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内沼晋太郎が語る「よそ者」の心得。東京・長野の二拠点生活で培ったまちづくりの思考

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「都市の利便性か、地方の豊かな暮らしか」。こうした二者択一の視点から自由になる可能性のひとつに、都市部と地方との「二拠点生活」があります。

ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんは現在、東京と長野県御代田町での二拠点生活を送っています。内沼さんはこれまでに、東京・下北沢に「トークイベントを毎日開催する」という新しいスタイルの書店「本屋B&B」をオープンしたほか、青森県八戸市の市営書店「八戸ブックセンター」のディレクターとして本を媒介としたまちづくりにも携わってきました。

そんな内沼さんが二拠点生活を決断したきっかけとは? 東京と長野の二拠点生活の実情や、移住後のまちづくりへのかかわり方も含めて、内沼さんのお話をうかがいました。

都市部での子育てに感じた限界。東京と長野の二拠点生活をはじめた背景

―内沼さんは現在、東京と長野を往復する二拠点生活を営んでいますが、どのような経緯で二拠点生活をはじめたのでしょうか?

内沼:私が取締役を務めているバリューブックスの拠点がある長野県上田市に、2019年10月に家族で引越したのがスタートです。私は東京での仕事も多く、下北沢の新刊書店「本屋B&B」などの拠点もあるので、そこから二拠点生活になりました。

移住の理由として一番大きかったのは「東京での子育てに限界を感じたこと」でした。子どもを預けられる保育園がなかなか見つからなかったり、家族で遊びに行ける場所が少なかったり、苦労が尽きないと感じていたんです。

ちょうど第二子が生まれたばかりの時期だったこともあり、「試すならいまかな」と。もし長野に馴染めずに東京に戻ることになったとしても、子どもが小さいうちなら負担が少ないと思ったので。

上田は駅前に大きなショッピングモールもありつつ、昔ながらの商店街も残っているし、コンサートホールやミニシアターなどの文化施設も充実しているエリアだったので、はじめて都会から離れて暮らす町としてちょうどよかったなと感じています。新幹線も停まるので、東京へも出やすかったです。

内沼晋太郎さん

―その後、2021年に同じ長野県内の御代田町にお住まいを移しました。御代田町を選んだ理由は何だったのでしょうか?

内沼:子どもが通う学校の近くで暮らそうと思ったからです。子どもが通う学校は、従来型の学校教育とは異なり、子どもの個性に応じた「遊び」と「学び」を大切にするという教育方針に特色があります。その教育方針に共感し、学校周辺のエリアを複数検討した結果、御代田町から学校への距離感がちょうどよいと感じました。

結果的にベストだと思える判断ができたのは、上田市で暮らしていた頃に県内のいろいろな地域を巡ったことで、土地勘がついたからだと思います。これが「東京から、いきなり御代田町に引越す」という状況だったら、物件の相場や町の雰囲気などがつかめず、住まい探しにもっと苦労していただろうと思います。

「やってみないとわからないことだらけ」の地方移住。スタート地点で意識すべきこととは?

―移住前に抱いていた二拠点生活のイメージと、移住後の実感にギャップはありましたか?

内沼:正直、ネガティブなギャップはほとんどありませんでした。移住する前は「東京・長野間の移動が大変かも」と懸念していましたが、上田市も御代田町も新幹線を利用すれば、東京まで片道2時間かかりません。

移住で起こりがちな「地元の人との人間関係に苦労する」こともありませんでした。御代田町は、江戸時代には中山道の宿場町として栄え、戦後は別荘地の開発や工場誘致が進むなど、歴史的に外からの人を多く受け入れてきた地域です。特にここ数年では御代田町やお隣の軽井沢町などの近隣エリアにある学校に子どもを通わせるための「教育移住」が増えている(※)こともあり、移住者フレンドリーな町だと感じています。

逆に、想像以上にポジティブに感じていることはたくさんあります。とりわけ御代田町に越してきてからは、総じて人間関係がいい方向に濃くなったというか、お互いに助け合えるご近所付き合いが増えたことが嬉しいですね。東京ではもちろんですが、実は上田に住んでいた頃も、仕事以外でのつながりで友人が増えることって、ほとんどなかったんですよ。

※御代田町および軽井沢町などの近隣エリアには、公立・私立共に独自のカリキュラムや教育方針を打ち出す小中学校が複数存在し、学校ごとに「探究の学び」「ICT教育」「二地域居住にも対応可能な短期間の児童受け入れ」など、さまざまな特色を打ち出している。こうした教育環境に魅力を感じた「教育移住」も増加しており、なかには教室が不足し、仮設校舎を新設する学校も出るほどの活況を見せている。

―なぜ御代田町に引越してから、人とのつながりが豊かになったのでしょうか?

内沼:この町には「移住者」「子育て中」「子どもの教育について大きな関心がある」といった共通点のある方が多いと感じています。同じような悩みや課題を抱えているがゆえに、仲良くなりやすいのかもしれません。

そういう意味では、やはり「学校」という場の存在は大きいですね。地域に魅力的な学校があると毎年一定数の移住者が増えていきますし、学校を中心に経済もコミュニティも盛り上がっていくのだと感じます。

あとは、町のなかに「同じ趣味嗜好を持った人たちが集まりやすい場所」が多く、出会いの場として機能しているのも大きいですね。御代田町には移住者が営むカフェや居酒屋がありますし、写真美術館やレストランなどを併設した複合施設「MMoP(モップ)」ではアートや食に関するイベントが定期的に開催されています。

内沼さんがよく行く御代田駅前のカフェ「CORNER SHOP MIYOTA」。ギャラリーやゲストハウスなどの機能も持つ。店主の前村達也さん(写真左)は、都内在住時は東京ミッドタウンの「21_21 DESIGN SIGHT」のプログラムディレクターを務めていた方で、2018年に御代田町へ移住してきた

―これまでの経験を踏まえて、これから移住を考えている人に向けて何かアドバイスをするとしたら、どんな言葉をかけますか?

内沼:おすすめしないのは「そこでの暮らしが想像できないような、縁も土地勘もない地域でいきなり家を買うこと」ですね。いまの行き詰まった状況をなんとかしたいという気持ちから、生活環境をガラッと変えたくなる気持ちも理解できます。でも、一度に大きなリスクを背負うのはしんどいですよね。

移住において大事なのは「少しずつお試しで、取り返しのつく範囲で進める」という意識だと思います。いきなり定住するのではなく、まずは1週間、1か月間という短期滞在からはじめてみる。週末に飲みに行くだけでもいいですよね。いまいる場所を少し離れてみることで、「映画館や美術館が近くになくても意外と大丈夫なんだな」とか、「何を手放せるのか」がわかってきます。

やっぱり、やってみないとわからないことだらけなんですよ。だから、失敗を恐れずに、とりあえずやってみる。失敗を恐れないためにも、「ダメだったらすぐに引き返せる」という保険がきく範囲から少しずつ試す。そんな進め方がいいんじゃないでしょうか。

人が人らしい暮らしを営むために。場づくりに必要なのは「余白」

―内沼さんは御代田町で暮らしはじめてから、行政と連携しながら、子どもも大人も自由な時間を過ごせる居場所として「みよたの広場」を立ち上げました。こういった公共性の高い場づくりをはじめようと思ったのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

内沼:はじまりは、近所に住んでいる子育て中の友人たちとの「放課後に子どもが有意義に過ごせる遊び場がほしい」「子どもの世話をフォローし合える場があるといいね」という雑談でした。

そのうち、わが家を含めた3家族が中心になって「じゃあ、自分たちでつくってみようか」という話になり、「どうせやるなら自分たちだけじゃなくて、みんなに開かれたコモンズ(共有地)にしたいね」「子どもも大人も一緒に楽しめる場所ができたらいいよね」と、どんどん構想が膨らんでいって。集まったメンバーが偶然、自分で事業をやっていたりと、大きな絵を描きやすい人たちだったということもあると思います。最初から高尚な目的があったわけではなくて、話が盛り上がった結果、プロジェクトも大きくなってしまったんです(笑)。

みよたの広場。地域に開放されている広場で、カフェ営業やイベント企画なども随時行われている。広場にはものづくりの道具や手づくりの遊具があり、子どもと一緒にものをつくったり遊んだりするスタッフが滞在している
みよたの広場で遊ぶ子どもたち(画像提供:みよたの広場)
リビングトレーラーのなかには、内沼さんが選書した本も置かれている

―みよたの広場は「かかわる人たちでつくり続け、改善しながら使っていく」ことをコンセプトに運営されているそうですが、どのような場所として育っていくことを理想とされていますか?

内沼:かかわっているみなさん一人ひとりにそれぞれの願いがあると思いますが、僕個人としては「一人ひとりが自由にかかわることを受け入れてくれる空間」、すなわち「余白のある場」になってほしいなと。最近、人が人らしい暮らしを営むうえで、余白こそが最も重要な要素なんじゃないかと感じています。

たとえば、実は絵が上手だったり、料理が得意だったり、力持ちだったり。そういうスキルやクリエイティビティって、普段の仕事や生活ではなかなか発揮できないという方も多いですよね。その道のプロじゃなくても、みんなちょっとした「力」を持っている。それは他人に差し出せば喜ばれるし、自分も満たされるものです。

みよたの広場は、そういう力が自然と流れ出すような場所になりつつあります。「あんなことやってみたい」「それなら私ができるよ」「じゃあ一緒にやろう!」といったやり取りがどんどん湧いてきていて。それって、目的が用意されていない、自由にしていい余白があるからこそ生まれるものなんですよね。

―余白は、都市部よりも地方のほうが生まれやすいものだったりするのでしょうか。

内沼:一概に断定はできないですが、そういう傾向はあると思います。都市部には成長や成功をめざして多くの人が集まってくるから、何かにつけて競争に晒されるなかで、「自分なんてたいしたことない」と才能が埋もれてしまうケースも多いでしょう。

けれども、先ほどお話しした絵が上手な人や料理が得意な人のように、地方に来れば一人ひとりの力に注目が集まる機会が多く、それぞれの才能を輝かせる機会が生まれやすい。そういう余白のなかでこそ、人はいろいろ挑戦してみようという気になるし、その結果としてものすごい才能が花開いていったりするんですよね。

ただ、「都市部には余白がまったくない」とか、「地方だから必ず余白がある」とか、そういう単純な話ではありません。だからこそ、僕は都市部でも地方でも、かかわるそれぞれの場所で、余白をつくりたいと思っていて。東京の下北沢で運営している小さな街のようなスペース「BONUS TRUCK」でも、青森県で開設のディレクションをした「八戸ブックセンター」でも、実はみよたの広場と同じようなことを考えながら場づくりしているんです。

まずは自分から差し出すこと。「よそ者」が場づくりをするうえでの心得

―移住者というある種の「よそ者」としてまちづくりに携わるうえで、以前から住んでいる方に対して配慮していることはありますか?

内沼:「あそこに入っていいんだ」という空気づくり、でしょうか。やっぱりどうしても、地元の人たちには「外から来た人がよくわからない場所をつくっている」という恐れを抱かせてしまっている側面は否めないと思います。その恐れを解消するためのひとつのきっかけになればと考え、みよたの広場では月に一度マーケットを開催しています。

マーケット開催時の様子(画像提供:みよたの広場)

お店が出ていると、それまで広場に入ったことのない人にも、足を運んでもらえるんですよ。「あ、ここはお店らしきものが出ている。ということは、誰でも入ってもいい場所なんだ」と、遠目からでもわかる。

そうやってはじめの一歩を踏み入れるきっかけを用意すると、「あ、ここは子どもを自由に遊ばせていい場所なのね」と知ってもらえて、だんだん普段づかいしてもらえるようになったりもしますからね。

―内沼さんが取組まれているようなまちづくりは、心地よい暮らしをつくるための大切な営みだと感じています。私たち一人ひとりがまちづくりにかかわっていくためには、どんな視点や心構えを持っておくといいでしょうか?

内沼:小さな第一歩になりそうなところだと、「自分から少し開いてみる」ということでしょうか。

たとえば、都市部で広場をつくるような場所がないなら、まずは「住みびらき」として、自宅の一部から開いてみる。ちょっと恥ずかしくても、まず自分から「どうぞ」と差し出してみる。そこから物事は動いていくし、人との関係は変わっていきます。

開くというのは、物理的な場やモノに限った話ではありません。自分から心を開いて「なんでも相談してください」「時間があったら雑談しましょう」と言ってみたりするのもいいですよね。

まずは手はじめに、最も身近にいる「隣人」に向けて自分を開いてみてください。近所でよく顔を見かける人とか、お互いになんとなく存在を認識していそうだなと感じる人に、自分から挨拶をしてみる。まちづくりってそういうところから、少しずつ広がっていくものじゃないでしょうか。

この取材日も、みよたの広場に頻繁に来ている常連の方(写真:真ん中)と、初めて来たという方(写真:左)が談笑していた

この記事の内容は2024年12月19日の掲載時のものです。

Credits

取材・執筆
西山武志
撮影
タケシタトモヒロ
編集
吉田真也・包國文朗(CINRA, Inc.)