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金沢21世紀美術館はなぜ人が集う?片桐仁×鷲田館長「アートが地域に貢献できること」

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静かにアートを鑑賞する場所というイメージが強い「美術館」。しかし近年では、教育やまちづくりなどの領域で、鑑賞だけにとどまらない体験型のワークショップなどが開催されるケースも増えています。アートを通して、地域の文化が育まれ、人と人とのつながりが生まれる「まちの拠点」としての役割にも期待が集まっています。

その象徴的な存在といえるのが、金沢21世紀美術館です。金沢21世紀美術館は、開館から20年経ったいまも、「まちに開かれた公園のような美術館」をコンセプトに地域内外の人を惹きつけ、まちの賑わいを生み出し続けてきました。

今回は、同館の黎明期を知る館長の鷲田めるろさんに、全国の美術館を巡ってきた俳優・造形作家の片桐仁さんが、自身の関心や疑問を問いかける形式での対談が実現。アートが育む「地域の文化醸成と人々の関係性」について交わされたお二人の言葉から、地方創生における「美術館とアートの力」の可能性を探ります。

象徴的なアート作品をまちに解放。「公園のように開かれた美術館」のあり方とは?

芝生の広場に囲まれた円形型の金沢21世紀美術館の外観

2004年、石川県金沢市にて開館した金沢21世紀美術館の外観。コンセプトは「まちに開かれた公園のような美術館」で、芝生の広場に囲まれた円形建築と、正門を設けず東西南北4つの入口から入れる設計が特徴。無料で楽しめる体験型作品などが国内外から高く評価されている(画像提供:金沢21世紀美術館 / 撮影:石川幸史)

ガラス越しに青々とした芝生が広がり、アート作品に触れて楽しむ人々が景色になじむ、金沢21世紀美術館。「はじめまして」とご挨拶する片桐仁さんを、館長の鷲田めるろさんがあたたかな笑顔で迎え入れ、ふたりの対話がはじまります。

片桐

僕、「めるろ」さんという名前の方にはじめてお会いしました。本名、ですよね?

鷲田

そうです。父が哲学者なのですが、フランスの哲学者メルロ=ポンティ*1が大好きで「めるろ」と名付けてくれたんです。

*1 20世紀のフランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティ。独自の「身体性の哲学」を展開し、主に現象学の発展に尽くした

手振りを交えながら説明する鷲田めるろさんの様子

鷲田めるろさん
1973年生まれ。京都府出身。1999年から2018年まで金沢21世紀美術館キュレーターを務める。2018年4月よりフリーランスで活動し、『あいちトリエンナーレ2019』にキュレーターとして参加。2020年4月より十和田市現代美術館館長を務めた後、2025年4月より金沢21世紀美術館の館長に就任

片桐

すてきな名前! めるろさんは、ずっと金沢21世紀美術館で働いていらっしゃるんですか?

鷲田

この美術館が開館する5年前の1999年からオープン準備に携わり、開館後は2018年までキュレーターとして勤めていました。その後、青森県にある十和田市現代美術館の館長を経て、2025年4月から金沢21世紀美術館に戻り、館長に着任したんです。

片桐

立ち上げ期から携わっているんですね! 僕自身、金沢21世紀美術館にはじめて来たのが、2008年に開催された彫刻家のロン・ミュエックの個展でした。巨大な赤ちゃんの彫刻作品があまりにもリアルで、まだ小さかった息子がびっくりして泣いちゃって、大変だったのを覚えています(笑)。

だけど、美術館自体はすごく開放感があって、公園みたいに遊べるところがいいなと思って。それ以降、数えきれないほどここを訪れています。

鷲田めるろさんに笑顔で話している片桐仁さんの横顔

片桐仁さん
1973年生まれ。埼玉県出身。多摩美術大学の在学中にコントグループ「ラーメンズ」を結成。現在はテレビ・舞台を中心にドラマ・映画・ラジオなどで活躍中。1999年より俳優業の傍ら造形作家としても活動を開始して以降、国内外で個展を開催。テレビ番組ではTOKYO MXにて『わたしの芸術劇場』(2021年〜2023年)、『はじめての美術館』(2023年〜2025年)などでMCを務め、各地の美術館を訪問

鷲田

お仕事で来てくださっていることは知っていましたが、プライベートでも何度も来てくださっていたとは。ありがとうございます。

片桐

僕のなかで、金沢21世紀美術館って「光り輝いている」感じがするんですよ。アート作品って光や温度で傷みやすいものが多いから、普通なら閉じた箱のような建物にすることが多いですが、ここはガラス張りの廊下から外光が入りやすい建築。一般的な美術館の真逆をいっていますよね。

あと、まちの中心部のランドマークとして存在感を放っているのも印象的です。休館日でも無料で入館できる交流ゾーン*2は開放されているから、いつでも誰でも気軽にアート作品に触れられる。それってすごいことだなと思うんです。

鷲田

まさに、金沢21世紀美術館は「まちに開かれた公園のような美術館」というコンセプトを掲げて開放的な空間をめざしているので、そう言っていただけて嬉しいです。

*2 交流ゾーン(建物内の無料エリア)は年末年始を除いて入館が可能

金沢21世紀美術館の周囲の広場に、人々が集まっている様子

ガラス張りが特徴的な金沢21世紀美術館の外観

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公園のように誰でも立ち入れる建物周辺の広場には、恒久展示作品が点在しており、館内に入らずともアート作品に触れることができる

ガラス張りの館内廊下で話す片桐仁さんと鷲田めるろさん。ガラス窓の外側では、芝生の広場で市民がアート作品に触れている

外壁がガラス張りになっているため、外光を取り込んだ開放的な館内。設計したのは建築家ユニット「SANAA」。加えて、前館長の長谷川祐子さんと鷲田めるろさんも展示室の配置のプランニングなどに携わったという

片桐

僕も子どもと来るときは、まさに公園のように利用しています。外の広場にあるオブジェ作品や交流ゾーンの恒久展示作品はもちろん、有名なレアンドロ・エルリッヒの『スイミング・プール』も、主催展のチケットさえあればいつでも気軽に観られる*3のはとても魅力的ですよね。むしろ、少しもったいない気もしちゃうくらいです。

*3 『スイミング・プール』の地上部のみ鑑賞の場合は、主催展チケットが必要。地下部の鑑賞には、特別展・コレクション展いずれかのチケットのほか「当日順番待ち受付」が必要(チケットの金額は展覧会により異なる)

レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』(2004年)金沢21世紀美術館蔵

鷲田

市立の美術館として、最初から「まちに開かれた美術館」というコンセプトがはっきりとあったので、自然とそうなりました。中心市街地にある美術館に地域外からの来訪が生まれれば、近隣での購買や飲食などを通じて市全体への経済効果として還元されます。設立当初から、そうした「まちの賑わい」への貢献はずっと意識しています。

参考はスペインの都市・ビルバオ。「伝統のまち」金沢が現代美術館をつくった理由

金沢21世紀美術館が開館したのは、2004年10月。当時のどのような背景から、「まちに開かれた美術館」の構想が生まれたのでしょうか。片桐さんは、造形作家として、そしてまちに訪れる観光客として、さまざまな視点からその背景を掘り下げます。

片桐

ここまでコンセプトが体現されている美術館って、なかなかないですよね。そもそも、どんな目的で建てられたんですか?

鷲田

この美術館には「新しい文化の創造」だけではなく、先ほど申し上げたように「新たなまちの賑わいの創出」という目的がありました。というのも、当時の金沢では、「中心市街地の空洞化」が課題になっていたからです。

このまちは、戦災を免れ、細い道と古い木造家屋が多く残りました。観光の観点では風情があるのですが、暮らすには狭くて暗いし、自宅に駐車スペースがない家も珍しくありません。その結果、地元の若い人たちは郊外へ移り、中心市街地の住人の高齢化が進んでいったわけです。

片桐仁さんと鷲田めるろさんが、背もたれがうさぎの耳の形をした椅子に横並びで腰掛けて話し合う様子

館内には、金沢21世紀美術館の設計をしたSANAAがデザインした通称「ラビットチェア」も使われている

片桐

いわゆるドーナツ化現象が1990年代のこのエリアで起こっていたと。

鷲田

そうです。さらに、県庁が駅の反対側へ、金沢大学が郊外へ移転し、まちの中心部からますます若い人がいなくなり、衰退の一途を辿っていました。そこで参考にしたのが、スペインのビルバオでのまちづくりの事例でした。

かつて工業都市として栄えたビルバオは、1980年代の産業衰退に伴い、金沢と同じような課題を抱えていました。しかしそこにビルバオ・グッゲンハイム美術館*4が建ち、建築家のフランク・ゲーリーによる特徴的な建築が新たなランドマークとなり、芸術都市として生まれ変わりました。

その成功例を踏まえ、金沢市でも「まちの中心部に人が集まる現代美術館」をつくろうという構想が、1990年後半から立ち上がったのです。

片桐

でも、金沢って伝統工芸が有名な地域じゃないですか。普通なら、伝統工芸館のような施設をつくるのが自然ですよね。なぜ、現代美術館をつくろうとなったんですか?

鷲田

鋭い質問ですね。当時の市長だった山出保(やまで たもつ)さん*5が文化芸術に深い造詣を持ち、「現代美術館の設立が金沢を変える」と信じて後押ししてくださったことが大きいです。

市長は「伝統だけに力を入れていては、“守るだけ”のまちになってしまう。伝統を守りつつ新しいものも生み出していく、そんな創造的で文化的なまちにしたい」と。当時、「現代美術はよくわからない。理解しづらい」というイメージから反対の声もありましたが、市長の強い信念のもとで構想が進み、2004年に開館することができました。

*4 ニューヨークのグッゲンハイム美術館(通称:Guggenheim New York)の新設分館として、ソロモン・R・グッゲンハイム財団とバスク自治政府などがパートナーシップを結び、1997年にスペインのビルバオに開館した現代美術館

*5 1990年から2010年までの5期20年間、金沢市長を務めた。2013年には金沢市名誉市民を受章

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片桐

なるほど。当初は反対意見がありながらも、次第に「現代美術」も金沢の魅力のひとつとして、認識されるようになっていったわけですよね。地方都市として、新たなまちのイメージに現代美術を印象づけるって、なかなかできないことだと思います。

鷲田

開館してからは金沢市と私たちが一体となって、市民の方々が自然に立ち寄れたり、観光で訪れた方が街の魅力を感じられたりするような「開かれた美術館」をどう育てていくかをずっと考えてきました。そのうえで、地域の方々の理解と協力もあったからこそ、いまの金沢21世紀美術館と金沢のまちの関係性が成り立っているのだと感じています。

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「現代美術&伝統工芸」の共存への考えと、アートが地域の日常にもたらすもの

開館後は「開かれた美術館」として地域内はもちろん、国内外からも注目される存在となった金沢21世紀美術館。話題は、金沢の伝統工芸と現代美術の共存に対する考え方、そしてアートを介したまちづくりとコミュニケーションのあり方へと移っていきます。

片桐

僕自身、この美術館ができる前は「金沢といえば、伝統工芸が魅力的なまち」というイメージがまず浮かんでいました。

でもこの美術館の開館後は、現代美術という軸が加わったことで、より多層的に楽しめるまちのイメージになっていった。それって本当にすごいことだなと思っていて。

2020年には国立工芸館が東京から金沢市へと移転したことも相まって、この20年あまりで金沢の現代美術と伝統工芸が交差する流れも一層強まったのではないでしょうか。たとえば、現代美術をきっかけに金沢を訪れた人が、まちに根づく工芸や古い文化に魅了されるケースもきっと多い気がします。

鷲田

そうですね。私たちだけでなく、私設美術館である「KAMU Kanazawa」やNPO法人の「金沢アートグミ」が運営する展示・イベントスペースなど、まちのなかに美術関連のインディペンデントなスポットも増えたことで、まち歩きとアートが地続きになった印象です。

実際に、ここから近くにある柿木畠商店街も、老舗と新しい店が共存しシャッター街化を免れています。アートと伝統がまちのなかでうまく融合し、いい循環ができていると思います。

片桐

僕も金沢を訪れるたびに、この辺りを歩くのが楽しくて。以前、夜にふらりとこの美術館周辺を歩いていたら、知人とばったり会って、アートを横目に話し込むことがあったんです。まちのなかにワクワクするものが多いと、気分がよくなって会話も弾む気がします。

ラッパ状に開いた筒が芝生の広場に2つ生えていて、それぞれの前に鷲田めるろさんと片桐仁さんが立っている

フロリアン・クラール『アリーナのためのクランクフェルト・ナンバー3』(2004年)。広場にはチューバ状に開いた筒が計12個設置されており、地中を通る管が2個ずつペアでつながっていて、思わぬところへ声が伝わる仕組み

鷲田

たしかに、そういう側面もあるかもしれませんね。

片桐

あるときアーティストの鈴木康広くんが僕の芝居を見にきてくれて、「帰り道の風景が行きとは違って見えた」と言ってくれたことがあって。アートもそれと同じで、印象的な作品に触れると、なんでもない日常がふと輝く瞬間って誰しもある気がするんです。そうした体験のきっかけを、いろんな人に与えるのが美術館の役割なんでしょうね。

鷲田

おっしゃるとおりです。特にかつての現代美術は、鑑賞する側に知識やリテラシーが求められるような高尚なイメージを抱かれがちで、作品に対して「わからない」と言ってはいけない空気感があったと思うんですよね。

一方で、この美術館は日常から気軽に入っていける設計にしています。たとえば、恒久展示しているレアンドロ・エルリッヒの『スイミング・プール』も、まずガラス越しに中庭を見て「なにやらプールらしきものがあるな。なんで美術館にプールがあるんだろう?」と近づいて覗き込んでみると、下に人がいることに気づく作品です。

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『スイミング・プール』の底にあたる地下空間から見上げると、水面の揺らぎの向こうに鷲田めるろさんと片桐仁さんがのぞき込んでいる

レアンドロ・エルリッヒ作の『スイミング・プール』の地下部から見上げたアングル

鷲田

そこから「どういう仕組みになっているんだろう?」「どうやったら下に行けるんだろう?」と好奇心が少しずつ募っていく。地上から見る人と、地下から見上げている人同士が手を振り合うというコミュニケーションも自然と生まれます。このように恒久展示作品は、自然と関心が高まって自分から近づいてみたくなったり、それぞれの楽しみ方が発見できたりするような要素を重視して選んでいます。

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『スイミング・プール』の地下部で、カメラ目線の鷲田めるろさんと、はしごに手をかける片桐仁さん

『スイミング・プール』の地下部

アートでまちのコミュニケーションを活性化させるには?

アートが起点となるコミュニケーションの連鎖を大切にしてきた金沢21世紀美術館。多様な感性に触れ合える場所としてあり続けることで、まちの人たちとの関係性がまた育まれていく。二人はアートを通した対話の重要性を語り合います。

鷲田

金沢は文化に対する感度が高い方が多く、ものを見る目がとても繊細なまちだと感じています。たとえばお菓子ひとつにしても「あそこのお店、代替わりしてから味が少し変わったと思わない?」といった細かな変化まで、日常的に語り合う文化があります。

ちょっとした違いに気づく感性や、気軽に意見を交わせる距離感が根づいている。そういうまちだからこそ、新しいものを次々に投げ込むことで、なにかが誰かの琴線に触れて、そこからまたいろんな化学反応が起きていけばいいなと思っています。

片桐

まちの人の感性の豊かさは、僕も感じました。最初にロン・ミュエックの個展に来たときも、展示室にいた地元のおばちゃんたちが、すっごく楽しそうに話しかけてくれたんですよ。「私もよくわからないけれど、これはね……」とか「ジェームズ・タレルの作品は、夕方とか夜に見るのもいいのよ」なんて教えてくれたりして。

恒久展示だからふらっと立ち寄れるし、気軽に周りの人と同じアート作品を見つめる機会がある。日常のなかでそうした楽しみを見つけられて、分かち合える空間があるからこそ、会話も生まれやすいんでしょうね。

鏡面になった球体16個を集めてつくられた作品『まる』に人が集まっている様子

2014年の開館10周年を機に、建築家ユニット「SANAA」が手がけた球体のパビリオン『まる』(2016年)

鏡面になった球体に映る鷲田さんと片桐仁さん

鷲田

日常と地続きだけど惹きつけられるような、ちょっとだけ不思議な要素のある作品が、コミュニケーションのきっかけになりやすいのかなと私も思っています。

たとえば以前、ガブリエル・オロスコの『ピン=ポンド・テーブル』という卓球ができる作品を展示した際、遊び方の説明や注意書きをつくっていたところ、上司から「美術館が伝えるべきことは最低限でいい。本当の理想は来館者同士でやり方を教え合うことだ」と言われました。

十字型に交差する卓球台が花びらの形になっている作品。4人が4方向からボールを打ち合って遊んでいる

ガブリエル・オロスコ『ピン=ポンド・テーブル』(1998年)金沢21世紀美術館蔵 ©Gabriel OROZCO(画像提供:金沢21世紀美術館 / 撮影:KIOKU Keizo)

鷲田

ほかの作品も同様で、本当はお客さま同士で作品について考えたり、それによってなにか気づきが得られたりする関係性をつくることこそ、「まちに開かれた美術館」の理想だと思うんですよね。

片桐

美術館やアートが、まちの人と人をつなぐ役割として機能するということですよね。自作のスマホケースもよく会話の糸口になりますから、よくわかります。

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片桐さんが持ち歩いている自作の猫型スマホケース

猫のスマホカバーの顔部分を開け、中身のデザインを見せてくる様子

猫の顔をパカっと開けるとカメラのレンズが現れる

片桐

そういえばこの前、長野県東御市の小中学校で行われている対話鑑賞に参加したときも、同じようなことを実感しました。

その地域の学校では毎朝、生徒たちが美術作品をタブレット端末で見て、同じ班の子たちとその作品について意見交換し合うんです。作品情報は与えられず、答えを見つける必要もないし、相手の意見に対して非難や否定することもしないというルールで。

ものの見方は人それぞれだという前提で対話することを学ぶために、アートを使うんです。結果として、ほかの授業でも子どもたちが喋る量が増えたそうで、アートへの入り方としてとても面白い試みだなと思いましたね。

鷲田

いい取り組みですね。近年はアートの認識やとらえ方がいい意味で変わってきていますよね。日本の美術館のはじまりは、明治期に欧米へ追いつくための「教育施設」として整備されましたものでした。しかし、いまでは対話型鑑賞が広がり、「正解を当てる場」ではなくなった。互いに異なる視点を共有しながら、「新たな気づきを得る場」へと変化してきたと感じます。

金沢市内でも、小学校4年生は全員、金沢21世紀美術館に行くというプログラムがあり、開館当初から続けています。市内の60校ほどの小学校では、みんな一度は「美術館に行く体験」をするんです。そこから美術館に来てもらう習慣につながったらいいなと思っています。

片桐

この地域ならではの教育プログラムですね。

鷲田

さらに『ミュージアムクルーズ』というプログラムでは、大人のボランティアが作品の近くに立ち、子どもたちと会話しながらアート展示をグループで回ります。

私たちとしては、アートや工芸だけでなく、観光・教育・福祉など、この地域で活動してきた老若男女の方々とのコミュニケーションをどう活性化させるかが重要だと考えています。「地域のみんなで一緒に文化をつくる」という視点こそが、まちの文化醸成につながりますから。

カラフルな映像が画面に映し出されているデジタルアート作品の前で、大人がその作品に指をさしながら、生徒2名に解説している様子

『ミュージアム・クルーズ』の様子(画像提供:金沢21世紀美術館)

能登や石川県全域にも寄り添いながら、まちに必要とされる「開かれた美術館」へ

金沢21世紀美術館は、金沢に根ざしながら、石川県全体における文化のハブとしても機能してきました。そのつながりをより強く認識するきっかけとなったのが、2024年1月に発生した能登半島地震です。県内各地に甚大な被害が出るなか、金沢21世紀美術館も影響を受けました。その経験を伝えていくためにも、アートで能登と金沢をつなぎながら、これらかも地域内外に「開かれた場」であり続けようとしています。

片桐

能登半島地震では、金沢21世紀美術館も被害を受けたと聞いています。震災を機に、変化したことはありますか?

鷲田

能登は金沢から車で2時間半ほどかかりますが、心理的な距離はとても近いです。スタッフにも能登出身者がいて、地震があったときも、お正月で帰省していた人がいました。

震災があってからはずっと美術館として何ができるかを考えてきましたし、「能登の状況を広く知ってもらうきっかけにしてもらいたい」という想いのもと、さまざまな企画展や展示を開催しています。

2025年4月から9月まで開催されていた『積層する時間:この世界を描くこと』という企画展では、アーティストの淺井裕介さんが能登の土を採取して約20色のパレットをつくり、約100人のボランティアと大きな壁画を制作

SIDE COREによる展覧会『Living road, Living space /生きている道、生きるための場所』が開催中(2026年3月15日まで)。SIDE COREが『奥能登国際芸術祭』への参加経験から能登につながりを感じたことをきっかけに、現地へ何度も通いながら制作した作品などを展示している

左から、黄色いノートと青色のノートが置いてあり、どちらの表紙にも『ROAD TO NOTO NOTE』というテキストとイラストが描かれている

上記のSIDE COREによる展覧会の関連プログラム『ROAD TO NOTO』の一環として制作された特製ノート。廃業した能登の印刷会社から譲り受けた紙で製本

『ROAD TO NOTO NOTE』のページをめくる片桐仁さんと、そのノートについて説明する鷲田さん

「あ、ページごとに紙の色が違う!」と驚く様子の片桐仁さん。112ページ全て異なる紙で構成されている

片桐

支援のためだけの場所ではなく、被災地に寄り添い、ともに生きる視点を与える場所として美術館が機能しているんですね。2027年には1年間の休館も予定しているそうですが、その期間中はどんな活動をするんですか?

鷲田

休館中は空調や照明をはじめ、開館時からの設備を全面的に入れ替え、さらに耐震性を高める工事も行います。その期間もまちの賑わいを維持できるよう、空き店舗を含めてまちのさまざまな場所を借り、芸術祭のようなイベントなどを開催する予定です。

片桐

休館中も、アートで人とまちをつなげるような取り組みに励むんですね。個人的には、子どもたちが参加できるようなワークショップは、地域のなかでもっとあってもいいんじゃないかなと思っていて。僕自身も、現代アーティストとは少し違う立場ですけど、粘土を使った子ども向けのワークショップとかをやっているんですよ。

そうすると、普段絵を描かない子とかも参加してくれて、「粘土なら楽しいかも」とか思ってもらえたりするかもしれない。僕としても、いろんな現代アーティストの方との対話とかで、新しい発見を得ることもありますし、そんな機会がまちのなかでたくさんあったらよさそうですよね。

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鷲田

素敵なアイデアですね。やはり金沢21世紀美術館としても、そういう「地域に開かれた場」をこれからもめざしていきたいです。当館は「観光客向けか、地元向けか」とよく聞かれるんですが、基本的に向き合うべきは、ここに暮らす人たちだと思っているので。

美術館が地域の方々に刺激を与えることで、そのインスピレーションが金沢での生活や仕事のなかで活かされ、やがてまちの文化の発展にもつながっていく。そういう循環ができれば、結果としてより多くの観光客にも金沢の魅力が伝わるはずです。

観光客だけを見ると、短期的な商売に寄ってしまうからこそ、地域の人たちのクリエイティビティが育つような活動をこの美術館でやっていきたい。同時に、高い審美眼を持つ地域の方々も驚くような企画に挑戦し続け、互いに高め合っていけるような関係性をめざしていきたいですね。

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この記事の内容は2026年1月8日掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
宇治田エリ
写真
西田香織
編集
吉田真也(CINRA,Inc.)

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