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稲作本店の「田んぼと消費者を近づける」挑戦。お米づくりを起点に里の未来をつくる
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日本人の主食の約4割*¹を占める、お米。私たちの食卓にとって、お米は欠かせない存在ですが、そんなお米を支える地域の稲作農家はいまどのような状況にあるのでしょうか。
今回お話を伺ったのは、栃木県那須町でお米ブランド「稲作本店」を営む井上真梨子さん(以下、真梨子)、敬二朗さん(以下、敬二朗)ご夫妻です。
2017年、真梨子さんの故郷である那須町にUターン移住し、家業である稲作農家を継いだ二人は、お米づくりのかたわら、「田んぼカフェ」やショップ「たぬき社」の運営など、農作物の生産者と消費者の距離を近づけるための活動を行っています。
二人はなぜ、そのような取り組みを続けているのでしょうか。背景にあるのは、農業の枠を超えた里山や地域社会に対する想いでした。
生態系や環境を守る稲作。しかし「収益を上げにくい」という課題が
—昨今、米不足などお米に関するニュースを聞く機会が多くなりました。お二人は、日本における稲作の課題をどのように感じていますか?
敬二朗:最大の課題は「収益を上げにくいこと」だと思っています。
稲作って本来、とても素晴らしい仕事だと思うんです。単に作物を育てるだけでなく、その土地の風景や水脈、ひいては生態系や環境全体を守ることにもつながります。
しかし、それだけ大きな価値があるのに、稲作をやっても採算が取りにくい現状があります。長年、この課題が解決されていないがゆえに既存の担い手は減り、新規で稲作に挑戦しようとする人も減ってしまっているんです。

稲作本店代表の井上真梨子さんと敬二朗さん
—そもそも稲作が「収益を上げにくい」のは、なぜなのでしょうか。
真梨子:市場にお米が「足りない」ということはあってはならないので、お米をはじめとする主食系の作物は過剰に生産することになっています。基本的に、供給が需要を上回る状態になるので、市場原理が働いて価格が抑え気味になってしまうんです。
敬二朗:また、稲作には多額のコストがかかることも、採算が取りにくい理由のひとつです。たとえば、土を耕したり、肥料や種子の散布を行ったりするトラクターは1台1,000万円ほど。それでもうちの場合、10年使ったら買い替えが必要になります。

使用しているトラクターと敬二朗さん

トラクターのなかでも壊れやすいという刃
敬二朗:こうした機械がなければ生産性も品質も維持できないので、どれだけ高くても導入しなければなりません。とはいえ、そのコストを商品価格に転嫁することは難しいんです。
2024年からお米の価格上昇が話題になっていますが、現時点(2025年7月)の価格で、なんとか農業を続けられるくらいです。ただ、もし以前のような価格に戻った場合は、今後機械の導入などの投資が難しい状況になるかもしれません。
—市場やビジネスの構造的に、収益面に課題があるわけですね。
敬二朗:「稲作は儲からない」と言うと、「経営の合理化ができていないからだ」「生産性が悪いだけだ」などと思う方もいるかもしれませんが、実際はかなりの農家が最新の機械を導入するなどして、生産性の向上に努めているんです。
真梨子:かなりご高齢の方でも、ドローンなどを活用していますからね。徹底的に合理化を進めてもなお、儲かりにくい状況に置かれているのが稲作の現状なんです。
また、最近では「大規模化しなければ農業は成功しない」というのが定説になっており、それも新規で農業に参入するハードルが高くなる一因になっています。

—そうした状況だと、将来の担い手のことも気になりますね。
真梨子:稲作の担い手不足は本当に深刻です。現在、集落には計15戸の農家がありますが、40代の私たちが最年少なんです。次に若い方は50代前半で、そのほかの農家はあと数年で引退をされるような高齢の方々です。
このままいくと、数年後にはこの地域の農家が2戸だけになってしまう可能性があるんです。
—数年後には、15戸から2戸に……。担い手不足を強く感じますね。
敬二朗:特に担い手不足が深刻な場所は、那須のように地形が複雑な「中山間地域」です。
平野部に比べると、田んぼのかたちが複雑になるので、機械を使えなかったり、移動が大変だったりと生産コストがかかってしまうのですが、既存の流通システムではそれを価格に反映できないんです。結果として、離農、あるいは都市型農業に移行する人が増えていく。すると、土地が荒れて水路も整備されなくなり、下流にあたる平野地域の環境や生態系にも悪影響を及ぼしてしまいます。
だからこそ、中山間地域での農業は単なる「お米の生産」以上に重要な役割を持ちます。平野部を含めた環境保全の観点でも、なんとしても維持していかなければいけないと思っています。


稲作本店が「田んぼと都会を近づける」活動をはじめるまでの道のり
—さまざまな課題があるなかで、お二人はなぜ那須で稲作をはじめたのでしょうか。
真梨子:那須でアスパラガスをはじめとする野菜栽培や稲作を営んでいた私の父が倒れたことをきっかけに、2017年にUターンしました。最初は「とりあえず戻らなきゃ」くらいの気持ちで、農業も稲作も継ぐつもりはありませんでした。でも帰ったその日に、父から「明日から毎日アスパラガスを採れ」と言われて。
敬二朗:「朝4時に鎌を持って来い」ってね(笑)。そうして翌日やって来たのが、まさにこの場所です。

もともとアスパラガス畑だった場所。現在は二人が営むバームクーヘンとジェラートのお店「たぬき社」の広場になっている

「たぬき社」のジェラート屋の外観
敬二朗:それからは、朝4時から夜11時まで採り、稲作と並行して作業する日々がはじまりました。当時、子どもがまだ2歳で手のかかる時期でしたし、不慣れな農作業でかなり大変でしたね……。
そして2か月ほど経ったころ、収支計算をして愕然としました。お米とアスパラガスを組み合わせた収支はほぼ利益が0、下手をすれば赤字になるということがわかったのです。稲作も同じで、当時採れたお米はすべてJAに出荷していたのですが、ほとんど利益が出ていないことが判明しました。
真梨子:そこで、生意気にも父に「このままでは絶対にダメだ。利益率が高く、自由に販売戦略を立てられる直販をしよう」と提案したのですが、「JAとの信頼関係が崩れてしまう」と猛反対され、かなり揉めることになりました。
—そんななかで、どのようにブランド「稲作本店」を立ち上げるに至ったのでしょうか。
敬二朗:まずは親を納得させるためにも、お米の直販や加工品製造をするための会社を立ち上げました。JAの買い取り価格と同じ価格で親からお米を買うことで、ECでの直販や加工品の製造をすることに納得してもらったんです。
真梨子:そこから、私たちが理想とするお米づくりを実現するために、「稲作本店」というブランドを立ち上げ、さまざまな取り組みを始めていきました。

—現在、稲作本店ではどのような活動をされているのでしょうか。
真梨子:東京ドーム約5個分(約20ヘクタール)の田んぼで稲作を行うかたわら、農園直送のECサイトの運営やメルマガの配信も行っています。
また、「『つくる人 』と『たべる人』がつながる稲作へ」というコンセプトのもと、田んぼのなかのカフェ「Tan Cafe(タンカフェ)」をつくったり、田植えや稲刈りも体験できるキャンプイベント「田んキャン」を開催したりと、生産者と消費者の距離を近づける活動も行ってきました。

コーヒーや純米甘酒、梅ソーダなどが楽しめるTan Cafe(タンカフェ)の様子

稲刈りを終えた田んぼにテントを張ってキャンプができる「田んキャン」の様子。新米を炊いたりバーベキューをしたり、夜空を眺めたりと色々な楽しみ方ができる。
「つくる人」と「たべる人」が、ともに農業の課題に向き合う
—田んぼや稲作に気軽に触れてもらいたい、と考えた理由を教えてください。
敬二朗:多くの人が農作物について思い浮かべるとき、イメージするのはスーパーに並んだパックや袋詰めの姿だと思います。でも、そこに至るまでにはさまざまな工程と生産者の苦労があります。
真梨子:日本において、農業を営む人はわずか100人に1人といわれています。身近に農業者がいないため、農業の実態を見ることも聞くこともない人がほとんどだと思うんです。
その結果、自分が食べる農作物がどこから来たのかを想像できず、「スーパーに突然現れたもの」といったイメージでとらえる人が増えているのではないかと感じます。それは、田んぼが人々の生活から遠ざかり、農家と消費者のつながりが希薄になっているということ。こうした状況は農業の未来にとってよくないのではないか、という思いから、「つくる人」と「たべる人」の距離を縮めたいと考えるようになりました。

田んぼの手入れについて説明してくれているお二人
真梨子:那須町の場合、全国平均に比べると農業に携わる人の割合は高いですが、それでも農業者と非農業者の距離は離れてしまっているように思います。実際、近所の方から「田んぼの水面がまぶしいから水を抜いてほしい」「田んぼの蛙がうるさいからどうにかしてほしい」などといった意見をいただいたりすることもあります。こうしたやりとりの背景には、農業の実態が十分に伝わっていないこともあるのかもしれません。
敬二朗:こうした問題は、農業者だけが問題意識を持って声を上げたところで解決できません。「つくる人」と「たべる人」が相互に理解を深め、一緒に問題について考える流れをつくらなければ、日本の農業は終わってしまうのではないかとさえ思っています。
そんな危機感もあって、まずは地域の方々と農業の距離を近づけようと思い、田んぼカフェやキャンプなどを開催したり、地元小学生の職業体験や出前講座にも積極的に参加しているんです。
—日本の農業を変えるために、まずは地域の方々と農業の距離を近づけようと考えたわけですね。
敬二朗:そうですね。そうして地域の方々と交流するうちに、次第に「農業という領域にとらわれず、この地域を盛り上げたい」という気持ちも湧いてきました。
そこで、農業を起点に、周辺の事業や文化を結びつけた「地域産業」をつくりたいという思いから、2024年12月にオープンしたのが「たぬき社」です。お米からつくったジェラートやバームクーヘンなどの販売店に、カフェを併設しています。
観光客の方々も来てくださいますが、主なお客さまはこの地域のみなさん。特に親子連れの方が多く、お米を使ったお菓子を味わってくれている様子を見ると、何もなかったこの場所にお店を開いてよかったと心から思いますね。

たぬき社オリジナルの「里のジェラート」

たぬき社オリジナル「たぬクーヘン」の包装紙。里の風景をモチーフにしたイラストと真梨子さんの稲作に対する熱い想いが印刷されている

「たぬクーヘン」屋の入り口。たぬきがブリッジをしているロゴマークには、人と人、都市と田舎、そして過去と未来をつなぐ「橋渡し」になりたいというお店の願いが込められている。
—「たぬき社」は、地域においてどのような存在になりたいと考えていますか?
真梨子:那須の人口は段々と減っていますし、この土地の先行きを不安に思っている方も少なくありません。そんななかで、たぬき社が、地域に明かりを灯すような場所になればいいなと思っています。
私にとって地域の「明かり」とは文化です。土地の担い手たちの営みが文化となり、それがその土地の魅力になっていく。だから地域のみなさんにこそ、那須に根づく文化やその魅力を知ってもらいたいんです。
—地域を盛り上げるためには、まずそこに住む方々が、その土地の魅力に気づくことが重要だと。
敬二朗:そうですね。だからこそ、たぬき社にはこの土地の魅力を詰め込みました。たとえば、建物の設計は地元の建築士にお願いし、外壁にはお米づくりの過程で生じたもみ殻や藁を混ぜた那須町の土をつかっているんです。
「こんな建物をつくったら、みんなどう思うだろう」とワクワクしながらつくったのですが、特に地元の人から想像以上の反響があってよかったと思っています。

たぬき社の看板

もみ殻や藁を混ぜた土でできた、たぬき社の外壁

人と自然が調和する場所としての「里」を守り続ける
—今後たぬき社として、取り組みたい活動があれば教えてください。
真梨子:都会に住む方々と農業や里をつなぐための場所として、たぬき社を都会に進出させられたらと考えています。
稲作本店として活動するなかで、都会に住む方からさまざまなメッセージをいただくのですが、そこで気づいたのが、「都会にも地域の農業や里を守ることに関心を寄せている人はいるけれど、都会には具体的なアクションを起こすための場や選択肢が少ない」ということなんです。
敬二朗:たぬき社のロゴに書かれているキャラクターは「たぬー」という名前なのですが、将来的にはこのたぬーを都会に進出させたいと考えています。
具体的には、チェーン店が並ぶ街中に、アンテナショップやコーヒーショップなどを開く構想があります。そうすることで、都会に住むみなさんに問いかけたいと思っているんです。「せっかくなら、日本の里にお金を落としませんか?」と。

—なるほど。都会の人にも、里に貢献できる選択肢が増えるということですね。
敬二朗:そのとおりです。そうして都会進出ができた際に得たお金は、里を守るために使えたらと思っているんです。
たとえば、水路の保全。近年は、農業に欠かせない水路が全国各地で老朽化していて、台風のたびにどこかが崩れています。ただその修繕費用は、地域の農家が共同で負担しているんです。
当たり前に流れているように見える水も、誰かが守らなければ流れ続けることはできません。そういった里や農村の事実をもっと多くの方々に知っていただくためにも、たぬき社をより身近な存在にしていけたらいいなと思っています。
—あくまでも、この地域や里を守るためにビジネスを展開していきたいと考えていると。
真梨子:そうですね。全国各地にある、人と自然が調和する場所としての里を残すことが私たちの願いです。私たち自身、離農寸前まで追い込まれた時期もあったのですが、そんなときに思いとどまらせてくれたのは、この美しい里の風景でした。

敬二朗:都市って、どんどん景色が変わるじゃないですか。僕は兵庫県の三田市出身なのですが、生まれた街の人口は当時から4倍に増えて、景色も大きく様変わりしました。一方で、里の景色のような「変わらないもの」もすごく大切だと思うんです。
冒頭で「農業とは風景をつくること」と言いましたが、それはつまり、ずっと変わらない里の風景を守り受け継いでいくことだと思っています。未来から見れば、僕たちもこの土地に刻まれた歴史の一部であり、先人たちが守ってきたこの風景を一時的に預かっているだけに過ぎません。
だからこそ、僕たちが生きている間に、美しい里の風景を守るための仕組みを整えなければならないと思っています。
20ヘクタールの広さがある稲作本店の田んぼと井上ご夫婦
*1:農林水産省「『食生活・ライフスタイル調査~令和4年度~』の結果公表について」
この記事の内容は2025年10月2日掲載時のものです。
Credits
- 取材・執筆
- 鷲尾諒太郎
- 写真
- 堀口幸二郎
- 編集
- 牧之瀬裕加(CINRA,Inc.)