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地域を見つめ直す本5選。温泉津「本と舎」店主が綴る、土地と暮らす手ざわり
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人口減少や地域コミュニティの希薄化が語られるいま、地域と人との関係は大きな転換点にあります。働き方や暮らし方の選択肢が広がり、場所を選ばず生きられるようになった一方で、「自分はどこで、どう生きていくのか」という手応えを持てず、どこか浮足立つような不安を抱えている方も少なくないはずです。そんな問いを胸に、いま一度足元を見つめ直そうとしている人も多いのではないでしょうか。
今回は、島根県大田市温泉津(ゆのつ)町に移住し、シェア文庫「本と舍(あらか)」を営む西田優花さんに、「地域を外から語るのではなく、自分の居場所として感じる」というテーマで5冊を選んでいただきました。
本のご紹介とともに、土地の言葉や暮らしの手ざわりをすくい上げるような、西田さん自身の想いも綴っていただいています。
「地域とのつながり」に興味がある方はもちろん、日々の暮らしのなかで「自分の足元」を見つめ直したい方へ。温泉津の町に流れる穏やかな時間のように、人と土地との関係を編み直すヒントを、西田さんの言葉とともにお届けします。
「ここで暮らしたい」という直感。本と土地が教えてくれた、豊かな居場所の見つけ方
「移住をする前は、いろんな地域を見て回ったんですか?」
多くの方に尋ねられる質問ですが、私の場合、「移住がしたい」よりも先に「温泉津で暮らしたい」と感じたことが、何よりの移住の動機でした。
温泉津を訪れたきっかけは、石州和紙*1の事業で知人に連れられてきたこと。そこで名湯と出会い、私の心は強く惹きつけられました。日帰りの予定だった滞在は、1泊、2泊、2週間へと延び、やがて1か月半になりました。片道15分ほどの温泉街のメインストリートでは、同じ日に何度も同じ人と顔を合わせ、「また会ったね」「いまからどこに行くの」と声をかけられる。
この町には自分を知ってくれる人がいて、そして、これまでの暮らしにはなかった「ワクワク」が詰まっている。そう感じたときにはすでに、とある空き家を購入していました。
*1 島根県西部で約1,300年の歴史を持つ、国指定重要無形文化財および伝統的工芸品に認定された手漉き和紙
島根県大田市温泉津は、2007年世界遺産に登録された石見銀山の港として栄えた町。「温泉」と名がつくとおり、長い歴史があり、温泉街としては全国で唯一、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている
私は以前から、日本各地に潜む個性豊かな祭りや風習が大好きでした。その背景には、農学博士・文化人類学者の米山俊直氏が提唱した「小盆地宇宙論」という考え方があります。
山や川に分断された地形の谷間に人々が住み、その土地の土と水で育まれた作物を食べる。同じ食習慣のもとで、村ごとに考えや信仰が育ち、祭りは口伝でいまに受け継がれていく。そうして生まれた盆地ごとのアイデンティティを「小宇宙」にたとえたこの考え方は、私自身が福知山という盆地を故郷に持つこともあり、とても腑に落ちるものでした。
同じように、それぞれの「地形」が生む土地ならではの魅力が、いまも日本の各地に多分に潜んでいると感じます。そして、こうした「土地固有のアイデンティティ」を見つめる視点は、私が温泉津での暮らしを選び、この場所で本を介して土地と向き合う活動を続けるうえで、大きな指針となっています。
今回は、そんな私に「土地の一部として生きる」ことについて考える視点を与えてくれた5冊を紹介します。
2025年6月にオープンしたシェア文庫「本と舎」。気になる1冊があれば、名前を記帳して宿や自宅に持ち帰ることができる
1冊目:『岡本太郎の東北』岡本太郎(小学館)
土地の景色や祭り、暮らしの手ざわりをすくい取る『岡本太郎の東北』には、土地の姿の評価や分析の前に、そのまま受け止めようとする姿勢が貫かれています。この一冊は、私が温泉津に移住してきたばかりの頃、暇を見つけては読みふけっていた本でもあります。
本書は、岡本太郎が東北各地を歩き、祭りや民家、生活の場に身を置きながら写し留めた記録をもとに構成されています。民俗学的な整理や美術論へ回収することなく、「なぜこれが、ここにあるのか」「なぜ、このかたちで続いているのか」という違和感や衝撃を、読む側が同じ場所に立っているような目線で差し出してきます。
岡本太郎の眼差しが、東北の暮らしに潜む「縄文の生命力」と、人々の根源的な美しさを射抜いた一冊
私が初めて島根県西部を訪れたのは、石州和紙のリサーチがきっかけでした。深夜、とある神社で行われていた石見(いわみ)神楽の場には、酒を酌み交わす大人たちと、その周囲を走り回る子どもたちがいました。舞がはじまると、誰に促されるでもなく視線が集まり、場の空気が一気に切り替わります。
それは、「伝統芸能を鑑賞する」というより「その場の時間を共有する」という感覚に近いものでした。自分が観光者でも住民でもない立ち位置に置かれる、その「揺らぎ」のような感覚が強く印象に残りました。
『岡本太郎の東北』を読み返すと、あの夜の光景が特別な体験ではなく、土地のリズムの一部であったことが腑に落ちてきます。自分の町で行われている祭りや行事を、少し違う距離感で見直してみたくなる。そんな視点の変化を、静かに促してくれる本です。
2冊目:『ふるさとの生活』宮本常一(講談社)
島根県石見地方の魅力に触れるうちに、「その地域を地域たらしめているものは何なのだろう」と、より強く考えるようになりました。
地形や気候から生まれた習慣が文化として定着し、やがて地域のアイデンティティになるのではないか。そんな想像をしつつ、その確かな手がかりを求めて、土地の暮らしを体系的に知る入口として手に取ったのが『ふるさとの生活』です。
地域の成り立ちを知ろうとするとき、制度や歴史年表よりも先に暮らしの手順からたどってみたい。私がそう考えるきっかけとなった本でもあります。
『ふるさとの生活』は、宮本常一が全国各地を歩き人々の話を聞きながらまとめた生活誌です。農作業や漁、家の仕事の分担、季節ごとの段取り、隣人とのかかわり方。派手な出来事ではなく、日々繰り返される営みが丁寧に記録されています。地域を「文化」や「伝統」ではなく、「日々更新され続ける生活」の観点から切り取っている点が本書の大きな特徴です。
名もなき人々の日常や習俗に寄り添い、土地に根ざして生きる知恵と、日本人の暮らしの原風景を静かに見つめ直した民族学の書籍
温泉津に移住して1年も経たない早春、午前5時すぎに「いまからやるよ」と電話が鳴りました。眠気が残るまま港へ向かうと、漁師の妻たちが集まり、わかめの天日干しをはじめようとしているのです。
私もわかめの入った竹籠と洗濯ばさみを手渡され、折り重なったわかめをはしごの上に並べていく。太陽が昇るにつれ、水分を失ったわかめが「ぱきっぱきっ」と音を立てました。作業が一段落し、家に戻る頃には、時計の針よりも身体の感覚の方が時間を正確に教えてくれていました。
このときの体験は、少なくとも私にとっては町の春を実感する時間でした。
『ふるさとの生活』を読んでいると、こうした光景が懐かしいものではなく、自分の生活と地続きのものとして立ち上がってきます。
「地域を理解する」とは、特別な知識を得ることではなく、繰り返されている営みに目を留めることなのかもしれません。そんな視点を、静かに手渡してくれる一冊です。
3冊目:『老人とカメラ 散歩の愉しみ』赤瀬川原平(実業之日本社)
春夏秋冬を一巡すると、温泉津の輪郭が少し見えた気がして、次第に主流ではない風景にも目が向くようになります。
小川に架かる福光石*2(ふくみついし)の橋、路地裏の古民家の間に立つ小さな赤い鳥居、赤茶色の甕(かめ)のなかを泳ぐ金魚。
町の風景をどう見るかは、その人がどこで立ち止まるかによって決まります。赤瀬川原平の『老人とカメラ 散歩の愉しみ』は、そのことを軽やかな筆致で教えてくれるフォトエッセイ集です。
本書は、写真を撮る筆者の視線を通して、地域の日常に潜むささやかな違和感を描いています。写されるのは、観光名所でも特別な出来事でもありません。道端の物、使われなくなった建物、少し歪んだ看板。
意味づけや評価を急がず、時間が重なった結果として、そこに残ってしまったものたちが淡々と差し出されます。その視線は、何を撮るか以上に、どこで立ち止まるかという選択のなかに現れています。
*2 温泉津町福光で採掘される、約1,600万年前の海底火山噴出物から成る淡い緑色~青緑色の凝灰岩
日常の何気ない風景を独自のユーモアと眼差しでとらえ直し、老境における「見つける愉しみ」と、世界との新しいかかわり方を軽妙に綴ったフォトエッセイ集
私は週に2、3度、早朝の温泉に入りに行きます。非常に高温な湯に浸かったあとの帰り道は、目が冴え、町の様子がいつもよりくっきりと見えてきます。錆びたトタン壁、庭の隅に置かれた古い家電、半開きの冷蔵庫。普段は視界を素通りしていたものになぜか足が止まります。
寝ぼけ眼の往路はほとんど記憶にないのに、復路はギンギンに見開いた目で、その日の町の様相をとらえることになります。いつもは目に留まらないものが、急に輪郭を持って立ち上がってくる感覚があります。
この本は、町をどう見るべきかを教えてくれるわけではありません。ただ、見る速度を少し落とし、立ち止まることを許していいのだと思わせてくれます。読み終えたあと、自分の暮らす町を少しゆっくりと歩いてみたくなる。そんな余韻を残す一冊です。
4冊目:『ほどよい量をつくる』甲斐かおり(インプレス)
日本の人口は、明治維新以降急激に増加しました。総務省*3によると、2004年の1億2,784万人をピークに、その後は長期的な減少局面に入り、約75年後の2100年には、明治後半期と同程度の人口規模に戻るとされています。
こうした人口減少の過程において、大量生産・大量消費を前提とした工業的なプロセスは、次第に経済効率の面でも成立しにくくなり、不要なものになっていくのではないか。そんな感覚を、多くの人がどこかで抱きはじめているのではないでしょうか。
『ほどよい量をつくる』を読み進めるなかで、私は「町の規模に合った場づくり」について、より意識的に考えるようになりました。それは、効率や成長の反対側にある考え方というよりも、暮らしや土地のリズムに合わせて、量や速度を調整していく態度のように思えます。
*3 総務省:我が国における総人口の長期的推移
あふれる情報のなかで、自分にとっての「ほどよい量」を見極め、土地や人との心地よい関係性を自らの手で整えていくためのヒントを綴った一冊
私が営む「本と舍」のやり方は、どの地域にもそのまま当てはまるものではありません。しかし、温泉津という前提条件のもとで整理され、選び取られてきた発想や思想ではあります。きっと、その町だからこそ、その規模だからこそ成立する営みがあり、それぞれの地域にはそれぞれにふさわしい「ほどよさ」があるのだと、私は考えています。
「本と舎」の中央には、欅の木が。本の棚などは、使われなくなった板や、処分されかけていた資材が使用されている
5冊目:『日常 第3号』(一般社団法人 日本まちやど協会 / 真鶴出版)
最後に紹介する一冊は、温泉津に直接かかわる話題が収められている『日常 第3号』です。
本誌の編集長を務められている川口瞬さんとは、以前、個人で棚主書店を営む友人をとおして出会いました。川口さんは神奈川県真鶴町へ移住後、「泊まれる出版社」として「真鶴出版」を立ち上げ、編集長を務めています。
真鶴町には、1993年に町の景観条例の一部としてつくられた「美の基準」があります。昔ながらの生活風景や景観を守るため、町民と有志が「遺したい真鶴の要素」をまとめたものです。川口さんはこの「美の基準」を軸に、30年先も使われ続けることをコンセプトとした、観光ガイドブック『真鶴手帖』を編み直した人物でもあります。
『日常 第3号』は、そうした真鶴出版の活動の延長線上にある書籍。観光や移住といったわかりやすいテーマを前面に押し出すのではなく、町に暮らす人々の日々の営みや、言葉になりきらない感覚、何気ない選択の積み重ねが淡々と記録されています。
日々の営みのなかに潜む豊かさを再発見し、地域とともにある暮らしのあり方を編み直した一冊
収録されている文章や写真は、どれも強い主張を持っているわけではありません。けれど、読み進めるうちに、「この町で生きるとはどういうことか」「日常とは誰のためのものなのか」といった問いが、静かに浮かび上がってきます。
私がこの本を読んで感じたのは、地域の魅力とは「外からの評価以前に、そこに暮らす人が無意識に守り続けている判断や感覚の総体」なのではないか、ということでした。何を大事にして、何を急がないか。どこまでを他者に開き、どこからを自分たちの内側に留めておくのか。そうした日々の選択が、結果として町の輪郭をかたちづくっていく。
温泉津で暮らし、「本と舍」という無人の貸本屋を続けているいま、私自身もまた、町の規模や関係性のなかでしか成立しない営みについて考えることが増えました。『日常 第3号』に記録されている真鶴の風景は、その問いを他人事ではなく、自分の足元に引き寄せてくれます。
この本は、「地域とはこうあるべきだ」と教えてくれるものではありません。むしろ、自分が暮らしている場所の日常を、もう一度よく観察してみようと思わせてくれる一冊です。
自分の町の言葉や所作、何気ない風景に目を向けるきっかけとして、静かに手渡される本だと思います。
本と地域を媒介に「居場所をあたためなおす」ということ
本を読むという行為は、知識を得るためだけのものではありません。ページをめくるあいだ、私たちはどこかで「ここにいてもいい」と許される時間を過ごしています。静かに腰を下ろし、すぐに答えを出さなくてもよい。その感覚こそが、「居場所」の原型なのだと思います。
温泉津で暮らすなかで、私は本と向き合う時間と、町と向き合う時間が、どこか似ていると感じるようになりました。どちらも、効率よく結論にたどり着くことより、違和感や引っかかりに立ち止まる態度を求められます。問いを問いのまま抱え、すぐに言葉にしないこと。その余白が、次の判断を支えてくれるのだと思います。
令和7年、温泉津では100名を超える町の人たちとともに、「町として何を遺し、何を築いていくのか」を問い直す「温泉津100年会議*4」が開催されました。そこで共有されたのは、華やかな観光像ではありませんでした。
挨拶やおすそわけ、静かな時間、人と人とのほどよい距離感。そうした暮らしのなかにある価値こそが、この町をかたちづくってきたのだと、あらためて確かめ合う時間でした。
本と向き合う時間に答えを急がないように、地域と向き合うときにも、結論を急がない姿勢が必要なのだと思います。何かを変える前に、どこに違和感があるのか、何を失いたくないのかに立ち戻ること。そのための感覚的な尺度を、町のなかに持ち続けることが大切なのではないでしょうか。
本を媒介に人が集い、語り、聞き、またそれぞれの暮らしへ戻っていく。その往復のなかで、居場所は少しずつあたため直されていきます。本と地域を媒介に居場所をあたためなおすとは、新しい正解を掲げることではありません。
問いを抱えたまま、暮らしの手触りを確かめ続けること。その積み重ねの先に、町の未来は静かに立ち上がってくるのだと思います。
*4 温泉津100年会議:島根県大田市温泉津町を舞台に、町の未来を100年という長い時間軸で見つめ直し、「いま、この瞬間に何を選び、何を大切にして次の世代へ手渡していくのか」を、世代や立場を越えて語り合うための会議
この記事の内容は2026年3月24日掲載時のものです。
Credits
- 執筆
- 西田優花
- 写真
- 戸倉幹雄
- 編集
- 篠崎奈津子(CINRA, Inc.)