「これからはすべて自分ひとりでやらないといけない」という不安に、毎日押し潰されそうになっていました。

そんな気持ちが続いていたある日、キウイを高く積み上げた運搬車を押しているときに誤って倒してしまって。その瞬間に気持ちがぷつんと切れて、大号泣してしまったんです。そのときは矢郷さんをはじめ農園のみんなが励ましてくれて、事なきを得ましたが(笑)。

私が運営する「はれやか農園」を開業してからも、不安は尽きません。特に夏場の草刈りをひとりで行うのが、とても大変で。去年の夏は、それで気持ちが落ち込むこともありました。

そんな反省もふまえて、今年は矢郷さんに作業のバックアップをお願いするつもりです。そうやって頼れる存在が近くにいてくれるのは、本当に心強いですね。

はれやか農園

─はれやか農園を開業されてから、うれしかったことを教えてください。

槇:収穫体験のイベントなどを開催したときにいろいろな人が農園に来てくれるのが一番うれしいですね。畑という自然の恵みがつまったフィールドに足を運んで、美しい景色を味わってくれたり、果実を摘み取るという日常にはない体験をしてくれたり。それまで農業に触れたことのなかった人たちが、私をきっかけに楽しんでくれる。そんな姿を見ることができるのは、幸せですね。

こうした収穫体験のイベントなどは、いまは時々開催する程度なのですが、ゆくゆくは開催の機会を増やして本格的な観光農園として発展させていければと考えています。

─若い方の農業への興味が変化しているのを感じることはありますか?

槇:農業に興味を持つ人が増えているという印象はあります。ありがたいことに、SNSで私の発信を見た方から「農業に関する話を聞いてみたい」というメッセージをいただくこともありますし、Z世代で農業に興味がある人たちの集まりも目にするようになりましたね。

矢郷農園

農家の仲間たちと一緒に(画像提供:矢郷史郎さん)

地域の農家同士で連携し、新規就農者の成長をサポートする

─若い世代という意味でいうと、矢郷農園では小学生や中学生の農業体験も受け入れています。さらには地元の高校生と農作業を行う「協働活動」も実施しているそうですね。この「協働活動」はどのような経緯ではじまった活動なのでしょうか。

矢郷:矢郷農園が協働している星槎国際高等学校(小田原校)は、さまざまなバックグラウンドを持つ生徒が通う通信制・単位制の学校です。生徒自身が授業を選び、好きなことを学べて、課題をクリアすれば単位を取得できるというシステムになっています。

そのなかで、地域の人々との交流も大切だと考えた先生が、僕のところに「生徒たちに農作業をさせてもらえないか」と相談にいらしたのがきっかけでした。

協働活動では、いろいろな話をしながら一緒に農作業に取り組んでもらうのですが、作業の手伝いをしてもらうというよりは、「農業って楽しいな」と、農業を身近に感じてもらえることを何よりも大切にしています。そう感じてもらうことで、将来の職業を考える際に農業も選択肢のひとつに入れてもらえたら、と。それが僕の一番の願いだからです。

矢郷農園

矢郷農園で働くみなさん。学生時代の農業体験をきっかけに、矢郷農園での研修を経て農家になった方もいる(画像提供:矢郷史郎さん)

─矢郷さんはほかにも、神奈川県西湘地域の農家さんが連携する「西湘うみかぜふぁーむ」の会長を務められています。どういった活動をされているのでしょうか。

矢郷:現在は、イベントなどに出店して農作物を直接販売する「マルシェ事業」に加えて「出荷販売事業」などを展開しています。メンバーとしては8軒ほどの農家が参加しています。

西湘うみかぜふぁーむ

「西湘うみかぜふぁーむ」Webサイト

─複数の農家さんが集まって活動することで、どんなメリットがあるのでしょうか?

矢郷:僕はいろいろな得意先に出荷をしているので、営業活動をする際には自分の柑橘類だけではなく、メンバーの農家の野菜や果物、ジャムなども紹介するんです。すると、お客様にとっては品揃えがよく見えることにもなり、反応がいいんです。僕ひとりの営業で8軒の農家を一度に売り込むことができるわけです。

出荷するときも、品物をひとつの場所に集め、メンバーの誰かひとりがまとめて持っていくことで、配送の効率性が上がります。ほかにも、メンバーの農家にマルシェへの出店依頼があったとき、その農家にはキャベツときゅうりしかなかったとしても、「うみかぜふぁーむ」のみんなに相談すれば必要な品物が揃うわけです。

ひとりでは対応できない規模のマルシェ出店でも、「うみかぜふぁーむ」ならみんなで協力して出店することができます。いまでは西湘エリアの各地に出店するグループに成長しました。

西湘うみかぜふぁーむ

出店時の様子(画像提供:矢郷史郎さん)

─「西湘うみかぜふぁーむ」の農家8軒のメンバーには、どういった方がいるのでしょうか?

矢郷:新規就農して間もない人が多いですね。農業に対する思い入れがあり、気持ちいいコミュニケーションができる人が多いという共通項もあります。人柄がよければ、誰しもその人に頼みたいと思うものですから。

実際、「うみかぜふぁーむ」としての出店をきっかけに、個々のメンバーへ直接、さまざまな出店依頼が寄せられるようになりました。その結果、メンバー自身の事業規模も年々大きくなっています。

新規就農は、ひとりではじめるにはとてもハードルが高いのが現実です。僕たちのような、農業経験のある人たちが協力しないと、農作業はもちろん経営面などの負担がひとりにのしかかり、どこかで潰れてしまうことが多いんですね。だからこそ「うみかぜふぁーむ」では、メンバー同士でサポートし合うというスタンスで、メンバーの長期的な成長をめざしながら活動しています。

西湘うみかぜふぁーむ

「西湘うみかぜふぁーむ」のメンバー(画像提供:矢郷史郎さん)

ゼロから農家をはじめるのはハイリスク。地元農家の人たちの「仲間」になることが大切

─現在の地域農業が抱える課題は何だと思いますか?

槇:新規就農者にとっての課題は、農業をはじめようとしてもなかなか土地を貸してもらえないことだと思います。

矢郷:土地を貸してもらえない理由のひとつには、「誰が持ち主かわからない」ということがあると思います。そういう意味では、小田原の場合、やはり農家の高齢化が一番の課題ですね。先ほども話したように、耕作放棄地の増加にもつながっていますから。

ただ、こうした課題やデメリットだけではなく、小田原には大都市が近いというメリットもあります。新幹線でもアクセスできるので、槇さんのように将来観光農園をやりたい人には好条件ですよね。

そういったメリットを活用したり、地域内外の飲食店とコラボメニューを開発したり、大規模な産地の農家にはない付加価値を加えて事業展開することが、小田原に点在する小規模な農家が生き残るためのひとつの方策だと考えています。

─他業種とのコラボレーションといえば、矢郷農園でもはれやか農園でも、農園で収穫した柑橘類を原料にしたビールなども開発していますね。

槇:そうですね。たとえば、横浜市のブルワリーに開発していただいたオリジナルビールには、はれやか農園のグリーンレモンが使用されています。原料のグリーンレモンは、キズがついて販売用としての価値が落ちてしまうB級品を使用することで、アップサイクル製品(※1)としてサステナブルな面でも貢献できるビールになっています。

※1 アップサイクル製品:廃棄されるはずのものに新たな付加価値を持たせて再利用すること

はれやか農園・ビール

はれやか農園のグリーンレモンを原料にしたビール「Green Lemon Ale」。横浜市のイエローモンキーブルーイングとのコラボ商品(画像提供:槇紗加さん)

─これから地域農業にかかわりたいと考えている、若い世代の人たちにアドバイスをお願いします。

矢郷:これはうちの農園に来てくれた人に必ず伝えていることなんですけど、「ゼロから農業をはじめるのは非常にリスクが高い」ということですね。

たとえば僕の場合は、義父から農地や農機具を譲り受けることができましたが、何もない状態から農機具や軽トラ、倉庫、コンテナなど、必要なものをすべて揃えようとすると、軽く1,000万円はかかります。

それくらいハードルが高いんです。果樹も、植えてから出荷できるようになるまで4年から5年はかかります。その間ずっと、リターンのない先行投資を続けなければいけないわけです。

矢郷史郎

矢郷:ではどうすればよいかというと、ひとつの方法は、辞めていく農家から農地や農機具を丸ごと引き継ぐことです。すでに木が植えられていて、次の年には収穫ができて、お金になる。そういう環境を手に入れないと、続けていくのは難しいです。

そこで大切になるのが、地元の人たちの「仲間」になるということです。槇さんが研修生になったときは、地域の人たちに紹介して周りました。そこで一度受け入れてもらえたら、みんな声をかけてくれるようになるんです。「こんな畑が空いているよ」とか、「農機があるから使っていいぞ」とか。

槇:どこで農業をはじめるかを決めるときには、頼れる先輩がいるかどうかということがとても大事だと思います。どの地域にも、矢郷さんのような存在の人がいるはずなので、まずはそういう人を見つけてみてください。困ったときや壁にぶつかったときには、ひとりで抱え込まずに、ぜひ相談して頼ってください。

矢郷史郎、槇紗加

─あらためて最後に、おふたりが感じる農業の魅力を教えてください。

槇:いろいろな人に農作業を体験してもらって、農業の楽しさを実感してもらうこと。それがいまの私にとって、農業という仕事にかかわる一番の魅力だと感じています。

矢郷:人間関係のストレスがないことですね。おしゃべりしながら作業しても、歌いながら作業しても、誰にも怒られることはありません(笑)。基本的には肉体労働なので体は疲れますが、ストレスがないぶん楽しく働けます。

あとは月並みですが、自分が育てた作物を誰かに食べてもらって、「うまい!」と言ってもらえたときかな。その喜びは格別ですね。

矢郷史郎、槇紗加

この記事の内容は2025年5月22日の掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
ふくだりょうこ
写真
安井信介
編集
プレスラボ、CINRA,Inc.