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なぜ河童は遠野に棲みついた?語り部が民話で紡ぐ、無形の財産

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みなさんは、河童や座敷わらしがこの世に「いる」と思いますか?

都市伝説やオカルトの類として語られがちな存在ですが、これらを「そこにあるもの」として自然に受け入れ、語り継いできた地域があります。

岩手県遠野市。日本民俗学者・柳田國男が記した『遠野物語』の舞台であるこの地には、河童や座敷わらしをはじめとする、多くの「かたちのない存在」にまつわる民話が残されています。それらはいまでは重要な観光資源として、そして市民の誇りとして受け継がれる「無形の資産」にもなっています。

なぜ遠野では数多くの民話が生まれ、受け継がれてきたのでしょうか。そして、それらの民話を伝える「語り部」たちは、地域においてどのような役割を担ってきたのでしょうか。その謎を解き明かすため、遠野を訪れました。

厳しい自然と人の往来が重なった、遠野という舞台

岩手県の中央部、北上高地の中央に位置する豪雪地帯。人口約23,000人の遠野市は、内陸部と三陸沿岸を結ぶ7つの街道の結節点にあたり、江戸時代には交易の町、宿場町として繁栄してきました。

広い空の下に広がる遠野市の全景

遠野市の様子。遠野は日本屈指のホップの生産地であったり、国内のどぶろく特区(地域限定で、農家や事業者が自家製どぶろくを合法的に造って販売できる制度)第一号であったりと、民話以外にもさまざまな地域資源がある

基幹産業は農業で、その多くは兼業農家。土木業や公務員などのかたわら、畑や田んぼを守るケースも少なくありません。

遠野市立博物館の学芸員である前川さおりさんは、「複数の仕事を持つのは、ある種のリスクヘッジなんです。遠野という場所は面積の80%が山林で平地が少なく、冬はマイナス15度にもなる寒冷な土地。とても厳しい風土のなかで、どれかひとつの産業がダメになっても別の仕事で生きられるよう、危険を分散させたリスクヘッジ型の生業が古くから根づいています」と語ります。

厳しい自然と、それを乗り越えて生きるために一つの手段に固執しない柔軟性・合理性。遠野という場所を語るうえで欠かせない要素と言えます。

山林に囲まれた遠野の雪景色。昔ながらの木造建築の家が点在している

雪景色の遠野

そして、遠野を特別な土地たらしめているのが、古くから地域で語り継がれてきた、数々の「民話」です。柳田國男の『遠野物語』でも紹介された河童や座敷わらし、その他の不思議な存在にまつわる民話は、いまも地域に根づいています。

雪景色を背景に立つ前川さん

前川

ちなみに、遠野市で最後に河童を見たとされるのは、1975年7月。遠野市附馬牛町の猿ヶ石川付近で目撃されたそうです。当時の目撃情報をもとにモンタージュも描かれ、観光協会では『カッパ捕獲許可証』を発行して河童の捜索を続けているんですよ。

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カッパ捕獲許可証。シリアルナンバー入り

なぜ遠野では民話文化がいまも継承され続けているのでしょうか? 前川さんと遠野昔話語り部の会の細越澤(ほそごえざわ)史子さんに聞きました。

春から秋に集め、冬に育てる。遠野の物語のつくり方

―遠野市は柳田國男『遠野物語』の舞台であり、「民話の里」と称されるほど、たくさんの民話がいまに伝えられています。なぜ、遠野には数々の物語が残されているのでしょうか?

前川

江戸時代、7つの街道の結節点だった遠野では、春から秋にかけて人々が盛んに往来していました。中心の城下町では月6回の定期市が開かれ、物と同時にさまざまな情報も交換されていたんです。

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遠野市立博物館に常設されている街道図。7つの街道(遠野街道、花巻街道、岩谷堂街道、小国街道、大槌街道、両石街道、気仙街道)が通っていたことがわかる

前川

そこから冬を迎えると街道は雪や氷で覆われ、いったん人の行き来は遮断されます。再び往来が盛んになる春までのあいだ、遠野の人々は限られた火元に身を寄せ合い、手仕事をしながら語り合う時間が生まれるわけです。

各々が町場で聞いた噂話や、じいちゃん、ばあちゃんから聞いた民話を互いに持ち寄り、温め合う。それを自分流にカスタマイズして、また新しい話が生まれる。「開放(外の情報が入る)と閉鎖(得た情報を地域の中で育てる)」の繰り返しで、多くの物語が蓄積していったのだと考えられます。

座ってインタビューに答える前川さん

遠野市立博物館 学芸員の前川さおりさん

―春から秋にかけての「流通」と、秋から冬にかけての「蓄積」のサイクルが、遠野の民話文化をかたちづくってきたわけですね。そして、その民話をいまも絶やすことなく語り継いでいる。

前川

寒い地域ですから、冬はみんなで集まり話をするなかで、民話が自然と語り継がれてきたのかなと思います。そして、それはいまも変わらないのかなと。

茅葺屋根に雪がうっすら積もった木造一軒家の外観

当日は遠野の昔ながらの山里を再現した施設「遠野ふるさと村」内にある茅葺屋根の南部曲り家(馬屋と母屋が一緒になったL字型の建物)にて取材を行った

雪景色を背景に立つ前川さん

前川

ちなみに、遠野の人は「あたってけ、あたってけ(自分の家の火にあたって温まっていってください)」と挨拶のように口にします。夏でもそう言うので、「何にあたるの?」と思うこともありますね(笑)。

「誰か入ってきたんかな?」河童や座敷わらしの気配を日常に感じる場所

―遠野の民話には、河童や座敷わらしなども登場します。民話のなかで語られる妖怪、神霊などは、遠野の人たちにとってどのような存在ですか?

前川

遠野の人たちの多くは、「かたちのないもの」が当たり前に存在するという感覚を持っています。河童や座敷わらしに関しても「いる・いない」という議論はなくて、当然あるものとして会話が進む。それも民話のなかだけではなくて、ごく最近も普通に存在を感じている人が多いと思います。

細越澤

私も、これまでにいろんな人から「座敷わらしを見た」と言われたり、自分も体験したりして、その存在を感じました。最初は1996年の5月。最近では2025年の11月ですね。

遠野座(遠野の民話や文化に触れられる複合施設「とおの物語の館」内で民話を聞けるスペース)というところで私が座敷わらしの民話を語って、もう一人の相方が別の話を語っているときに、どこかで戸が開く大きな音がしたんです。

誰か来たんかなあと思って裏に回ってみても、戸は閉まっていて、誰も入ってきた形跡がない。お客さんが出て行った様子もない。こいつは座敷わらしだなと。

椅子に座ってインタビューに答える細越澤さん

遠野昔話語り部の会 会長であり、語り部の細越澤史子さん

前川

そういった不思議な体験を、私たち地元の人間だけでなく遠野を訪れる多くの人が体験しています。

ハッキリと姿を見せるわけではありません。でも、開くはずのない戸が開く音がしたり、朝起きたら囲炉裏に小さな足跡がついていたり、高い場所にある窓がひとつだけ開いていたり。古くから民話を親しんできた遠野には、それらの物音や気配を座敷わらしのような存在と結び付けて考える精神的な土壌があります。

そして、何かいいことが起これば、「これはあのときに見た座敷わらしのおかげだな」と感謝する。逆に、悪いことがあれば「神様のバチが当たった」ととらえるんです。

床の間に飾られた馬の顔をした男女「おしらさま」の像。その両脇に木彫りの河童の像が飾られている

「おしらさま」の像。東北地方の家や蚕、馬の神さまとして祀られる民間信仰の対象となっている

前川

昔の人は、水害や水の事故が起こると、河童のたたりだと考えることもしばしばありました。そこであらためて、川を綺麗に維持しよう、水を大切に使おうという気持ちが芽生えるわけです。

人間に対してよい面を見せてくれるときもあれば、警告を発するときもある。遠野の人々は「かたちのないもの」に対して、敬意と恐れる気持ちの両方を持っているんです。まるで、森や川などの自然と向き合うのと同じように。

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木彫りの河童の像

白馬と触れ合う細越澤さんと前川さん

「遠野ふるさと村」で飼育している白馬。河童の物語には馬がしばしば登場する

「『語り』は相互コミュニケーション」民話伝承の担い手である「語り部」という存在

―遠野の民話や民話をいまに伝える存在が、細越澤さんをはじめとする「語り部」です。現在は何人の語り部の方が、どんな場所で活動をされているのでしょうか?

細越澤

現在、私たち「遠野昔話語り部の会」には、16人の語り部がいます。先ほど話した遠野座や、「あえりあ遠野」というホテルで、観光客の方や地元住民に向けて語りをしています。あえりあに泊まりに来られるお客さんのなかには、民話を聴くのを楽しみにしてくださっている方も多いですよ。

細越澤さんによる語りの一部(演目は『福の神と貧乏神』。遠野昔話語り部の会 公式チャンネルより)

―やはり語りが好きで語り部になるのでしょうか?

細越澤

そうですね。私もそうですが、みんな好きでやっています。民話というものはそもそも、読み書きができない人たちも多かった時代に、先輩たちの話を聴いて覚え、それをまた後輩たちに話して伝える。その繰り返しでいまにつながってきた素晴らしい文化です。この文化を次世代にも残していかなければいけないという想いもあります。

縁側に座って話している細越澤さんと前川さん

―いまの語り部さんたちにも「聴いて覚える」スタイルが受け継がれているのでしょうか?

細越澤

いまはたくさんの民話が、本に書き残されています。ですが、本を見て暗記するだけでは、自分流の語りにはなりません。あくまで、聴いて覚えた民話に自分なりの言葉を添えるなどしてアレンジを加え、十人十色の語りがつくられていくんです。

前川

語り部さんのなかには、市内の小学校で児童相手に語りの指導をされている方もいますが、やはり基本は聴かせて教えるスタイルです。児童たちには実際に語り部として民話を語ってもらったうえで、「自分の出番が終わったら必ず友達の話をちゃんと聴いて、頷いたり、反応したりしてあげようね」と伝えています。

細越澤

相手がちゃんと聴いてくれていることがわかると、もっと喜んでもらいたい、もっと伝えたいという気持ちも芽生えると思うんです。そういう気持ちから、語り部それぞれのスタイルも生まれてくる。

語りというのは、聴く人がいて初めて成立し、相手が自分の世界に入ってくることで語りも深まる。絵本の読み聞かせなどと異なり相手の顔を見ながら話すのが基本ですし、ときには聴かせる相手のことを知り、その属性に合わせた題材や話し方、言葉を選ぶこともあります。語りとは一方的なものではなく、語り手と受け手による相互コミュニケーションなのだと思います。

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「好き」ならば受け入れる。外から来た人も担い手になる、遠野の開放性

―語り部は遠野の民話の文化と歴史をつなぐうえで欠かせない存在なのですね。その担い手はどのように発掘・育成していますか?

細越澤

語り部の会でもここ何年かは、後継者不足に悩んでいました。一時は6人にまで減ってしまい、全員が高齢者でしたから。そこで前川さんにも相談し、遠野山・里・暮らしネットワークさんの協力を得て、岩手県内から語り部を募集しました。すると、40人もの方が応募してくれて。まさかそんなにやりたい人がいるとは思わなかったから驚きましたね。

最終的には20回の研修を受けることで、語り部の会の会員として認定することにしました。なかにはフルタイムの仕事をしている人や、県内の遠い場所から通ってくる人もいて。大変だったと思いますが、それでも10人の方が残ってくれました。現在はその新しい語り部も含め、16名で活動しています。40代の方もいて、一気に若返りましたね。

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―それだけの応募があったということは、地元以外の人も遠野の民話や語り部の文化に関心があり、残したいという想いがあったのでしょうね。

前川

実は私自身も、もともとは市外から来た人間です。高校3年生のときに初めて『遠野物語』を読んで興味を持ち、遠野を訪れました。

カッパ淵をお参りしたり、語りを聴いたりするうちに、遠野でこれだけ多様な民話が語り継がれてきたことは決して当たり前ではなく、文化人類学的にも稀有な例なのではないかと考えるようになったんです。そして、これからも残していくべきものであると。

小さな川が流れ、その両脇に林がある

冬のカッパ淵

―前川さんはそうした想いから遠野市立博物館の学芸員の職に就き、遠野の民俗学について発信しているのですね。

前川

地元の人にとって民話は身近な存在だけに、それがいかに希少で尊いことなのかが客観視しづらい面もあると思います。

だからこそ、それを市外の人にわかりやすく、興味を持ってもらえるよう博物館のなかで展示したり、SNSなどで広く発信したり、あるいは文化を守る仕組みをつくっていったりすることが、外から来た人間の役割なのかなと感じています。遠野のみなさんは、私のそんな思いも温かく受け止めてくれました。

基本的に遠野市は、この土地が好きでやってくる人に対しては熱烈に歓迎してくれる土壌があり、「自分たちの文化を一緒に伝えてくれる仲間」という感覚で受け入れてくれるんです。旅人を受け入れる開放性は、昔から続いているのかもしれませんね。

雪景色を背景に語り合う前川さんと細越澤さん

―語り部の会に新しいメンバーも加わりましたし、遠野の民話文化も安泰ですね。

細越澤

ひとまずは安心しています。ただ、今回40名の応募があったなかで、遠野市内から手を挙げてくれたのは5人だけだったので、地元からも少しずつ担い手を増やしていけるといいですね。小学校での語り部指導をきっかけに、興味を持ってくれる子どもが少しでも出てきてくれることを願っています。

前川

小学校での取り組み自体は30年ほど前から行われています。それは、子どもたちにいずれ語り部を継いでほしいという目的だけでなく、遠野の民話に触れることで、この場所で生まれ育ったことに誇りを持ってほしいという想いもあるんです。

この先、成長して遠野を離れる子もたくさんいるでしょう。新しい土地で新しく出会う人と出身地の話になったとき、「遠野物語の遠野? 民話が有名だよね」と言われるかもしれません。

そんなとき、かつて受けた語り部指導を思い出し、軽く語りを披露したらみんなに喜んでもらえた。その瞬間に初めて、遠野で生まれ育った経験そのものが誇りであり、かけがえのない財産になっていたことに気づいてもらえるのではないかと思います。

そして、その地域の財産を自分より若い世代に渡したいという思いが膨らんだときに、語り部を志してもらえたら、こんなに嬉しいことはないですね。

4人の小学生がローテーブルの前に座り、一番左の女の子がマイクを持ち、語りを披露している

遠野の語り部たちによる「遠野昔ばなし祭り」で練習した語りを披露する小学生たち

舞台にバレエ、SNSも。かたちを変えて語り継がれる遠野物語

―最近はSNSなどを中心に、オカルトと紐づけて遠野に注目が集まることもあります。そうした広まり方に対しては、どのように思いますか?

前川

個人的にはいいことだと思っています。伝統を残していくには保守的な考え方や古いやり方だけにとらわれず、最新の仕組みをキャッチアップし、うまく組み合わせて時代に適合させていく必要があります。そして、それは遠野の人たちが得意としてきたことでもあると考えています。

時代に合わせて個々の語り部がカスタマイズしてきた民話はまさにその象徴といえますし、より多くの人に届けるために、見せ方にも工夫が凝らされてきました。たとえば『遠野物語』を市民が中心となり舞台化することもあります。そのなかでバレエを披露するシーンもあって、結構いろんなことをやってきているんですよ。

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―舞台にバレエ! 民話に親しみがない人にとっても、身近に感じられそうな試みですね。

前川

舞台は50年以上前からやっています。『遠野物語ファンタジー』という名前で、市民が手づくりで民話を題材にしたお芝居をつくっているんです。細越澤さんは何回も出演されていますし、私は裏方として関わったこともありますよ。移住者の方も、出演したい、関わりたいという人は多いです。

衣装を着たキャストが演じている

『遠野物語ファンタジー』の様子

バレエを踊っているキャストたち

『遠野物語ファンタジー』内でのバレエシーン

―伝統を守り伝えるために、「やれることはすべてやる」といった意気込みを感じます。

前川

ある意味での「なりふり構わなさ」は遠野の特徴かもしれません。これまで脈々と受け継がれてきたものを自分たちの代で絶やさないために、新しい試みや、外からの協力者、賛同者も柔軟に受け入れる。また、地域に伝わるものを最新の器に入れて、時代時代で受け入れやすいものに整えていく。

それは外から新しいものを受け入れ、受け入れたものを内で育ててきた「開放性」と「閉鎖性」が同時に内在する遠野の気質が影響しているのではないかと思います。

私たちも現代の遠野を生きる者として、この両輪を意識しながら、地域の大切な文化を次世代に残していきたいですね。

真ん中に置かれた河童の像を囲む前川さん、細越澤さん

細越澤

私が語り部になったきっかけは、東京に行ったときに遠野の民話の価値を再認識したからです。山手線の車内で、たまたま隣り合った若い女性と会話をする機会があり、私が岩手の遠野出身であることを伝えると「じゃあ、民話を語れるんでしょう?」と言われました。それくらい、「遠野=民話」という認識は根強いものなのだなと。

そのとき私は60歳で、まだ現役で仕事をしていましたが、その会話をきっかけに、語り部を第二の人生にしようと考えました。気づけば85歳になるまで25年間も続けてきましたが、いまも楽しくて、なかなか辞められないですね(笑)。これからも、続けられる限りは続けていきたいと思います。

座って語る細越澤さん

最後に語りを披露してくれた細越澤さん。遠野ならではの方言と、表情豊かな語りに聞き入る取材スタッフ

この記事の内容は2026年2月10日掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
榎並紀行(やじろべえ)
写真
三輪卓護
編集
服部桃子(CINRA, Inc.)
提供画像
遠野ふるさと商社

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