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文化遺産がつなぐ人とまち。地域に縁を取り戻す「ヘリテージマネジメント」とは

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全国の文化施設や地域の現場を歩き、文化政策における実践と理論の両面から「文化の力」を見つめてきた、文化政策学者の松本茂章さん。

松本さんは、「文化遺産」を調査・研究の対象としています。そこには、寺社仏閣や、昔からある洋館や日本家屋、古い町工場、銭湯など「有形」の遺産から、その土地ならではの風土や暮らし方、風景、伝承といった「無形」の遺産まで、幅広く含まれるといいます。

これらの文化遺産を維持するために有効なアプローチが「ヘリテージマネジメント」です。直訳すると、「文化遺産の経営」。自治体や地域の人々が協力して残すべき地域の遺産をマネジメントすることで、かけがえのない地域の文化や風景が守られるという考え方です。

さらには、そこで生まれたつながりが、地域の社会課題をも解決する糸口になるそう。理想的なヘリテージマネジメントのあり方と、その可能性を、松本さんのお話から紐解きます。

文化遺産は「こころのよりどころ」。地域総ぐるみで臨むマネジメントとは

文化遺産と聞くと、まずは寺社や歴史的建物を思い浮かべるかもしれません。けれど松本さんの定義によれば、それだけではありません。古い家屋や廃校、町工場などに加え、土地の風土、生活のリズム、風景のなかに漂う気配──。そうした地域の歴史や風土、人々の暮らし、地形、空気感そのものもまた文化遺産であり、住む人の想いが宿る大切な資源だと語ります。

本棚を背にして本を手に持ち立っている文化政策学者の松本茂章さん

文化政策学者の松本茂章さん。日本アートマネジメント学会会長、日本文化政策学会理事、文化と地域デザイン研究所代表などの肩書きを持つ。読売新聞記者を経て2006年に高知女子大(現・高知県立大学)の文化学部教授に転身。2011年に静岡文化芸術大文化政策学部に移り、教授として勤務。2022年3月に定年退職し、関西に戻る。文化政策、文化を活かしたまちづくり政策を専門としている。当日は、松本さんがお父さまから相続した元印刷工場を改修して研究室として開設した場所で取材。背後にある大きな書棚は、もともと壁だった場所をくりぬいてつくったそう。「『ヘリテージマネジメント』の社会実験を行っています。昭和44年(1969年)に建てられた古い印刷工場の改修と活用なのです」とのこと

国や自治体によって価値が認められた指定文化財とは異なり、文化遺産はその場所に愛着を持つ人々によって守り伝わってきました。維持費も人的なリソースも乏しいなかで重要になるのは、単に「保護」するのではなく、地域の資源として「活かす」視点。それが、松本さんの提唱する「ヘリテージマネジメント」です。松本さんはこれまで、こうした文化遺産をどうにかして残そうとする人たちの取り組み(=ヘリテージマネジメント)や、当事者の思いに触れてきました。

松本

ヘリテージは「文化遺産」、マネジメントは「経営」。直訳すると「文化遺産経営」です。経営というとお金が重要であると思うかもしれませんが、それだけではありません。

ここでいうマネジメントとは単なるお金稼ぎのことではなく、「切り盛り」。うまくやりくりし、継続していくことを意味します。

文化遺産を切り盛りしていくためには、保存・修復・継承の費用を確保するだけでなく、いかに持続可能な団体・組織を運営していくか、どのように文化遺産をプロデュースしてファンをつくるかも含めた総合的な視点が重要になります。

そうした理想的なヘリテージマネジメントを実現するために重要なのは、一部の専門家や知識人だけが関与するのではなく、さまざまな人々が「総ぐるみ」でマネジメントに参画することだと松本さんは言います。

松本

たとえば、お寺や神社は、檀家さんや氏子さんによって、あるいは観光客の拝観料などによって維持されてきました。文化遺産に関しても、市民、企業、事業者、団体などが総ぐるみで取り組むことが重要です。

古民家を再生してカフェにしようという場合も、誰か一人がやる気を出すだけでは持続が難しい部分があります。市民も、事業者も、NPO法人も、珈琲の自家焙煎が巧みな人も、写真展示に詳しい人も、音楽文化に精通している人も、いろいろな人が総ぐるみになってこそ実現しますし、持続可能になるのではないでしょうか。

近年は古民家なども、所有者の理解のうえに、NPO法人や社団法人などが保存・修繕・活用に尽力する事例が増えており、まさに、総ぐるみの雰囲気が出てきているといいます。

世代を超えた「縦の文化」の一面も。ヘリテージマネジメントが地域にもたらす3つの効果

こうして多くの人がヘリテージマネジメントに関わることで、結果的に地域全体に好ましい影響を与える場合があります。

松本

地域のみんなが心を一つにする。地域を誇りに思う。訪れた人が、「いいまちですね」と言ってくれる喜びを得る。そうして、結果的に収益が出る。少し稼げて、ささやかに暮らしていける。それでいいのではないかと思います。

椅子に座り話している松本さん

「文化遺産経営は地域に対する愛着や連携を生み、地域ガバナンス(共治 ※)をより強固にできる」と語る松本さん。具体的には、こんな「効用」が挙げられるといいます。

※行政に加えて、市民、団体、企業、事業者などがともに力を合わせて地域を経営していく新しい統治のかたちのこと

1.まちのシンボルができる。また、活動を通じて人々に会話が生まれる

松本

ヘリテージマネジメントを通じて、公務員も、民間人も、事業主も、主婦も、学生も、仲良くなります。社会の究極の目的は「仲良くなる」ことだと思います。いまの時代はそれが難しいわけですが、総ぐるみでヘリテージマネジメントに関わることでその糸口が見えてくるはず。

2.世代を超えてつながる「縦の文化」ができる

松本

ヘリテージマネジメントには、老若男女がつながる「縦の文化」があります。縦の文化とは、世代を超えて共有できる価値観や伝統、歴史的な連続性のこと。たとえば、東京の西新宿には、廃校になった公立小学校を改修した芸能活動のための拠点施設「芸能花伝舎」がありますが、訪れる人たちからはしきりに「ここ(小学校校舎)に来ると懐かしい気持ちになる」という声が返ってきました。年齢に関係なく誰にでも小学生時代はあり、これは世代を超えた共通体験だからでしょう。

こうした体験を得られる場所を提供できることがヘリテージマネジメントの価値の一つであり、そこに生まれる縦の文化があってこそ、地域は総ぐるみになれるのではないでしょうか。

学校の校舎があり、そのまわりに高層ビルが立ち並んでいる

新宿区西新宿にある廃校(淀橋第三小学校)をリノベーションしてつくられた、実演芸能(演劇・音楽・伝統芸能など)の文化拠点施設。稽古場、会議室、イベントスペースなどを提供し、プロの芸術家だけでなく一般の人々もワークショップなどを通じて芸能に触れられる場を提供している

3. 社会関係資本が生まれ、地域の課題解決の糸口になる

松本

さまざまな人々の知恵を統合し、地域社会で実践していく「超学際主義」という考え方があります。ヘリテージマネジメントの活動を通じて生まれた人々の関係性、いわゆる「社会関係資本」は、現代社会の複雑な難問を解決する一助となり得るでしょう。

こう考えると、ヘリテージマネジメントは単にひとつの文化遺産の維持に寄与するだけではなく、地域にとってさまざまなメリットをもたらす取り組みであるといえます。たとえば、縦の文化が醸成されることで、「地域ぐるみの子育て」や、「一人暮らしの高齢者への声かけ」、あるいは「防災・防犯につながる共助の精神」などが生まれることも期待できます。

かつての日本の地域社会では当たり前だった風景や、人と人とのつながりを取り戻す。ヘリテージマネジメントには、そんな側面があるのかもしれません。

実践事例に学ぶ、望ましいヘリテージマネジメントのあり方

では、実際のヘリテージマネジメントの現場ではどんなことが起きているのでしょうか? 松本さんが目の当たりにしてきた実例を挙げていただきました。

旧国立移民収容所と芸術創造拠点だったCAP HOUSE(兵庫県神戸市)
――近代遺産がアートセンターに。「創造人材×古い建物」がまちを変える

松本

神戸にあった CAP HOUSE(キャップハウス) は、1999年から2007年まで、地元のアートNPO法人が運営していた民間の芸術創造拠点です。

その拠点となった建物は、もともと戦前に建設された国立移民収容所で、南米へ渡る移民が一時滞在するための施設でした。移民事業の終了後は看護専門学校などに転用されましたが、阪神・淡路大震災(1995年)以降は、一時廃墟となっていました。

この建物を、アートNPO法人が神戸市から無償で借り受け、創作・交流の場として再活用したのがCAP HOUSEです。芸術家たちは自主的に管理・運営を行い、創作の公開や市民向けの発表会、さらに消防訓練などにも取り組み、「芸術家=近寄りがたい」というイメージを徐々に払拭していきました。

こうした活動が市民から支持され、市も安心して後押しするようになります。結果として、国土交通省のまちづくり交付金などを活用した本格的な保存・修復が進み、建物は神戸市立「海外移住と文化の交流センター」として再生されました。

黄土色の壁で、窓が配置された洋館

神戸市立「海外移住と文化の交流センター」(かつての「CAP HOUSE」)

おおよど遺産(奈良県大淀町)——埋もれていた資産を発掘

松本

奈良県大淀町は、文化遺産の宝庫である奈良県のなかでは国宝・国の重要文化財がありませんでした。そこで、地域に埋もれる資産を発掘しようと立ち上がったのが、2005年に大淀町の臨時職員に採用され、2008年に正式職員となった松田度(わたる)さんでした。

松田さんは同町で唯一の文化財専門職員(学芸員・発掘技師)です。彼はコツコツと地域の文化資源を探して町民を巻き込みながら「ファン」をつくり、「おおよど遺産」100点をリストアップ。その一つが、「岸田日出男コレクション」です。

岸田日出男は戦前の探検家(県の林業技師)で、未開発の吉野・熊野を歩き回り、大量のコレクションを収集した人物。そのなかには、ニホンオオカミの頭蓋骨や古いフィルムなど、非常に貴重かつ興味深い資料もありました。これらの埋もれていた資料を「地域の文化遺産」として再定義したところ、大淀町への注目が集まりつつあります。

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岸田日出男が遺したニホンオオカミの頭蓋骨と、それを観察する文化財専門職員・松田さん

千鳥温泉(大阪市此花区)——まさに「地域総ぐるみ」を体現する事例

松本

1952年創業の千鳥温泉は、長く地域の人々の生活に欠かせない公衆浴場として親しまれてきました。しかし2017年に後継者不足による廃業の危機を迎え、その噂を聞いた銭湯好きの会社員が引き継ぐことを決意します。

新しい経営者は桂秀明さん。昔ながらの銭湯の雰囲気はそのままに、脱衣場で音楽ライブを開催し、演劇公演や写真展を開いてきました。また、ロードバイクや折りたたみ自転車の店内預かりなど、新たな試みも次々と打ち出しています。

ここでは、近所の若い人たちが浴室清掃や番台を交代で引き受けています。「原則として月に10回、店内を清掃すると、営業時間中の千鳥温泉に入り放題」としたそうです。

周辺にはアーティスト、クリエイター、ミュージシャンの卵など、お風呂のないアパートに住む若い人たちも多くいます。彼らとwin-winの関係をつくることで、まさに「地域総ぐるみ」の状況を生み出した好例といえるでしょう。

千鳥温泉の外観と、その前に立つ松本さん。自転車が数台置かれている。紺、白、オレンジで構成されたのれんがかけられており、「ゆ」の文字が書かれている

千鳥温泉を案内してくれた松本さん

千鳥温泉の壁面に、鉢巻を頭に巻いたピンクのタコの絵と、山を背景に自転車を漕ぐ人の絵などが描かれている

壁面には鮮やかなグラフィックアートが描かれている。ここだけでなく周辺の建物には、同様にグラフィックアートが描かれているものもあり、まちぐるみでアーティストに対して寛容であることがわかる

最初に必要なのは、場所よりも「情熱を持った人」

先に挙げた複数の事例は、文化遺産を維持したい人たちの思いと、そこに価値を感じて集まってくる参画者たちの活動がうまく嚙み合った、理想的なヘリテージマネジメントのあり方といえます。

こうした取り組みが地域への誇りや愛着を育み、地域の活性化や課題解決につながっていくことでしょう。そこには自治体との連携も大切となります。

また、ヘリテージマネジメントをより広げていくためには、多くの難題があると松本さんは指摘します。

松本

持続可能なヘリテージマネジメントを行ううえでの難点は、主に3つあります。まずは税制。古民家保存などの場合、所有者に多額の相続税が課せられます。結果として相続しきれずに建物は壊され、更地になる、といったことが起こりやすいのです。

大都市部では普通の木造民家でも、不動産価格が高騰しています。当然、相続税は高額になってしまい、結局、壊されて更地にされます。古い建物が残りにくい現状なのです。文化遺産を残していくためには、新しい税制を含めた打開策が必要と考えます。

千鳥温泉の前に立ちお話している松本さん

松本

次に、「ヘリテージマネジメント=観光開発」になってしまう傾向があり、これも大きな課題と言えます。ヘリテージマネジメントは必ずしも、観光に即、役立つとは限りません。

「地域を元気にする」「人々の心を満たす」「地域を誇りに思う」。これらが最優先されるべきであり、その結果として観光客の増加につながることもあるでしょう。

3つ目は、「行政の所管」の課題です。ヘリテージマネジメントは、広く文化財関連とみなされて、教育委員会の社会教育課や生涯学習課のなかの文化財係が担当する傾向があります。あるいは、街並みならば、都市計画課、建築指導課などが主導権を取る場合もあります。しかし、ヘリテージマネジメントとは、もっと総がかりなものであるはずです。

たとえば、古い町家を利用したカフェやレストランで飲食するといつも以上においしく感じたり、情緒ある街並みをレンタル着物で歩いたりと、総合的な体験を得られれば、より楽しく感じられたりしますよね。自治体もやはり、総ぐるみの体制をとることが望ましいと思います。

大阪市此花区と西区を結ぶ歩行者・自転車専用の安治川トンネル。エレベーターの扉が開き、自転車を押してエレベーターに入っていく人、順番待ちをしている人が見かけられた

大阪市此花区と西区を結ぶ歩行者・自転車専用の安治川トンネル(1944年竣工)。「興味深いのは、自然な流れで、整列して順番を待つ様子。エレベーターには自転車が先に乗り、歩行者があとに続く。川底の地下通路では自転車を降りて押し、歩行者を妨げないように配慮する。トンネルという土木遺産とスムーズな人の動きがあり、ハードとソフトが噛みあっていて、十分な文化遺産だと思います」と松本さん

これらの課題をクリアできたとしても、ヘリテージマネジメントを持続可能なものにするためには、さらに大きなハードルがあると松本さんは言います。

松本

それは、文化遺産の維持に対して情熱を注ぐ、「担い手」の確保と育成です。大事なのは「人材ありき」という視点。「その場所を何とかしたい!」という熱い気持ちを持った人材がいてこそ資金調達が必要になり、場を自主管理して活用するという流れが生まれる。あくまで、人材から資金、資金から場……というサイクルを忘れないことが大事ではないでしょうか。

文化遺産を発掘し、「総ぐるみ」で守り継続していくことで、人同士のつながりが生まれ、広がっていき、やがては地域活性化につながる。「理想論かもしれない」と松本さんは語りますが、現に、先に述べた事例のような「奇跡」も起こりはじめています。自発的に何かをしたいと切望する人材を大切にすること。まずはそこからヘリテージマネジメントの第一歩がはじまるのかもしれません。

この記事の内容は2026年2月12日掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
榎並紀行(やじろべえ)
写真
倉科直弘
編集
服部桃子(CINRA, Inc.)
画像提供
松本茂章

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