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移住者が自ら集まる町、神山町に学ぶ。魅力的な地域づくりのカギとは?
地方の過疎化が進むなか、独自のアプローチで外部から人材や企業を呼び込み、2011年には転入数が転出数を上回った徳島県神山町。多数のIT企業が町内にサテライトオフィスを置き、現在も多様な人々が集まり続けるその発展は「神山の奇跡」として全国的に注目されています。
「神山町の再生は『人を呼び込もう』『地方創生をしよう』という活動から起こったわけではないんですよ。僕たちはただ、自分たちの住む町をより楽しい場所にするべく動いてきただけです」
そう語るのは、認定NPO法人グリーンバレーの前理事長・大南信也さん。グリーンバレーは、徳島県神山町で「日本の田舎をステキに変える!」をミッションに、アート、移住定住、環境、働き方などの分野で地域づくりをしているNPO法人です。そんな神山町の再生を牽引してきた大南信也さんに学ぶ、これからの時代における地方創生のカギとは?
なぜ次々に地域おこしのアイデアが生まれた? 移住者増につながった背景
―グリーンバレーは、アートや住まい、仕事、教育などの多方面から神山町の発展に貢献する「神山プロジェクト」を手がけてきましたよね。地方創生においてこのプロジェクトから学べることがたくさんありそうですが、そもそもどのような経緯ではじまったのでしょうか。
大南:神山町は小さな町で、交通の便も悪いし、企業も工場も有名な観光地もありませんでした。働く世代を中心に人口が流出し、少子高齢化が進んで活気が失われるという、日本の多くの地域が直面している課題と同様の不安を抱えていました。
そんな神山町が変わるきっかけになったのが、グリーンバレーの前身・神山町国際交流協会が中心となって1999年にはじめた「アーティスト・イン・レジデンス」です。国内外のアーティストにアトリエと宿舎を用意し神山町に滞在してもらう取組みで、神山プロジェクトはここからはじまりました。
―「アーティスト・イン・レジデンス」には、もともと町に人を呼び込む意図があったのでしょうか。
大南:実は、そうではないんです。「住んでいる人がワクワクできるような文化的な町にしたい」というシンプルな思いからはじめました。しかし、滞在したアーティストの方々がこの町に魅力を感じてくれて「神山町に住みたい」という声が上がるようになり、結果的に移住者が増えるきっかけになったんです。
当初、「アーティスト・イン・レジデンス」は自治体や文化庁から補助金や助成金を受けていましたが、いずれ補助や助成が打ち切られても自走できる仕組みをつくる必要がありました。そこで、もともとプロジェクトへ応募いただいたものの選考に漏れてしまった人に向けて、宿舎とアトリエを提供して自費で町に一時滞在してもらうプログラムをつくったんです。この取組みによって神山町に興味を持ってくれていた人にしっかりアプローチできたことから、資金を抑えながら潜在的な移住者を呼び込めるようになり、ますます町が活気づきました。
―移住支援のための取組みではなかったのに、移住者増につながっているのが興味深いですね。
大南:「移住支援のため」という課題意識がなかったからこそ、のちにご説明するサテライトオフィスや「神山まるごと高専」といった枠にとらわれずに面白いアイデアが生まれていったのだと思います。僕らにとって、地域づくりは仕事ではなく趣味の延長線上。仕事ではないから、期限を切られないし、成果も求められません。「今ある面白いこと」をずっと重ねていたら、次第に移住者が現れて、自然と神山プロジェクトができていったという感じです。
―そのあと、プロジェクトはどのように発展していったのでしょうか?
大南:アートに限らず、さらに多様な職種の人材が集まるといっそう面白い町になりそうだということで、われわれが必要としている仕事や能力を持っている人に町に来てもらう「ワーク・イン・レジデンス」や、クリエイティブ人材を集める「クリエイター・イン・レジデンス」をはじめました。
それが人気を呼び、町に対するIターン需要が顕在化しました。その結果、これまでは町に入ってきた人自身で空き家の改修をしていたのですが、以降は移住者の拠点づくりのためにグリーンバレーが資金を出して空き家改修もはじめることになりました。その改修を手伝ってくれた建築家の紹介で、とあるスタートアップ企業の社長が神山町にサテライトオフィスを置くことになったんです。それがテレビで全国放送されたことがきっかけで、2010年代からはITベンチャーのサテライトオフィスが町に次々とできて、多様な人材が集まるようになりました。
大南:また、そのほかに最近の取組みとして、2023年4月に日本の社会に変革が起こせるような人材の育成を目的に、デザイン、テクノロジー、起業家精神を5年間で学ぶ高等教育機関「神山まるごと高専」も開校しました。
この「神山まるごと高専」は神山町の地方創生ために設立したものだと思われがちですが、実際は違います。いままでにない教育モデルの学校を神山町につくったことが、めぐりめぐって結果的に地方創生になるかもしれないというだけなんです。
もし途中で「地方創生のために」と考えるようになったら、その枠のなかでみんながとらえるようになって、本質を見失っていたかもしれない。軸がぶれると、どこにでもあるようなつまらないものしかできないんですよ。
移住者とのフラットな関係づくりが、魅力ある人材を集めるカギ
―順風満帆に聞こえますが、やはり容易にできることではないと感じます。「神山プロジェクト」で失敗したことはありましたか?
大南:失敗の経験はあまりないですね。というのも、私はうまくいかなかったことイコール失敗ではないと考えています。自分たちの考えが時代よりも先を進んでいたとか、そのときにキーパーソンになる人がいなかったことがうまくいかない原因ということもあります。
うまくいかなかったことを失敗と同一視して、コンピューターでいえばデスクトップのゴミ箱に入れてしまう人は多いですよね。でも、僕はうまくいかなかったことは一旦「未来フォルダ」に預け、そのあと何年も「こういう人がいたらプロジェクトはこう変化するはず」のようなシミュレーションをしながら過ごします。そうすれば、不意にキーパーソンが目の前を横切ったときにその人をつかむことができて、今度こそ成功する可能性が高まるんです。
私は失敗と成功を、0か1かといったデジタルのように考えるのではなく、アナログに近い考え方でとらえています。失敗と成功の間には次につながるヒントがたくさんあるので、それをきちんとつかんでいくことが重要だと思いますね。
―地方創生の難しさとして「取組みに対して地元の方から理解が得られない」というものもよく挙げられる印象があります。大南さんはそうした経験や、そこから得られた教訓などはありますか?
大南:もちろんあります。理解を得るためには、プロジェクトから生まれていく変化を見せ続けて、その人自らが「ここからなにか面白いものが生まれそうだ」と気づいてもらえる場面をつくり上げていくことが大事ですね。
たとえば、アート事業をはじめてから20年以上経ったころに、地元の70代後半の方が「自分はあと何年生きていられるかわからない。神山がこの先どう変化していくか見られないのが残念だけど、あと何年かは頑張れるはずだ。できることがあったら、なんでも相談してほしい」と言ってくれたことがあるんです。
人間って、説得しようと思っても腑に落ちないことはなかなか理解してくれないんですよね。特に、日本の地方はまだまだ保守的で、いままで受け継いできたものをできるだけ変えないという価値観が根強く残っています。ところが、その地元の方のように、変化を目の当たりにし続けて、変わっていくことの楽しさを体感すると、心強い協力者になってくれることもあります。この変化を楽しむという気づきが、理解を得るための根本的な要素になってくるのではないでしょうか。
―そういった意味では、結局のところ「人同士のつながり」こそが地方創生の肝ともいえそうですね。
大南:そう思います。外からやってきた人と地元の人がフラットにつながることはとても大切です。自治体が移住者や企業を受け入れるとき、絶対に来てほしい相手にはへりくだり、そこそこの相手にはそこそこの対応しかしないことってよくあるでしょう。でも、僕らは相手の立場に関わらず、フラットな目線で対等に接することを意識しています。意外とそうした場所は少ないので、逆に面白い感覚を持った人や企業を引きつけるんですよね。
あとは、外部の人に対してオープンであることも欠かせません。たとえば、神山町では1990年代あたりから外国人青年のための民泊事業をはじめていて、毎年40人から50人くらいの外国人が3泊4日で町にやってくるということも起きたんです。最初は、言葉も通じない、見慣れない人たちがやってくることに抵抗があった住民もいたと思います。でも、これまでに出会わなかったような人たちが毎年ずっとやってくるようになれば、それは当たり前の風景になるんです。この「風景化」が、外部から来た人に「この町にはすっと入っていける」と言われるオープンな土壌につながっているんじゃないかな。
「アイデアを出すだけならAIにもできる」。地方創生に取組む人が意識すべきこととは?
―大南さんが考える、これからの時代における地方創生のカギとはなんでしょうか?
大南:条件に恵まれない土地では、ないものねだりしていても新しいことははじまりません。いまあるものを組み合わせて新しいことをつくれるクリエイティブな人材を集め、そうした方々が行動を起こしやすい環境づくりは欠かせないのではないでしょうか。
ただ、地方で移住支援の動きが活発になると、住民側から「移住者ばかり優先する」という不満の声が上がることも多いんです。「地元には可能性がないから」と働き手が外に流出していったにもかかわらず、実際には移住者が新しいことをはじめるなど可能性を見出しているのを見ると、少し戸惑ってしまうのかもしれません。
しかし、外から人が入ってきて町に活気が生まれたら、町出身の人たちも少しずつ帰ってくるかもしれませんよね。地方創生は、そうした長期的な視点で見ることが大切です。
―現在、地方創生に取組むなかで課題を感じている方に向けて、何かアドバイスはありますか?
大南:まず覚えておきたいのは、人と人との出会いは、一対一の関係性にとどまらず、双方のネットワークがつながる現象だということです。
そのうえで、「この課題を解決するためにどうしようと悩むのではなく、課題を投げ込めば自然と解決方法が生まれてくるような、フラットで心地よい環境をつくろう」と伝えたいです。人と人とのつながりやネットワークが生まれやすい環境を整えておくことで、課題に直面したときも、築き上げたネットワークのなかから解決方法を持った人が現れる、といったこともありますから。
そのためには、変化を恐れないことが大切です。物事が続いていくためには、時代に合わせた変化が欠かせませんから。
あとは、できるだけ多種多様な人たちと接点を持ち、自分たちがどこをめざして何をやっているのかを伝えることも意識し続けてほしいですね。地方創生に取組んでいる人は、よく「アイデアが欲しい」と言いますが、これからの地方に必要なのはアイデアではなくプレイヤーです。プレイヤーがいないプロジェクトは前に進みませんし、アイデアを出すだけならもはやAIにもできます。人と人とのつながりを大切にして、キーパーソンとなるプレイヤーに出会う確率を高めておくようにするといいかもしれません。
この記事の内容は2024年12月19日の掲載時のものです。
Credits
- 取材・執筆
- 小晴
- 編集
- exwrite、CINRA, Inc.