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75,000人が熱狂する盆踊り!『ナカボン』から広がる「踊る地方創生」の輪

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盆踊りといえば、昔ながらの笛や太鼓で踊るイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。しかし、『中野駅前大盆踊り大会(ナカボン)』は一味違います。伝統的な音楽に加え、J-POPやダンスミュージックに合わせて踊る通称「BON DANCE」が注目を浴びているのです。

今年で13回目を迎えるナカボンは、年々にぎわいを増し、昨年(2024年)は中野セントラルパークに約75,000人が来場しました。

とりわけ盛り上がるのが、Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)の名曲“Livin' On A Prayer”で踊る「盆ジョヴィ」。偶然から生まれたこの盆踊りはSNSで話題となり、ボン・ジョヴィ本人からリアクションを得るほどの反響を呼びました。そして、その影響は全国の盆踊りイベントにも広がっています。

今回は、ナカボンの生みの親で実行委員長を務める舞踊家の鳳蝶美成(あげは びじょう)さんと、「盆ジョヴィ」ブレイクの立役者・DJ Celly(セリー)さんに、都市部ならではの盆踊りの意義や、そこから広がる地方創生の可能性についてお話をうかがいました。

「踊りの文化が絶えてしまう」危機感から生まれた盆踊り大会

─2025年で13回目を迎える『中野駅前大盆踊り大会』(以下、ナカボン)は、2013年に鳳蝶美成さんが立ち上げたそうですね。まず、立ち上げに至った経緯を教えてください。

鳳蝶:もともと、母が民踊の指導者だったこともあり、幼い頃から盆踊りに自然と親しんできました。大学では盆踊りを卒業論文のテーマに選んだほどです

その後、会社員として働きながら踊りの教室も主催するようになり、いつかは自分の手で盆踊り大会を開催したいと考えるようになりました。

そんななかで、踊りに携わる人たちの多くが高齢であることに気づき、「このままでは踊りの文化が絶えてしまうかもしれない」と危機感を覚えたんです。「自分がなんとかしなければ」という使命感に駆られ、会社を辞めました。踊りの文化を盛り上げるために、まずは最もやりたかった盆踊り大会の立ち上げからはじめようと決意しました。

鳳蝶美成

舞踊家で中野駅前大盆踊り大会実行委員長の鳳蝶美成さん

─それで2013年に中野でナカボンを立ち上げたのですね。中野という場所を選んだのはなぜでしょうか? 

鳳蝶:中野は自分にとっての地元ですし、盆踊りを通じて地元を活性化したいと考えました。日本民謡をしっかり楽しんでもらうために生演奏を取り入れたいと思い、まず自分も所属する中野区民謡連盟の先生方に演奏のご協力をお願いしました。

中野駅前大盆踊り大会

2013年に中野駅前の広場で開催された『第1回 中野駅前大盆踊り大会』の様子(画像提供:鳳蝶美成さん)

─ほかにはどのような協力を得て、どのくらい人が集まったのでしょうか?

鳳蝶:運営全般については、中野区の担当の方と話し合いを重ね、2013年に晴れて第1回を開催することができました。また、多くの方に賛同と協力をいただくため、地元企業や知人のもとへ一軒一軒足を運び、地道に営業を行った結果、提灯に換算すると120張もの企業様にご協賛いただきました。

都市部での開催ということもあり、立ち上げ当初から比較的多くの方にご参加いただきました。続けていくなかで、「もっと多くの人に楽しんでもらうには?」と考えたときに、ディスコという「洋」の要素を取り入れてみようと思いまして。和と洋の両方があれば、さらに幅広い世代の方が好きな音楽で踊れるんじゃないかと。

2018年は日本にディスコが上陸して50年にあたる年だったことから、ユニバーサルミュージックさんとのコラボレーションが実現し、Cellyさんにもご出演いただくことになりました。「盆踊りとディスコを融合させたイベントを開催する」と告知したところ、来場者数が一気に増え、想像以上の反響を呼んだんです。

Celly:2018年は中野サンプラザでの開催でしたね。地面が揺れているのかと感じるほどの熱気とたくさんの人で、会場全体が大盛り上がりで、びっくりしました。

─立ち上げから10年以上経った現在、中野という街にとってナカボンはどんな存在なのでしょうか?

鳳蝶:中野ブロードウェイに象徴されるように、中野はサブカルチャーの街。だからこそ、サステナビリティやダイバーシティの感度が高く、多様なものを受け入れる土壌があると感じています。ナカボンで流れる音楽も、伝統的な民謡からボン・ジョヴィのようなロックまで幅広く取り入れていて、まるでダイバーシティを体現しているような空気感です。そうしたスタイルが、中野という街の風土にマッチしたのではないでしょうか。

また、東京だからこそ、日本各地の民謡や世界のさまざまな楽曲を取り入れやすいという強みもあると思います。最新の楽曲と古くからの踊りを、どちらも楽しんでもらえていますね。

Celly:ナカボンを目当てに、地方から来る方も多いんですよ。全国から「盆踊りガチ勢」が集まるので、みんなすごく踊れるんです(笑)。

中野駅前大盆踊り大会、鳳蝶美成

2024年のナカボンでの鳳蝶美成さん(画像提供:鳳蝶美成さん)

中野駅前大盆踊り大会、鳳蝶美成、DJ Celly

2023年、中野セントラルパークで開催されたナカボンの様子。総勢6万人が集まり会場が熱気に包まれた(画像提供:鳳蝶美成さん)

─地元の方にとって、ナカボンはカルチャーとして根づいているのでしょうか?

鳳蝶:中野区の大きなイベントとして根づいてきたかなと思います。区内のほかの盆踊りでもボン・ジョヴィをかけたり、ナカボンと開催日程が被らないように配慮してくださったり。

ナカボンを続けるうちに少しずつ認知度が高まり、青年会議所や地元のさまざまな団体から声をかけてもらえるようになりました。いまでは「今年も楽しみにしてるよ」と言ってくださる方がたくさんいて、本当にうれしいです。

Celly:いまのナカボンで育った子どもたちが15年後、20年後に「うちの地元では、盆踊りといえばボン・ジョヴィだったよ~」って話してくれたら、すごくうれしいですね。

DJ Celly

DJ Cellyさん

アドリブから生まれた?大ブレイクした「盆ジョヴィ」誕生秘話

─ボン・ジョヴィに合わせて踊る「盆ジョヴィ」がブレイクしたきっかけを教えてください。

Celly:2018年のナカボンで私がDJをしていたとき、予定よりも時間が余ってしまって。音響さんから「もうちょっと続けて!」と言われたので、アドリブで選曲することにしたんです。

会場はすでにものすごい熱気で、「この空気を壊さず、もっと盛り上がる曲はなんだろう?」と考えたときに、「ボン・ジョヴィしかない!」って。マイク越しに鳳蝶先生に「ロックなんですけど、いけますかー?」って聞いたら、両手で大きな丸をつくってくれて。

DJ Celly、鳳蝶美成

鳳蝶:イントロを聴いた瞬間に、ボン・ジョヴィの“Livin’ On A Prayer”だとわかりました。それでイントロが終わるまでのわずかな時間で頭をフル回転させて、即興で振り付けを考えたんです(笑)。

この曲には、手を高く上げる動きが合うと思い、“鹿児島おはら節”の振り付けを取り入れることにしました。すると、観客のみなさんが熱狂の渦に巻き込まれるように踊り出して。会場全体に解き放たれたようなエネルギーが満ちていくのを感じました。

─このときの動画が拡散され、本家のボン・ジョヴィにも届いたそうですね。

Celly:そうなんですけど、正直、自分ではあまり実感がなくて。「なんかSNSの通知めっちゃ来るな~」くらいの感覚で。気づいたら、いつの間にか「盆ジョヴィ」って呼ばれていました(笑)。

─「盆ジョヴィ」の流行(いわゆる「バズる」)によってナカボンがますます盛り上がるなかで、どのような変化がありましたか?

鳳蝶:「盆ジョヴィ」で有名になったあとにコロナ禍になり、しばらくは細々とナカボンを続けていました。コロナ禍が明けたときにどのくらいの人が来てくれるかは未知数で、とても不安でした。だけど、いざ開催してみると、たくさんの方が足を運んでくださって、「お祭りが人々にとっていかに大切なものか」をあらためて実感しましたね。

また、さまざまな地域の方から「うちでも盆ジョヴィのようなイベントをやってみたい」という問い合わせをいただくようになりました。これには、運営側にボン・ジョヴィ世代の方が増えてきたことも影響しているようです。ナカボンの運営方法を知りたいと、実際に視察に来てくださる方も増えました。

盆ジョヴィがさまざまな地域で活用されることで、その地域の盆踊りが活気づくのであれば本当にうれしいし、ナカボンの価値もさらに高まるのではと感じています。盆ジョヴィをきっかけに「中野に行ってみたい」と思う人が増えたら、それは素晴らしい観光資源になりますよね。

中野駅前大盆踊り大会

2024年のナカボンの様子(画像提供:鳳蝶美成さん)

J-POPもロックも、伝統舞踊と融合できる。BON DANCEが持つ可能性

─「盆ジョヴィ」誕生の裏側を教えていただきましたが、そもそも、J-POPやロックのような現代音楽と盆踊りを融合させようと思った背景をもう少し詳しく教えてください。

鳳蝶:たくさんの人に盆踊りを楽しんでもらいたくて、J-POPやロックに古典的な盆踊りの振り付けを合わせるようにしたんです。そうすると、流行りの曲で踊っているうちに、いつの間にか“鹿児島おはら節”や“郡上おどり”の振り付けを覚えてしまうんですよ(笑)。

ナカボンに参加した人のなかには、地元に帰ったときに「あれって実はうちの県の踊りだったんだ!」と気づく人もいるでしょう。そうやって自然に盆踊りの文化が浸透していったらいいなと思い、現代音楽も積極的に取り入れています。

盆踊りって地域ごとの伝統文化の魅力が詰まっているんですよ。たとえば郡上おどりの“徹夜おどり”は、地元の中学生たちが下駄を脱いで集めて、その周りをみんなで朝まで踊るんです。はじめて見たときはすごいカルチャーショックでした。そんなふうに、日本の地域にはまだまだ知られていない、その土地特有の興味深い文化や魅力がたくさんあるので、盆踊りを通じて発掘していきたいですね。

郡上おどり

2024年6月、東京・青山の秩父宮ラグビー場駐車場で開催された『郡上おどり in 青山』の様子(画像提供:鳳蝶美成さん)

─選曲や振り付けにおいて心がけていることはありますか?

鳳蝶:盆踊りの基本となるリズムは「チョチョンがチョン」と手を打つ動きです。このリズムは、「一緒に歌い出す」「一緒に踊り出す」といった、集団の一体感を大切にする日本人の感覚にとてもフィットしているんですね。

実はボン・ジョヴィの“Livin’ On A Prayer”も、サビの直前にある「ドドツトドン」というドラムのリズムが、「チョチョンがチョン」とぴったりシンクロするんです。そんなふうに、誰もが自然と踊りたくなるような構成を意識しています。

Celly:私は、“Y.M.C.A.”、“唱”、“Bling-Bang-Bang-Bornのように、すでに振り付けが広く知られている曲を選ぶことが多いですね。サビではその曲本来の振りを活かしたまま、それ以外のパートでは古典的な盆踊りの振りで踊ってもらうんです。

そうすることで、若い人たちがサビに合わせて自然と踊りはじめ、気づけば輪に加わって古典的な盆踊りも一緒に楽しんでくれる。そんな流れをつくるように心がけています。

鳳蝶さん考案の“Y.M.C.A.”の振り付け

─いまでは日本各地の盆踊り大会でBON DANCEが取り入れられているそうですね。鳳蝶先生とCellyさんは、埼玉や大阪、奈良などの盆踊り大会にもご出演されていますが、いろいろな地域を訪れるなかで、どのようなことを感じましたか?

Celly:ある地域の盆踊り大会に主催側で呼んでいただいたときは、最初なかなか踊り出す人がいなくて、ステージ前がぽっかり空いてしまっていたんです。はじめの3曲くらいは「大丈夫かな?」とちょっと焦りましたね(笑)。こういうイベントにまだ馴染みのない地域もあるんだな、と。

だけど、そのときは鳳蝶先生とお弟子さんたちがとびきりハッピーなオーラで「一緒に踊ろうよ!」ってお客さんを巻き込んでくれて、だんだん輪が広がっていったんです。最後はめっちゃ盛り上がって、最高に楽しい空間になりました。

DJ Celly、鳳蝶美成

鳳蝶:地方で踊るときは、その地方特有の振りをあらかじめ学んで取り入れるようにしています。

本当は、ゲストとして1日限りで踊るだけでなく、その地域ともっと継続的にかかわっていきたいと思っているんです。踊りは五感を使って表現するものなので、地域の特産物を味わったり、街を歩いて空気を感じたりすることで、その土地の気配や感覚が身体に自然と染み込んできます。それが踊りに深みや説得力をもたらし、その地域ならではの表現につながっていくと考えています。

─全国各地の盆踊りの主催者や参加者と交流するなかで、「地域に愛される盆踊り」の共通点を感じたことはありますか?

鳳蝶:盆踊りには先祖供養という側面がありますが、地域によっては「ハレの日」、つまりごちそうを食べたり、思い切り楽しむための特別な日のイベントでもあるんです。農村では、忙しい農作業が一段落して、ようやく心から遊べるのが盆踊りの日だった、という話もよく耳にします。

だからこそ、私自身、どの地域でも「そこに暮らす人たちにとって盆踊りがどんな意味を持つのか」を見つめることが大切だと感じています。人々の暮らしや気持ちに寄り添いながら踊りを届けることで、自然と地域に根づき、長く愛されるお祭りになっていくのではないかと思っています。

鳳蝶美成

中野から日本を元気にしたい。全国に「盆ジョヴィ」の輪を広げよう

─東京という都市部において、盆踊りやお祭りが果たす役割は何だと思いますか?

鳳蝶:地域コミュニティを築く場としての役割があると思います。都市部では核家族化の影響で人と人とのつながりが希薄になりがちですが、盆踊りには、知らない人同士でも自然と会話が生まれるような、あたたかい雰囲気があります。たとえば、見ず知らずのおばあちゃんから「その浴衣、素敵ね」と声をかけられたり。

中野には外国人の方も多く住んでいますが、言葉や文化の違いから、地域のなかで孤立してしまうことも少なくありません。ナカボンがそうした方々にとって、地域に溶け込むきっかけになればいいな、と願っています。また、盆踊りはその地域に住む人たちだけではなく、外から訪れた人にとっても、地域の魅力を感じるきっかけになると思います。

Celly:私としては、普段ナイトクラブに行かないような人にも、音楽に合わせて踊る楽しさを味わってもらいたいです。空の下で踊る機会って意外と少ないですし。盆踊りは、そんな体験ができる貴重な場だと思います。

DJ Celly

ナカボンでのDJ Cellyさん(画像提供:鳳蝶美成さん)

鳳蝶:考えてみると、ナカボンには「東京だからこそ実現できた要素」が多くあると感じます。たとえば、DJを取り入れたり、思い切った選曲に挑戦したり。地方によっては「伝統を壊すな」と批判される可能性もあるでしょうし、さまざまな人や文化が集まる都市部だからこそできたんでしょうね。ほかの地域の文化を取り入れて融合するような「社会実験」ができるのも、東京ならではのよさかもしれません。

─ナカボンが盛り上がり、来場者が増えたことで、地域経済にも影響が出ているのではないでしょうか。

鳳蝶:昨年(2024年)には、約75,000人もの方が来場してくださいました。億単位のお金が動く規模のイベントに成長したことで、中野の地域経済にもプラスの影響があったと聞いています。これからも、地域の文化や社会に貢献できる存在でありたいですね。

─ナカボンを参考にして盆踊りを立ち上げた地域では、どうしたら多くの人を集められると思いますか?

鳳蝶:リスペクトしてくれるのはありがたいことですし、ナカボンのスタイルを真似していただくのも大歓迎です。そのうえで、ナカボンをそのまま再現するのではなく、その地域ならではの特色を活かした盆踊りを開催するのが一番だと思います。

集客という観点では、地方の場合、SNSよりも人づての情報伝達のほうが効果的なケースもあるでしょう。また、地元のダンスチームが盆踊りに参加するなど、地域の方が運営側としてかかわることで、よりいっそう盛り上がる傾向があると感じています。ぜひ、地域のみなさんの地元愛がさらに深まるようなお祭りをつくっていただきたいですね。

Celly:「うちの地域にも来てほしいけど、田舎すぎて無理だよね」といったメッセージをいただくこともあります。でも、私たちがさらに頑張ってもっと有名になれば、遠くの町にも行けるかもしれません。そのとき、盆踊りがきっかけで町おこしにつながったらうれしいですね。

─最後に、今後の展望やチャレンジしたいことを聞かせてください。

鳳蝶:いまの盆踊りのスタイルって、実は電気が発明されて以降のものなんですよ。蓄音機や電球がなかった時代の盆踊りは、音楽は生演奏で、明かりはろうそくでした。だから、いつか電気を全く使わない「盆踊りの原点」のようなイベントを開催できたら面白いと思っています。昔の文化に触れることで、五感が何を感じるのか、確かめてみたいですね。

盆踊りは、フラダンスやフラメンコと同じ「民族舞踊」というカテゴリーに属しますが、世界的にはまだ認知度が低いのが現状です。だからこそ、さまざまなアプローチで、もっと多くの人に盆踊りの魅力を知ってもらいたいと思っています。

そうした取り組みを重ねるなかで、全国各地でもナカボンをどんどん真似していただいて、中野から日本を元気にしていきたいですね。

Celly:これからも、小さなお子さんからおじいちゃん・おばあちゃんまで、みんなが踊って楽しめるイベントをつくり続けたいです。盆踊りの夜って、きっと一生の思い出になるはずだから。

鳳蝶美成、DJ Celly

中野セントラルパークにて

この記事の内容は2025年7月10日掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
吉玉サキ
写真
宮本七生
編集
岩田悠里(プレスラボ)、包國文朗(CINRA,Inc.)