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片桐仁、U-zhaan、のりつけ雅春が語る地元・埼玉の記憶。地域の魅力を紐解く連載vol.1

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全国47都道府県のなかからひとつの地域を取り上げ、ゆかりのある方にその地域の魅力を聞く「47 Local Stories」。

第1回は「埼玉県」。埼玉県出身の3名──『アフロ田中』シリーズの作者として知られる漫画家・のりつけ雅春さん、タブラ奏者のU-zhaan(ユザーン)さん、俳優の片桐仁さんがアンケートに答えてくれました。

地元の思い出や、何気ない日常のなかで生まれたインスピレーションとは? 観光情報サイトやSNSには載らない、実体験をとおして見える埼玉県のリアルを教えてもらいます。

のりつけ雅春[漫画家:加須市(旧騎西町)出身]

のりつけ雅春の漫画『マイホームアフロ田中』5巻の表紙。桜花びらが舞うなか、アフロ田中とその妻・ナナコ、娘のエマが手をつないで立っている

のりつけ雅春さん

漫画家。2001年に『高校アフロ田中』でデビュー。現在『週刊ビッグコミックスピリッツ増刊号』(小学館)にて『マイホームアフロ田中』を連載中。代表作はアフロ頭の主人公・田中広とその仲間たちの日常をコミカルに描いた『アフロ田中』シリーズ

―地元で好きな場所はどこですか?

のりつけ

関東平野の地平線まで続くような田んぼの風景です。

家から20メートルも歩けば、地平線まで続くような広大な田んぼがあります。米農家で生まれ育ったこともあり、この広く続く風景は当たり前だったけど、ここが関東平野だと学校の授業ではじめて知りました。平野がずっと広がっているので、他県へ行って山があると感動します。

緑色の稲の苗が一面に広がっている埼玉県内の田んぼ

画像提供:のりつけ雅春さん

のりつけ

きれいな朝の田んぼから太陽が昇ってくるし、きれいな夕焼けの田んぼに太陽が沈んでゆく。雪が降ればまさに一面真っ白の田んぼ。初夏になれば稲で全面が緑色。米が実ればまっ黄色。そんな、自分にとって当たり前の風景が好きですね。

―地元で出会った「忘れられない人」や「印象的な出来事」はありますか?

のりつけ

祖父、祖母、父、母、姉、僕の6人家族だったので、家に毎日、近所の爺さん婆さんの誰かが来ていました。縁側に座って話している。毎日お茶菓子を出す。毎日そのお茶菓子をお土産に渡そうとする。

「いいよいいよ」「いいからいいから」「悪いから悪いから」「いいよいいよ」「悪いで〜」

このやりとりが毎日行われていて、「毎日何をしているんだこの人たちはと」思っていたが、いまの時代こんなこともなくなって、少し寂しいですね。

―地元での原風景が作品や活動に影響した部分があれば教えてください。

のりつけ

自著『アフロ田中』シリーズの田中広は実際の私の地元と同じ所に住んでいたし、まさに作品に影響しまくりです。

映画の『アフロ田中』でも、田中が釣りをしていた(僕も実際釣りをしていた)場所と地元の駅(僕の地元の駅でもある)で撮影してくれて、感動しました。

U-zhaan[タブラ奏者:川越市出身]

タブラ奏者・U-zhaanさんのポートレート。床に座り、タブラの上に手を乗せている

U-zhaanさん

北インドの伝統的な打楽器・タブラの奏者。2011年にミュージシャンのレイ・ハラカミとコラボし、アルバム『川越ランデヴーの世界』をリリース。2014年には初のソロアルバム『Tabla Rock Mountain』を発表

―地元を思い出すときに、印象に残っている場所はどこですか?

U-zhaan

「岩田屋」というパン屋です。もう20年以上前に閉店してしまったのですが、かつて川越市役所のそばにあって、深夜営業しているお店でした。

といっても、深夜までやっているという意味ではなく、夜更けに開店する、不思議なパン屋で。店内ではおじいさんが一人、踊るような手つきでコッペパンにあんこやマーガリン、ピーナッツクリームなどを塗っていました。人気がある&提供に時間がかかるというふたつの理由で、いつも大行列でしたね。

U-zhaanさん

U-zhaan

30分も並んでから深夜1時に食べるアンバタコッペの味は格別だったような気がするけれど、はたしてあれは本当に存在していた店なのだろうか……。

―いまのご自身の価値観や表現に影響を与えている「地元の何か」があれば、教えてください。

U-zhaan

確実に影響を受けたのは丸広百貨店。こどもの頃からことあるごとに訪れたし、中学校の制服も仕立てたし、屋上階のペットショップで買ったインコを飼っていました。

イタリアンジェラートを初めて食べたのも丸広だった気がするし、地下のパン屋では姉がバイトしていた。それに何しろ最初にタブラに触れ、そして購入した場所なので、丸広なくして今の僕はないはず。いつまでも存在していてもらいたいから、欲しいものはなるべく丸広で買いたいと思っています。

丸広百貨店の外観。

川越市にある丸広百貨店(画像提供:丸広百貨店)

―たとえば20年後、埼玉から新しい音楽やカルチャーが生まれるとしたら、どんなものが面白いと思いますか?

U-zhaan

僕が今年、アルバムをリリースしたときに、川越のレコード店数店舗が協力してキャンペーンをやってくれたんです。キャンペーン自体も嬉しかったけれど、ごく近くのレコード店同士に横のつながりがあることを知れたのが、何より嬉しかった。

いつか彼らが力を合わせて、川越で大きな音楽フェスをやるようなこともあるんじゃないでしょうか。そのときには僕も出演者として呼んでもらえるよう、これからも頑張って活動していきたいです。

片桐仁[俳優、造形作家:宮代町出身]

片桐仁のポートレート

片桐仁さん

俳優、造形作家。1996年、小林賢太郎とともにコントグループ・ラーメンズを結成。2013年には、粘土による造形作品を制作し展示会を行う

―地元で好きな場所はどこですか?

片桐

宮代町にある「進修館」です。1980年に「象設計集団」という会社が設計した建物で、映画鑑賞会など町の文化的なイベントが開催される公民館的な場所でした。

この建物には真っ直ぐな道がほとんどなく、アーチの列柱路やガラス張りの天井からは太陽の光が注ぎ、子どもながらに異世界感がすごかったことを覚えています。

いまはコスプレの聖地にもなっている場所です。

進修館の回廊「コロネード」。アーチ状の柱が連なる

画像提供:片桐仁さん

―「人間くささ」や「空気感」など、地元での原風景が作品や活動に影響した部分があれば教えてください。

片桐

自然が豊かだったので、写生会で描いた、田んぼや川、神社なんかが、自分のアートの原体験になったと思います。

東武動物公園で毎年開催されていた写生会も楽しかったです。ライオンは意外と描いていて面白くないとか、猿山を描いたら、猿か小さくなっちゃったりとかも。

─地元のモノに影響を受けてつくられた作品がありましたら教えてください。

片桐

実家のある北団地の反対側・南団地の「たこ公園」まで行くと、巨大なタコの滑り台があって、それが大好きでした。正直、滑り台としては大きすぎるのですが、そこまでメジャーじゃない巨大オブジェに惹かれたことを覚えています。

そのときの気持ちがきっかけとなり、2021年にタコ滑り台の地獄バージョン『公園魔』をつくりました。

地域のストーリーは、一人ひとりの記憶のなかに

どこまでも続くような田園風景、人生をかたちづくる出会いが生まれた丸広百貨店、そして、子どもの頃に気持ちを揺るがされた進修館──。ゆかりのある場所で過ごした時間に愛着が生まれ、いまの生活や活動に影響を与えていることを知ることができました。

地域に根づく記憶をたどると、ただ訪れるだけではわからない、その地域のリアルな魅力が見えてくる。次回はどの地域のどんな記憶と風景に出会えるでしょうか。どうぞお楽しみに。

この記事の内容は2025年12月23日掲載時のものです。

Credits

編集
包國文朗、森谷美穂(CINRA, Inc.)

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