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廃校の再生で10万人以上が訪れる場に?らぽっぽなめがたファーマーズヴィレッジの革新

  • 公開日

地域課題のひとつとしていわれる「廃校・耕作放棄地の活用問題」。そんななか、年間10万人以上が訪れる人気の拠点として再生を遂げた廃校舎の活用事例があります。茨城県行方(なめがた)市にある「らぽっぽなめがたファーマーズヴィレッジ」です。

このプロジェクトのキーパーソンは、行方市に移住してゼロから当施設を立ち上げた株式会社なめがたしろはとファーム総支配人の佐藤大輔さんと、行方市で育ち、現在は同社の農園部門顧問を務める、元JAなめがたしおさいの代表理事組合長の棚谷保男さん。立場も経験も異なる両者が手を取り合い、廃校再生に挑みました。

「原料危機」から進展したテーマパークの構想

─まず、「らぽっぽなめがたファーマーズヴィレッジ」がどのような施設なのか、あらためて教えていただけますか。

佐藤

「サツマイモ」をテーマに、農業の楽しさを体験していただくための施設です。廃校になった小学校を活用し、収穫体験やスイーツづくり、食事や買い物を一日中楽しんでいただける農業体験型テーマパークとして誕生しました。

建物の外観は小学校のままで、外壁にらぽっぽなめがたファーマーズヴィレッジのロゴが設置されている。門には学校名が残されている

「らぽっぽなめがたファーマーズヴィレッジ」の外観。廃校になった小学校が活用されている

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エリアマップ。総敷地面積33万平方メートルの広大な土地に、畑はもちろんショップやミュージアム、グランピングができる施設などがちりばめられている

─なぜ数ある場所のなかから、茨城県行方市の、しかも「廃校」を選んだのでしょうか。

佐藤

当施設の構想が立ち上がる前、私はサツマイモを使ったスイーツ店「らぽっぽファーム」の営業や店舗運営などを行っていました。

当時、事業の根幹であるサツマイモ生産農家の方々の高齢化や離農が進んでいて、「このままでは原料が手に入らなくなる」という強い危機感を抱えていて。それを乗り越えるために、当社で地域と連携し、生産から販売までを担う6次産業化*1をめざそうとなったんです。

行方市はもともとサツマイモの一大産地で、原料の仕入れなどでおつき合いがあったため、そうした縁から「この地域で挑戦できないか」という話になりました。ただ、廃校の活用について当初はまったく考えておらず、空いている土地に工場を建設する予定でした。

そんなときに、当時のJAなめがたしおさいの代表理事組合長だった棚谷さんから「廃校になった小学校があるが、活用できないか」というご提案をいただいて。それが、このテーマパーク誕生につながるきっかけです。

*1 農業や漁業(1次産業)、食品加工(2次産業)、流通・販売(3次産業)までを一体で担う取り組みのこと。

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らぽっぽなめがたしろはとファーム 総支配人 佐藤 大輔さん。20歳の頃に白ハトグループへ入社して以降、店舗の新規出店や営業・運営、イベント企画に携わる。そのあと、らぽっぽなめがたファーマーズビレッジの立ち上げへ立候補し行方市へ移住。2015年にオープンさせた

棚谷

この小学校は100年以上の歴史があり、地域の誰もが知っているシンボルでした。親子三代で通ったという家族も少なくありません。それが廃校になり、取り壊すとなると多額の費用がかかるうえに、地域の灯がまた一つ消えてしまうような寂しさがあった。

そこに、佐藤さんたちの工場建設の話が舞い込んできたんです。われわれ地域側からすれば、建物を残し、記憶を未来につなげられるかもしれない、という期待がありました。

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らぽっぽなめがたしろはとファーム 農園部門顧問 棚谷 保男さん。元なめがたしおさい農業協同組合(JA)代表理事組合長。

佐藤

私たちにとっても、廃校舎を活かすという提案は魅力的でした。

農業はもっとも大切な産業の一つにもかかわらず、就農する人が減っています。「農業の未来の担い手を育て、お客さまにその価値を直接伝えたい」。そんな想いが私たちにはありました。そのためには、農業そのものを「魅力的で、楽しいもの」として発信する拠点が必要で。「もともと学びの場だった小学校の跡地で体験型のテーマパークをつくれたら、それが実現できるかもしれない」と、そんな期待があったのを覚えています。

「どうせすぐにいなくなる」。よそ者がぶつかった信頼の壁

─当施設を運営する白ハトグループは大阪の企業です。それにもかかわらず茨城の地域コミュニティに入っていくのは、想像するだけでも大変だと感じました。廃校を活用したテーマパークの設立はどのように進められたのでしょうか。

佐藤

最初は正直、風当たりが厳しかったですね。「大阪の企業が来て、いったい何をするんだ」「どうせ補助金が目当てで、すぐにいなくなるんだろう」と。

棚谷

やはり地域に住む者のなかには、「よそ者」に対する警戒心もあったと思います。これまでも、「地域おこし」と称してやってくる企業は何社もありましたが、うまくいかなかった例がほとんどでしたから。廃校活用についても、最初は「そんなこと本当にできるのか?」という声がほとんどでしたね。

佐藤

そういった懸念や不安を解いていけるよう、何度も説明会を開き、対話を重ねていきました。

─そんな厳しい雰囲気を、どのようにして乗り越えていったのでしょうか。

棚谷

それはもう、佐藤さんたちの「姿勢」ですよ。ただ計画書を持ってきて説明するだけでなく、実際に家族で大阪から移住してきて、この土地の住民になったんです。そして、トラクターに乗って畑を耕しはじめた。もちろん最初は素人仕事です。農家からすれば、危なっかしくて見ていられないくらいでした(笑)。

佐藤

最初はもう、めちゃくちゃ下手くそでしたね(笑)。

苗に水やりをする佐藤さん

棚谷

でも、佐藤さんたちが毎日汗をかいて、泥だらけになって畑と向き合っている姿を見ているうちに、だんだん地域の人の見る目が変わっていきましたね。「下手くそだけど、しっかりやっているな。口だけじゃないんだな」という言葉が、あちこちから聞こえるようになってきた。それが転換点だったと思います。次第に地域の人と佐藤さんとの交流も生まれていったように感じます。

佐藤

棚谷さんが地元の方との関係値づくりに協力してくれたことも大きかったです。そのうえで、「行動で示すことが大事」だと思っていました。自分たちがこの地域と農業に「本気」なんだということを、日々の姿で見てもらう。地域のお祭りがあれば積極的に参加したり、消防団にも入ったり。そうやって、少しずつ地域の一員として認めてもらう努力を続けました。

校舎の記憶に敬意を。想いをかたちにした「再生」の舞台裏

─校舎の活用方法についてもこだわりがあったとうかがいました。どのような工夫をされたのか教えてください。

佐藤

まずは、この学校がどういう想いでつくられたのか、その歴史を知ることからはじめました。校舎や校門はもちろん、遊具などもできる限りそのままの姿で残しています。

棚谷

私たち地元の者にとっては、学校というのはやはり思い入れが強いんですよ。ですから、昔みんなが遊んだあの遊具が、いまもそのままあるというのが大事なんだと思います。

校庭も、芝生の広場に姿を変えましたけど、基本的なつくりは変わりません。佐藤さんたちは、ただ建物を再利用するんじゃなくて、私たち卒業生や地域の人間が抱いてきた「母校への想い」をちゃんと形として残してくれた。それが何より嬉しかったですね。

元校庭には芝生が敷かれ、満開の桜の下、子どもたちがブランコやシーソーなどの遊具で遊んでいる
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佐藤

もちろん、校舎を活用するにあたって課題も多くありました。特に消防法の評価基準をクリアするのは大きな挑戦でしたね。学校と商業施設では求められる安全基準がまったく異なりますから。

ただ、やはり私たちの基本方針は「あるものを最大限に利活用する」ことでした。年季の入った廊下や壁はきれいに塗り直しましたが、使える設備は徹底的に使いました。

たとえば、お菓子などをつくる体験教室は、かつての家庭科室をリニューアルした場所で行っています。面白かったのは、備品集めですね。机や椅子が足りなかったのですが、周辺のほかの廃校から譲っていただくなどして集めたんです。

棚谷

廃校の活用は難しいので、取り壊されてしまう学校も少なくないのが実情です。だからこそ、可能な部分だけでも残していきたい。そういった想いもあっていろんな学校の備品が混じってるんだよね(笑)。でも、それもまた物語になるかなと。

エプロンとコック帽子を身につけた子どもたちが、3人がかりでサツマイモを裏ごししてお菓子をつくっている

元家庭科室で行われている体験教室の様子

佐藤

さらに、空き教室の一つを活用して企業内託児所もつくりました。地元で採用した従業員の方々が、子育てをしながら安心して働ける環境にしたかった。これも、「元学校」という広い空間があったからこそ実現できたことです。

─運営を支える人材の確保についても、苦労が多かったとうかがいました。

佐藤

そうですね。オープン当初は、地元からの参加がまだゼロの状態でした。ですが、施設がオープンし、多くのお客さまが訪れるようになってから状況が変わって。いまでは全スタッフのうち2、3割が地元の方々です。県外からくる人が増えたり、ニュースなどで取り上げられたりして、少しずつ認められてきたからこその結果だと思っています。

地域に生まれた、新たな「誇り」と「人の流れ」

─オープン後、地域との関係性にはどのような変化がありましたか?

棚谷

一番大きな変化は、この施設が地域の人たちに愛される場所になったことですかね。ファーマーズヴィレッジは、これまでの行方市には少なかった、「少しお洒落で洗練された雰囲気」を持っているように思います。すると、地元の者が「うちの近所にこんな素敵な場所があるんだよ」と、市外から来た親戚や友人を積極的に案内してくれるようになったんです。

施設内にあるレストランの内観。調理場にはピザ窯がある。テーブル席はウッディ調で落ち着いた雰囲気

施設内にあるレストラン「Il Ristorante Farm to the Table」。施設にある農園や、農家の方から直送される野菜を使ったメニューが楽しめる。

佐藤

「地元になかった施設をつくる」というのは当初から意識していた部分でしたね。地元の方々が日常的に利用する直売所のような施設は、すでに素晴らしいものがたくさんあります。だからこそ、私たちは県外からも人を呼び込める「非日常を体験できる空間」をめざしました。それが結果的に、地域の方々の誇りにつながっていたら非常に嬉しいです。

─「県外からも人を呼び込む」という点について、何か具体的な仕組みを設けているのでしょうか。

佐藤

当施設のサービスの一つである「農業オーナー制度」がそれに当たるかと思います。これは都市の住民の方々が年会費を払ってオーナーになり、ご自身の区画でサツマイモの苗植えから収穫までを体験できる制度です。

単なる収穫体験と違うのは、農業の「プロセス」を共有する点です。天候に左右されたり、虫に食われたり、そういうリアルな過程を一緒に体験することで、食べ物への感謝や生産者への共感が生まれる。そんなファンの方々が、この場所を強く支持してくれています。

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農業オーナー制度で育てたサツマイモを収穫している様子

─そうして農業の価値やプロセスを共有し合えば、農業の魅力や奥深さを多くの人に知ってもらえて、「新たな担い手」の育成にもつながる気がします。

佐藤

そうかもしれません。この施設がメディアで取り上げられるようになったことで、白ハトグループの新卒採用に応募してくれる学生が格段に増えました。そして、その多くが「ファーマーズヴィレッジで働きたい」と言ってくれるんです。いまでは、20代の若者たちがここで農業の未来を信じて働いてくれています。

棚谷

それこそが地域の希望ですよね。これまでの農業は、親から子へ「家業」として、ある意味、宿命的に継いでいくのが当たり前でした。それは後継者にとって大きなプレッシャーですし、そもそも後継者がいなければ、そこで家業は途絶えてしまいます。

しかし、企業という受け皿があることで、農業を「ビジネス」というかたちにして地域全体で継承していくことができる。新たな農業の担い手を育てられるのです。これは、日本の多くの地域が抱える後継者問題に対する、一つの答えになると思っています。

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未来を拓くヒントは「リスペクト」と「本気度」

─最後に、お二人の経験から、これから空き施設の活用や地域活性化に取り組む人たちへのアドバイスをいただけますか。

佐藤

地元の歴史や文化、特産品への理解とリスペクトを絶対に忘れないことです。そのうえで、「守破離」の姿勢が大切だと考えています。

まずは、地域の素晴らしい伝統を深く理解し、そのDNAをしっかりと自分自身にも根づかせること。そして、私たちのような「よそ者」ならではのフラットな視点で地域を見つめ直す。そのうえで、既存の枠を越えて、新しい価値を創造していく。この守破離のバランス感覚が、地域に受け入れられ、かつ新しいものを生み出す鍵になると思います。

棚谷

地域の「困りごと」は、視点を変えれば新しいことを生み出すチャンスです。廃校も、ただの古い建物ではなく、地域の記憶という価値を持つかけがえのない資源です。

そして、どんなに優れた計画書があっても、最終的に人の心を動かすのは、そこにどれだけの「本気度」が込められているか。佐藤さんたちが泥だらけになって畑を耕したように、その真剣な姿勢こそが、すべてを動かす原動力になるのだと思います。

─今後のファーマーズヴィレッジは、どのような存在でありたいですか。

佐藤

全国の地域が「ああいう場所をつくりたい」と憧れるような、場所であり続けたいですね。最近では、「あ、この施設、教科書に載っていたよ!」なんて話を小学生から聞いたり、親子参観で子どもたちが施設のことを発表してくれたりすることもあって、嬉しい気持ちになります。

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棚谷

廃校が「終わりの象徴」ではなく、「再生と挑戦のシンボル」になった。この場所がそれを証明したといえるのではないでしょうか。年間10万人以上もの人が、この場所をめざして訪れてくれるんですから。

以前は「行方」の読み方を知らない人が多かったのですが、この施設を通して多くの人が認知してくれるようになりました。これからも行方市の名前を輝かせて、地域の未来を育てる存在であってほしいと願っています。

この記事の内容は2025年11月27日掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
松本友也
編集
森谷美穂、吉田真也(CINRA, Inc)
提供画像
らぽっぽなめがたしろはとファーム

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