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「農」で世界をもっと面白く。広島の限界集落で実践者が挑む「農ライフ」の可能性

農業従事者の減少や高齢化による農村の限界集落(※)化など、日本の「農」を取り巻く状況は近年ますます厳しさを増しています。
そうしたなか、「農」にかかわるさまざまなプロジェクトやコミュニティを立ち上げ、自らも限界集落にUターン移住した実業家・井本喜久さん。自然に寄り添う「農」を基盤にした、ビジネスと暮らしに取り組んでいます。
井本さんが提唱する「農ライフ」という言葉に込められた想いとは? これまでの活動についてお話をうかがうとともに、井本さんが考える世界から見た日本の「農」のポテンシャルや、未来に向けての可能性についてもお聞きしました。
(※)地域人口の50%以上が65歳以上で、高齢化や過疎化が進み、共同生活の維持が困難な集落のこと。
「農」をベースにしたビジネスと生き方「農ライフ」とは?
―まずは「農ライフ」という言葉の意味について、詳しく教えてください。
井本:単純に農業をして暮らすということではなく、自然環境のなかで「農」を基盤とした「ビジネス」と「暮らし」の両立をめざすライフスタイル。それが僕の考える「農ライフ」です。
僕自身、農家=農業をする人だと思っていたのですが、あるとき、そのなかでも特に「かっこいい」と思う農家の方に出会ったんです。その方は人間らしく自然と向き合って暮らしながら、商売としても成功していた。そんな“かっこいい農家”の姿や生き方を知ったことで、農業は単なるビジネスではなく、暮らしと深く結びついているのだと気づきました。
ちなみに「農ライフ」という言葉の生みの親は、淡路島にある「菜音ファーム」の運営者である友人のMUDOくん。彼は、ファームで農作物を育てながら、「菜音キャンプ」を運営し、さらにはカフェ経営にも乗り出しています。
彼が「農業をやっているんじゃなくて、自然とともに暮らしているんだ。だからこれは『農ライフ』なんだ」と話してくれて。その言葉は、僕自身の生き方にも大きな影響を与えてくれました。

「菜音ファーム」運営者MUDOさん(中)と仲間との写真
限界集落の魅力とは?地域活性化のキーワードは「運命人口」
―米粉ドーナツ店と農体験宿をかけ合わせた「田万里家」を、2023年に広島県竹原市に位置する、人口約320人の小さな町・田万里町でオープンされましたが、井本さんのご出身地だそうですね。
井本:「田万里家」のある田万里町は、父方の祖父母が米農家を営んでいた場所です。父は公務員と兼業で農業をしていたため、週末になると僕たち家族は祖父母の家に行き、農業の手伝いなどもしていました。
そうした農業の原体験が僕にはあったのですが、どちらかといえば「大変だなあ」という思いをしばらく持っていたんです。農業大学にこそ行ったものの、卒業後は広告代理店に就職し、農業とは関係ない経営コンサルティングの会社を立ち上げましたから。

山と田んぼの緑が色濃く輝いている、田万里町の夕景
─田万里町は、「限界集落」と呼ばれる地域です。Uターンして限界集落再生に取り組まれるまでの歩みについて教えてください。
井本:転機は2014年、家族が末期癌を患っていると判明し、健康的な食や暮らしへの関心が高まったことです。その頃、フライドポテトとジンジャーエールの専門店「BROOKLYN RIBBON FRIES」をやっていたのですが、その縁で青山や表参道など都心のファーマーズマーケットにも出店していました。
そこで出会ったのが、 “かっこいい農家”だったんです。彼らは農業を商売としてうまくやりながら、自然とともに生き生きと暮らしている。そんな姿に興味を持って、直接農作物や農業についての話を聞くうちに、農家のノウハウをもっと学びたくなりました。
そんななか、僕が学んだ「農」の情報や魅力を多くの人に届けたいと思い、2017年にWebマガジンの発行や動画を発信するオンライン農学校「The CAMPus」を立ち上げました。正直、ビジネスとしてはうまくいかなかったのですが、探究し続けることは非常に楽しく、誰よりも学んでいたのは僕自身だったと自負しています。
─「The CAMPus」の立ち上げを機に、大学卒業以来、あらためて「農」と真正面から向き合うようになったのですね。活動を通じて新たに気づいたことはありましたか?
井本:「The CAMPus」での学びをとおして、日本の農家は小規模なことが多いため、大企業のように量やコストで勝負することは難しいという現実を知りました。そのなかで、自らの価値を高め、質やブランドを磨きながら、自分のつくったものの価値を自分で決められる農家は、成功しているのではないかと気がついたんです。僕はそんな農家のことを、小さくても質が高く自らをブランティングできる農業経営者=「コンパクト農家」と呼んでいます。
そんななか、2018年の西日本豪雨で被災した地元の田万里へ、復興のボランティア活動のために滞在する機会がありました。2週間ほど地元で過ごすうちに、子どもの頃には気づかなかった農村で暮らす魅力を感じました。その魅力とは、雑音がないこと。農村には“何もない”からこそ、そこにある土地や人、その地にあるものが見え、とことん向き合うことができます。僕自身、じっくりとその地に向き合うなかで、「地元、素晴らしいじゃん!」とスイッチが入りました。
そのときに放置されている農地を借り受けたのですが、それをきっかけに本格的に農業に参加することを決め、2020年にオンラインスクール「コンパクト農ライフ塾」を開校。僕自身もプレイヤーとして、農家の方々から学んだことを実践していくことにしたんです。2022年には会社名を「農ライファーズ」にあらため、2023年には限界集落の再生と「農ライフ」実践のために、「田万里家」をオープンしました。

農体験宿を営みながら、田万里町で暮らす人々とともに限界集落の再生に取り組む「田万里家」
―さまざまな取り組みをとおして、人を呼び込むことや田万里町の再生に貢献されてきたのですね。農村における地域活性化にとって、重要なことは何でしょうか?
井本:ひとつの事業が成功すると、それが圧倒的な成功事例として注目されて、多くの人の関心を引き寄せます。その結果、興味を持った人々が自然とやってくるようになり、地域活性化につながるのです。
農村に人を呼ぶには「農村で新しいことをはじめる人」、つまり、「地域の火付け役となるリーダー」を育てることが重要です。地域活性化のキーワードとして、観光や仕事などを通じて、継続的に特定の地域とかかわる人を意味する「関係人口」という言葉がありますが、僕はその地域に運命を感じ、そこで新しいことをはじめる「運命人口」を増やしていきたいと思っています。地域と深く結びつき、その土地で新しい価値を生み出す人々が増えることで、持続可能な活性化が実現すると考えています。

田万里で農作業に取り組む様子
井本:やや哲学的な話になりますが、産業が成り立つ土台には文化が必要です。僕はいままで「文化」とは祭や歴史、伝統といった目には見えない雰囲気でつくられるものだと思っていました。けれど、日本語の「文化」という言葉は「文にする」、すなわち言葉として記録し、伝えるという意味があります。英語の「culture」の由来は「耕す」ことですが、日本においては「言葉にする」こと。つまり、魅力的なプレイヤーが集まって会話の質を高めることで理念が生まれ、文化ができるのだと思います。僕は、そうして生まれた先人の知恵を言葉で次世代に残し、次の世代がそれを受け止めて発展させていくことが、文化なのではないかと考えています。
新しい文化は、農村で新しいことをはじめる魅力的なリーダー=“農村起業家”のもとにどんどん面白い人が集まることで生まれます。そして、誕生した新たな文化をきっかけに、また人が集まってくる。その結果、持続可能なかたちで地域が活性化していくのです。
世界が日本の農村に憧れる?日本の「農」文化を世界に広めたい
―「田万里家」でつくっている米粉ドーナツの店を、新たにオランダのアムステルダムに出店する計画があるそうですが、なぜ海外展開をしようと決められたのでしょうか。
井本:現在、日本国内の市場は人口減少の影響で縮小傾向にあり、世界と比較しても経済は横ばい、もしくは下降傾向にあります。でも、日本の文化的な価値は、海外でますます評価が高まっています。僕たちは、日本の農村文化を感じられる農作物や加工品を通じて、ビジネスの可能性を広げていきたいと以前から考えていました。そのなかでタイミングとご縁が重なり、米粉ドーナツの海外出店に踏み切ったのです。
僕らがつくっているのは、単なる商品ではなく「ブランド」です。ブランドが確立されれば国内外を問わず、どこであっても展開し、価値を広めていくことができると思っています。
従来、地元で採れた農作物などを地元で消費する「地産地消」という考えが長く推奨されてきましたが、「適産適消」として、消費することも大事だと考えています。つまり、つくったものを距離に関係なく、本当に必要としてくれる人やファンに届けることが大事なのです。

オランダ・アムステルダムの出店で、メイン商品となる米粉ドーナツ
―出店先がオランダのアムステルダムなのはなぜですか?
井本:きっかけは、以前沖縄と奈良で福祉事業をしていた親友の矢澤祐史がオランダに移住したことです。彼は僕たちの米粉ドーナツの大ファンでもあって、彼自身がこれからEUで事業拡大を図るにあたり、オランダ出店の話が具体化しました。
ですから順序としては、海外出店を決めたうえでオランダを選択したのではなく、オランダ出店の誘いを機に海外出店を決めたわけです。そして、出店を計画するにあたっていろいろと調査していくと、日本との交易の歴史は古く、江戸時代頃から続いていて、オランダは日本企業が海外進出する際のメリットが多くあることがわかりました。
また、オランダでは幼少期から個人の意見を尊重する教育が行われていて、人間らしい暮らしの文化がある点も、僕のめざす方向性とシンクロすると感じました。

オランダで会社設立の打ち合わせをする、井本さんと友人の矢澤祐史さん(中)

出店のために視察で訪れたオランダ・アムステルダムの街並み
―井本さんは「日本の農村に眠る文化価値をもっと広く世界に発信していくための第一歩」と考えていらっしゃるそうですが、世界にアピールできる日本の農村が持つ魅力や価値についてもう少し詳しく教えてください。
井本:日本の農村から生み出される食材には、素材そのもののおいしさはもちろん、日本独自の「出汁文化」や「発酵食品」といった、世界的に評価される食の魅力がたくさん詰まっています。日本の農家による農業は世界に比べるととても小さな規模ですが、その分、細やかな手仕事によって高品質な農作物を育て、価値を高めていくことができると思っています。
そこで重要なのは収量を増やすのではなく、「コンパクト農家」として、一つひとつの作物に手間ひまをかけてていねいに高品質な農作物をつくり、付加価値を生み出すことだと思います。加工品も同様で、単なる食品ではなく、背景にある物語や文化を伝えることで、より多くの人に魅力を感じてもらえるのです。
さらに、日本の農村の営みそのものに、世界中の人たちが憧れるのではないかとも思っています。僕らの経営する「田万里家」の宿には、農村文化に興味を持つ海外の人たちがやってきます。知的好奇心を持って日本の農村生活を体験し、満足してくれる海外の人を見ると、日本の農村文化をブランディングして、世界に向けてもっと発信していくことができるのではないかと感じます。

「田万里家」にて、仕事やあわただしい日常生活から一時的に離れ、疲れた心や体を癒す農村体験ができる「FARM STAY」に参加した方々との一夜
仕事や生活を自らクリエイトする人が集まれば、農村はもっと面白くなる
―日本の地方における「農」の魅力はどのような点にありますか?
井本:「農」とは、人間が生きる基本だと思います。土地と種と鍬(くわ)があれば、自ら農作物を育てて生きていくことができますよね。
さらに、「農ライフ」は自然とともに歩んでいくことがベースなので、必ず健康とも結びついています。健康がいらないという人はいないでしょう。健康で生きがいを持って働き、暮らしていく方法を考えたとき、「農」をベースにした生き方は理想的な選択肢のひとつになり得るのではないでしょうか。
農村の最大の魅力は、単なる暮らしの場であるだけでなく、そこで自らビジネスを生み出し、価値を創造する余白やチャンスがあることです。自然と共存しながら働く自由を持てる、そんな環境が、地方の農村には広がっていると思います。

田万里家の宿泊客を、畑仕事に案内する井本さん
―井本さんが考える「農ライフ」の未来像とはどんなものですか?
井本:僕らがやりたいことは「世界を農でオモシロくする」こと。日本の農村や「農」が持つ文化的価値には、まだまだ広がる可能性があります。だからこそ、日本各地の農村で目の前に眠っているものに価値を見出し、活かせる人が増えて欲しいと思っています。
そのためには、農村で仲間を集め、新しいことをはじめられるリーダー的存在を支援することが重要となります。そうすれば、農業をベースにしたビジネスの可能性も広がり、世界をめざせる“農村起業家”も生まれてくるでしょう。

限界集落である、田万里町の風景。井本さんにとってこの場所は「ピンチ」ではなく「チャンス」
井本:実際、「田万里家」を運営するなかで、ビジネスパーソンが「田万里家」へやって来てさまざまなコラボレーションを提案してくれることが増えています。「田万里家」モデルを全国各地に広げていこうという話も進んでいますし、農村ならではのフリースクールや農村と福祉事業の連携など、まだまだ可能性は無限大に広がっています。
これからの時代、農村は単に「農業をする場所」ではなく、「新しい価値を生み出す場」へと変わっていくべきだと思います。日本の農村の魅力を活かしながら、暮らしもビジネスも創造していく。それこそが、僕が思い描く「農ライフ」の未来です。

井本さんと田万里町の農家の方々との一枚。ときに教えを受けながら、共に田万里町再生の道を模索している
―最後に、読者が「地方創生」を自分ごととして考え、行動につなげていくためにはどうしたらよいのか。メッセージをお願いします。
井本:まずはあまり大きいことを考えずに、自分の周りや足元に目を向けて、そこにある素晴らしいものに気づいてほしいと思います。すでに幸せは目の前にある。その事実や価値を発見し、自分の才能を活かして、もっと面白くしていこうという挑戦ができるといいですね。
もちろん、都市にも素晴らしいものがあるし、地域にも素晴らしいものがある。とりわけ地域にはいままで「何もない」と思われていましたが、地域にこそ光る価値があり、それをさらに引き出し、高めていくための余白やチャンスが広がっているのです。地域には、まだまだ可能性がたくさんあると感じています。
この記事の内容は2025年4月16日掲載時のものです。
Credits
- 取材・執筆
- 林郁子
- 画像提供
- 農ライファーズ株式会社
- 編集
- exwrite、CINRA, Inc.