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愛媛から世界へ。孫が伝え広める、上甲清の手仕事と西予市宇和町のわら文化
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かつて農村地域の秋の風物詩だった「わらぐろ」。わらぐろとは、収穫を終えた稲わらを乾燥し、貯蔵するために積み上げられたものです。しかし、農業の機械化が進むにつれ、その姿が消えつつあります。
そんな、消えゆく「わらぐろ」のある風景やわら文化を将来に残そうと、愛媛県西予市に住む上甲清(じょうこう・きよし)さんは独学で「わら細工」の技術を磨き続けてきました。
清さんの孫である智香(ちか)さんは、そんな祖父の姿を見て「じいちゃんの作品を多くの人に知ってほしい」と奮起。清さんの作品を発信・伝承していく「孫プロジェクト」を発足しました。
本記事では、お二人の「わら細工・わら文化」への取り組みを通して、世代のつながりや伝統文化を未来へ残す意味を探っていきます。
米どころ・西予市で育まれた、わら細工職人の道
愛媛県西予市宇和町。海抜240メートルに位置するこの地は、肱川の最上流にあり、豊かな水に恵まれた米どころとして知られてきました。
「ここら宇和のあたりは、ずうっと稲作一本の町やけんね。昔は年末になると、それぞれの家でみんなわらをなって*1、新年を迎えるためのしめ飾りをつくったもんよ」
そう語るのは、この地でわら細工職人として活動する上甲清さん、89歳。清さんが稲わらを用いてつくるのは、しめ縄や鶴・亀などの動物をかたどった置き物です。一つひとつ丁寧な手仕事で生み出される作品の数々は、工芸品としての評価も高く、全国の神社やセレクトショップ、そして個人のファンから、ひっきりなしに注文が入ります。
*1 わらをなう……複数本のわらを手でねじり合わせて縄をつくること
上甲清さん。代々米農家を営む家に生まれる。米農家を継いだあと、西予市の伝統的な田園風景を守るために「宇和わらぐろの会」を発足し約15年間活動。わら細工づくりにも情熱を注ぎ、独学で「注連縄飾り」「鶴」「亀」などのオリジナル作品を生み出す。現在も数多くの作品を制作し、全国のファンに届けている。
清さんの作品。鶴や亀の縁起物や、しめ縄(写真右)をメインに手掛けている
清さんのわら細工づくりは、材料となる稲を育てる農作業の段階からこだわりが詰まっています。わら細工用に育てている稲は、長年の試行錯誤の末に、600以上ある品種のなかから加工に適したものを厳選。稲の育て方も、食用のものとは微妙な違いがあるのだとか。
稲を収穫するタイミングも重要です。穂が出てきたら実る前にすぐ収穫し、しっかりと乾燥させることで、青みがかった美しい色を保つことができます。
上甲さん宅の正面には、わら細工の原料となる稲が植えられた田んぼが広がっている。稲は作品ごとに、太さや長さが揃ったものを使用。細部へのこだわりがうかがわれる
伝統を守るための工夫が、「わら文化」の一つに
「本格的にわら細工づくりをはじめたのは、いまから20数年ほど前、60歳を過ぎてからやね。最初はな、『わらぐろ』を残すための資金集めが目的やったんよ」
わらぐろとは、脱穀後のわらを乾燥・貯蔵するために積み上げた塚のことです。一昔前まで、日本では秋になると各地でわらぐろが見られました。あたりの田んぼ一面にずらりと立ち並ぶ様はまさに風光明媚で、稲作が盛んな宇和町の風物詩でもありました。
しかし、農業の機械化が進んだこと、わらの主な活用先だった米俵やむしろの需要が減ったことなどから、わらぐろは日本の田園から少しずつ姿を消していきました。
「うちは代々ずっと農家でな。暮らしのなかに当たり前にあったもんが、全然なくなっちまうんは寂しいけんね」
昔ながらの伝統的な風景を残すために、清さんは1990年頃からわらぐろを残すための活動をスタート。わらぐろのライトアップイベントを企画したり、県内外の博物館や美術館などに展示用のわらぐろを提供したりしてきました。
そんな一連の活動の費用を捻出するため、また、わら文化に親しみを持ってもらうためにはじめたのが、わら細工づくりでした。
わら細工のミニチュア米俵
当初は、本業である米づくりの合間に取り組みはじめたわら細工づくりですが、続けるうちにどんどん注文が増えていきました。いまでは、米づくりを息子に引き継ぎ、清さんはわら細工用の稲作とわら細工づくりに専念しています。
「起きてから寝るまで、ずっとやっとるけん。待っとる人がいるから。休みたいけど、休ませてくれんのですよ」
そう言って、朗らかに笑う清さん。話している最中も作業の手は止まることなく、気づけば可愛らしい亀の置き物ができあがっていました。
「職人としての祖父」を見て、使命感が湧きあがった
そんな清さんのかたわらには、彼の手仕事を支える若者の姿があります。清さんのお孫さんにあたる、上甲智香さんです。
智香さんは2021年に、「孫プロジェクト」を立ち上げました。このプロジェクトは、清さんの手がけるわら細工の価値を発信するとともに、消えつつあるわら文化を伝承していくことを目的としています。
これまで、田植えや稲刈り体験などわら文化に触れられる企画の実施、県内外でわら細工やしめ縄づくりのワークショップや展示、講演会を開催するなど、さまざまな活動を行なってきました。
「いまでこそこんな活動をしていますけど、昔からわら文化や農業に興味があったわけではなくて。むしろもともとは、地元である愛媛のことがそんなに好きじゃなかったんです。子どもの頃から『田舎で何にもないな』と感じていて、ずっと都会に出たいと思っていました」
上甲智香さん。愛媛県松山市出身。2021年に「孫プロジェクト」を開始。2022年に西予市に移住し、わら細工のための稲作やイベント企画、クラウドファンディングなども行い多岐にわたる活動を展開している
松山市で生まれ育った智香さんは、地元の特産品を扱う販売店に就職。そこで清さんのわら細工を店舗で取り扱う企画が立ち上がり、上司とともに宇和町の工房を訪ねることに。これが、智香さんの人生を大きく変える契機になりました。
「小さい頃から『真っ直ぐな人、ちょっと厳しい人だな』という印象は持っていたのですが、仕事をしているじいちゃんを、ちゃんと間近で見たことがなくて。なんというか……家族ではなく『一人の職人』として見えたときに、そのあり方がものすごく美しくて、衝撃を受けました。洗練された手さばきに見入ってしまって、気づけば背筋が自然と伸びて、ばーっと鳥肌が立っていましたね」
淡々と無駄のない動きでわら細工をつくり続ける、ひとりの「職人」の生き様を目の当たりにした智香さん。静かな感動に包まれながら、彼女の胸のうちには、これまで感じたことのない使命感が湧き上がってきたそうです。
「『田舎は嫌だ、都会に出たい』とは思っていたものの、別に明確にやりたいこととか、夢や目標があったわけではなかったんです。でも、じいちゃんの仕事を見て『この美しい技術を世の人に伝えたい。残さなきゃいけない』と感じて。その役割を一番いいかたちで担えるのは、家族である私だと。私のほかに、誰ができるんだと思ったんです」
孫プロジェクトが、暮らしにも仕事にも「生きている実感」をくれた
そんな熱い思いに突き上げられて「孫プロジェクト」を立ち上げた智香さん。1、2年目は週末に宇和町に通いながら、主にわら細工の広報活動やポップアップ販売の企画を手がけました。そして3年目には、松山市から宇和町への移住を決意。清さんの手伝いをしながら、本格的に農業を学びはじめます。
「最初は『じいちゃんの作品や技術をもっとたくさんの人に知ってほしい』という単純な思いで動きはじめました。でも、わら細工、わら文化と向き合っていくと、その根底にあるのはやっぱり農業なんですよね。表面的な部分だけじゃなく、文化の基礎をかたちづくっている部分から継承しないと、あとには残していけない……そう思って、自分でも農業をやろうと決心しました」
宇和町に移住してからの日々は、智香さんにとって新鮮な驚きに満ちていました。町を歩けばたびたび「あなたが農業をはじめてくれてうれしい」「手伝えることがあったらなんでも言ってね」と声をかけられるし、野菜や果物をもらうこともしょっちゅうです。
近隣の農家さんは「清さんには世話になったから、できることはなんでもやるよ」と言って、農作業の手ほどきをしてくれます。そんな人々の優しさに触れて、「何もない」と思っていた地元に対する考え方は、大きく変わっていきました。
「多分、世界の見え方が変わったんですよね。宇和町に来るまでは、変わらない毎日を生きている感じが強くて、だから『何もない』なんて不遜なことを思ってしまっていたんだなと。宇和町に来て、自然とともに暮らす日々を送るようになって、いまでは『何でもあるな』と感じるようになりました。
毎日が変化に富んでいて、温かい人づき合いがある。食べるものは自分たちでつくっていて、とにかく美味しい。もちろん農作業はしんどいこともあって……というか8割方はしんどいんですけど(笑)、手をかけた分の成果がちゃんと返ってくるし、お客さんにも喜んでもらえる。暮らしにも仕事にも、生きている実感がたしかにあって、すごく充実していますね」
「1対1」ではなく「1対100」へ。文化を広げる新しい継承のかたち
宇和町に移住をしてから、孫プロジェクトの活動はさらなる広がりを見せていきます。その大きな起点となったのが、2024年12月に東京・六本木で開催された企画展「米と藁。―しめ縄職人上甲清展」です。清さんにとって初めての展示となったこの機会で認知が広がり、全国から商品のオーダーだけでなく、作品出展や講演会の依頼が次々と舞い込むようになります。
企画展で使用した垂れ幕。この企画展はインテリアスタイリストの作原文子さんが智香さんの想いに共感し、清さんのわら細工の価値を発信するべく「マウンテンモーニング(作原文子・今井孝則)」によって企画。孫プロジェクトも共同企画者としてかかわった
最先端のトレンドが集まる東京で、たくさんの人たちがわざわざ清さんのわら細工を見に来てくれる――そんな企画展の盛況を目の当たりにして、智香さんのわら細工に対する視点は、さらに引き上げられていきました。
「それまでは、わら細工をどこか消費的な『商品』として扱っている気持ちが強かったんですよね。そもそも、じいちゃんのスタート地点が『団体の活動資金を得るため』だったので、当たり前なんですけど。でも、企画展での評価の高さを見て、じいちゃんのわら細工は一つひとつ守っていくべき『民藝品』として扱うべきなんだと、あらためて感じました」
わら細工との向き合い方が変わったことで、おのずと発信の方向性も変わっていったと語る智香さん。そのおかげもあって、企画展以降ではハイブランドを扱うようなセレクトショップからの問い合わせも増えているそうです。
直近ではとある着物メーカーと共同で、フランスでポップアップ店舗を展開する計画も進行しています。
いま、智香さんが孫プロジェクトを通してめざしていることは、大きく2つあります。1つは、アートや音楽、ファッションなどさまざまな文化とわら細工をかけ合わせることで、より多くの人たちにわら文化に触れる機会を提供すること。もう1つは、わら文化にかかわる関係人口を増やして、「1対100」やそれ以上の継承が生まれる土壌を育てることです。
「私がじいちゃんのわら細工の技術を継承する、というのは『1対1』の継承ですよね。それだと、文化としては残っていかないだろうなと。多くの人たちに興味を持ってもらって、そのなかの一部の人たちが『やりたい』と担い手に変わっていく――そういう可能性をつくれてこそ、わら文化は健全なかたちで受け継がれていくのかなと考えています。
実際、全国から『清さんの手仕事を実際に見たい、教わりたい』と連絡してくる人も結構いるんです。近隣からも若い茅葺き職人の方や園芸デザイナーの方がたびたび訪ねてきて、じいちゃんの農作業やわら細工の手伝いをしてくれたりしていて。そういう人たちとじいちゃんが、いいかたちでつながり続けていけるように仲介する役割を、私が担っていけたらいいなと思っています」
県内外でワークショップや展示、講演会を開催。清さんも一緒に各地を飛び回ってわら細工やしめ縄のつくり方を教えている
智香さんが見つけた、地域文化を残すために必要なこと
祖父の職人技に惚れ込んだことをきっかけに、文化の担い手になった智香さん。これまでの活動の経験から、地域にある文化を守り、継承していくためのカギとなる要素は「使命感」にあるのではないか、と語ります。
「原動力に楽しさがあるのは大事です。けど、楽しさだけじゃ続かないと思うんですよね。きついこと、しんどいこともある。そこで自分を支えてくれるのが『やらなきゃ』という使命感じゃないかと。
私が使命感を持てているのは、じいちゃんから受け取ったものが、あまりにも大きいから。自分の人生に向き合えていなかった私を変えてくれた、その恩返しをしたいんです。そういう気持ちは、周りの農家さんにも同じくらい持っています。みなさんが受け継いできたもの、古くからこの町に根づいている農業や文化を、一緒に守らなきゃと思えている。だから、頑張れているんです」
80歳を超えてもなお、休むことなく田畑を耕し、わら細工をつくり続ける清さん。その静かな後ろ姿に励まされているのは、智香さんだけではありません。町の人々も「また清さんがテレビに出てたね」「清さんが頑張っているんだから自分も」と、ぶれない生き様から元気をもらっているそうです。
「お金のためとかやないね、もう。そうするのが当たり前というか、やらねばってね」
宇和町に生まれ、育ち、日々を粛々と営んできた清さん。彼の人生のかけらを大切に受け継ぎ、この町で生きていく覚悟を決めた智香さん。わらとともに生きる二人の人生は、これからも誰かの行く道と交わり、そこで新たな実をつけながら、連綿と続いていきます。
この記事の内容は2025年12月18日掲載時のものです。
Credits
- 取材・執筆
- 西山武志
- 写真
- 熊博之
- 編集
- 森谷美穂、牧之瀬裕加(CINRA,Inc.)

























